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Last update : September 1, 2004
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社会学及びその周辺領域に関する術語集


予期生産秩序


記号 sign, signe


分節 articulation, dieresis, segment


アイデンティティと役割 identity, identities and role


現実、諸現実性 real, realites


個人と個人化 individual and individualization


象徴体系、象徴的システム symbolic system


社交、社会と社交化、社会化 society or societies and socialization


予期的社会化 anticipatory socialization


構造分析  構造的分析 structural  analysis
部分と全体とのつながりを、個々の要素にもとづくその総和と集合の分析に求めるのではなく、相対する 関係にもとづくその差異と境 界の分析に求 めるものの見方、方 法論。つまり、全体にとっての要素すなわち部分はその全体を構成するところの関係の原因であるよりもむしろ、その結果であり産物であるとみなす。よって構 造的分析においては、要素間の伝達(通信)運動 と考えられていたものは、その構造内での相対的な差異生産の運動とみなし、その構造化の過程を対象とする。意味上の部分差異があらかじめあるのではない。 差異が生産されることによって部分が部分間の意味として構成されるのである。
要素を可能ならしめ、差異を意味づけ、境界づけるのは、関係の在りさまであって、個々の要素(差異) が関係を可能にするのではな く、関係が個 々の要素(差異)を可能にし、 そ の要素(差異)間の役割や能力(機能)を二次的に決定するとみなされるのである。要素には個々の(下位の)機能が根源的に意味づけられており、それが全体 の (上位の)を目標を因果的を決定するとみなす要素還元主義的な分析方法と、それは相対峙している。
構造主義的には、全体を構成するとされる要素概念は差異概念に置き換わり、機能概念は関係概念に置き 換わる。機能とみなされてい た対象は関係 上の意味とみなされる。
われわれ人間は、文字に限定されない身体技法をふくめた広義の言語を用いて互いにコミュニケーション をし、社交的関係の総体を形 成していると されるが、しかし、そのコミュニケーションの能力を能力として意味づけるのは個々人そのものの要素ではなく、つねに社交的な関係によって導かれている構造 にある。個人は、みずからを内なる他者とみなす意識または無意識をもふくめ、社交的な表象として自己を所有し(主体化し)、そのかぎりで社会的な存在とな る。個人の能力なるものは、構造の産物、すなわち社交的な価値づけにおいてのみ表象し、関係のなかでその相対的意味として機能するのである。

アイデオロジー、イデオロギー ideology, ideologie
主体が自らを再帰的に結びつけ、自らの依って立つ社交関係を「現実」として意味づけ、「こうあるべ き」「こうあってはならない」 という理念や 信念の下に、「現実」として意味づけられた「関係としての対象」をなんらかの価値基準において表象しかつ再認する営みである。また、習慣的、規範的、言説 的な実践行為として、社交的な意味や価値のコンセンサス、対立関係、ヘゲモニーが構成される闘争や統制の場となっている。
ルイ・アルチュセールは、イデオロギーを無意識的(構造的)な主体化(社会化、儀礼化)の観点から再 考し、「イデオロギーは存在 の実際の条件 の下で個人の想像上の関係を表象している 」とみなすとともに、「イデオロギーは物質的な存在を有する」とした。

文化 culture
社交関係を支えている表象と意味の諸形相とその象徴体系。あらゆる社交関係の活動、実 践、習慣の形成において、自 他、主客の分 節とともに、体系的ないし構造的に意味または価値、すなわち記号の秩序が生産され、かつ再生産される再帰的な相関過程の総体。
一般慣用的には、ヒトの創作行為およびデザイン表象によって産み出された財や技術、またはそのための 活動や習慣そのものを意味す る。→文化= 資本
英語のcultureはラテン語のcultraに語源のひとつを持つとされる。つまりそれは、耕作、 栽培、養殖などを意味した。 また、この単 語が、崇拝、儀礼などの宗教的意味合いで用いられるカルト(cult)と同系の語源を持つことは、ヒトの文化に対する宗教社会学あるいは宗教人類学の関心 においてとても興味深い。
文化の観念は、社交集団のアイデンティティを象徴する記号(表象)として機能する。そ のアイデンティティは他者に よってラベリ ングされることもあれば、その集団内部によってラベリングされることもある。若者文化、大衆文化、企業文化、日本文化、サブカルチャーなどといった文化の アイデンティティをめぐる多様な観念が社交的に流通している。
文化観念のアイデンティティは、社交関係におけるディスタンクシオンとも関わる。文化 という語は、歴史学的にいう なれば、西欧 の特に18世紀中期以降において、階級的に上位の習慣(品位)や伝統、または高い教養と結びつき、また、社会や文明観念の台頭とともに啓蒙的な意味合いを 主に象徴するようにもなり、文字を使用する社会(文明)と文字を使用しない社会(未開)との差別、高貴な美のセンス(sense)や教養を象徴する財(芸 術作品、象徴財)やその価値観を領有し嗜む習慣という、社交的かつ文明的な特権感覚の様相を色濃くもつ観念となった。
「未開社会」なるものを発見した(構造)人類学的に観察される文化は、男女の象徴的な意味の分節を記 号にした儀礼的な意味論の世 界である。
科学的に客観化された広義の文化観念では、先天的、生得的、潜在的な能力に対し、後天的、伝達的、学 習的な能力を示す区別におい て一般に用い られている。
あるいはまた、生物(動物)が彼らにとっての独自の生活圏(生活環境)を産出するため に自然環境を改造(デザイ ン)する技術と その営み全般を文化とよぶこともできる。生物、すなわち生命は、そもそも、情報の記号学的な構造論ないしシステム論からみれば、その存在自身が意味(情報 または記号)の秩序もしくはシステムであり、生物の種にはその種固有の自己と環境との分節による実存の関係様式であり生活様式である文化圏が あると考えることもできる。この文化圏は、生物の進化史(変化史)において重要な意味を持つと考えられる。
→構造主義生物学、情報生態学
文化記号学の立場から丸山圭三郎氏は、文化を、ヒトの過剰な「シンボル化能力」が「身分け構造」を越 えて産み出 す「言分け構造」の所産とみなし、あるいはまた、小原秀雄氏らのように、動物行動学的立場から、特にヒトの文化の発達(文明史)を「自 己家畜化」の過程として論ずるなど、そのほか精神分析論的文明史観などもふくめ、文化の発生論に関するさまざまなアプローチがある。

コミュニケーション communications
一定の意味、感覚、価値、またはその経験を、複数の主体間で共有しようとする実際的な表現行為の習慣 または表現行為の枠組み。表 現行為を習慣 として模倣しあい共有することによって、諸主体間の共通感覚(意味または価値)の形成が互いに予期(期待)されている。言い 換えれば、諸主体間 の共通感覚の形成を互いに予期し合って行われるいっさいの表現活動のことである。
ラテン語でコミュニス(communis)とは

メディア media
コミュニケーション、すなわち経験の共通感覚を予期し合う諸主体(主観)間の行為関係において、その 行為者が用いる手段、方法、 道具の総体。
人間にとって根源的なメディアとは、表情、態度、しぐさ、身振り(body language)などをふくめた記号としての広義の言葉である。この意義でのメディアは意味を媒体する道具というよりも、意味を生産する分節(言分け= 事分け)の体系である。
メディアは、記号の体系と個人の表現活動との象徴的交換を可能にする力学的な場とな り、それじたいが仮想的かつ現 実的な空間を 構成する。すなわち、それこそが社交世界であり、コミュニティーの市場としての社会なのである。→メディアとしての社会、言語交換のエコノミー

闘争 Conflict, fight, strife, warfare
社交的な意味の表象において、その相対的な関係の秩序を決定または条件づける価値の配分、領有、正統 化、権威づけ、卓越、傑出 (distinction)などをめぐって行われるさまざまな駆け引きの総称。
正統化ないし合理化されたある価値やある意味を、一定の、または共通の利害目標にし、その下で行われ る意 識的な駆け引きは、それらの 行為主体に よってしばしば競争と名づけられることになる。
兵器をもって集団間によって行われる武力的な闘争関係は、特に戦争と名づけられる。
その行為関係の当事者またはその観察者にとって、あらかじめ仕組まれた意味や価値の規範(基準)の下 で行われる演出された闘争をゲー ムと よぶ。
物理的、身体的に行われる争い事と特に区別して象徴的闘争という語が用いられることも ある。しかしながら、あらゆ る社交的な駆 け引きをめぐる争い事は、いずれにしろ、象徴的な意味での闘争関係に関与している。
意図的または暗黙裡のあらゆる社交関係を通じて、闘争は、知識と力の諸関連とが象徴的かつ戦略的に結 びつく実践的かつ実際的な意 味の戦場ない し市場を形成し、社交的な秩序と無秩序との狭間での意味の揺れを絶え間なく産出しつづける。

暴力 thuggery, violence
主体または客体が他の主体または客体に対し、一方的な利害選択によって、すでに選別されたなんらかの 意味または価値を現実のうえ に押しつけよ うとするあらゆる努力と強制力の総称。身体への直接の強制力をともなった物理的暴力と、精神的な強制力をともなった心理的暴力とがある。
正統な意味を形づくる代理表象、つまりなんらかの権威によって、力関係 またはその恣意性が 隠蔽さ れた誤認の意識の下に行使されるような暗黙の強制力のことを、特に象徴的暴力(violence symbolique)という。


権威と権力 authority and power, potence, authorize
諸主体間によって主観的に表象される意味または価値を、決定もしくは条件づけられた意味または価値の 制御下に、強制的あるいは自 発的に依 属させる可能性をもった象徴的な威力またはその権能を総称して権威という。
権威は、それ固有の恣意性を隠すなんらかの信心の産出正統化と をともなう社交的な 主体化と、そ の誤認および再認の儀式的な意味作用とプラティクによって表象する。
社交的な闘争関係の場において、なんらかの権威またはそのシンボルと結びついた強制力のある暴力、勢 力、能力を総称して権 力と よぶ。
法、国家または政府、貨幣、その他...などは、社交的に物象化した権力の形相のほん の一辺にすぎない。
社交的な強制力が、諸主体間によって誤認または隠蔽された意味の下に行使されているよ うな暗黙の権力または秩序を 特に象 徴的権力または象徴的秩序という。象徴的権力または象徴的秩序は、その力関係の恣意性を認めない、そしてその力関係の下に主体化 (=隷属化)していることを認めない人びとによって、ときとして儀礼的に、暗黙裡のうちに演じられていることをその特色とする。
特定の資格や権能を意味として領有する人格主体の代理表象によって、その恣意性を隠蔽された象徴的権 力は、カリスマ的権力で あ る。

社交的行為、社交的活動 social action, social behavior, social activity
自他関係ないしは主客関係を生じさせる知覚の運動に発し、意味または価値を記号として分節し、それに もとづき、自他間ないし主客 間の、すなわ ち世界の現象を予期し合うような関係の表象をともなった行動のいっさい。それが内向的または消極的であるか外向的または積極的であるかは問わない。
対人関係をめぐって一見消極的に示される拒絶や回避、沈黙、無視、自閉はもちろんこと、メディアとい う名の情報系あ るいは記 号化装置を通じて行われる孤独な読書や芸術活動、知的な創造、個個人の内面で行われる空想、感情、思考、夢といった精神的な活動、さらには、気象 の動きなどの外的な自然現象を認識する内的活動でさえ、すでに社交的な意味の世界によって分節される社交的に解釈可能な記号であり、それら はすぐれて社交的な行為としての価値の一部を成している。
たとえそれが身体の生理学的な条件反射であろうとも、コンピュータの信号であろうとも、他者によって 意味または価値として解釈さ れることが予 期されるかぎりにおいて、すでに社交的行為の一部となっている。
俗に、社交的に理解不能と解され、狂気と烙印されている脱社交的にみえる現象もまた、社交的コードに もとづくコミュニケーション から自己疎外 されたすぐれて社交的行為である。
あなたがいま、コンピュータの前に座り、これを読んでいることも高度に社交的行為なのである。

社交諸体系、コミュニケーション・システムス social systems, communication systems
記号作動(signification)の恣意性(arbitraire)が必然性もしくは必要性 (nece)へと誤認(m馗 onnaissance)される実際過程。記号作動の惰性態。
社交的世界、社会という名の関係を構成する単位は、人(の行為)ではなく記号(の行為)で ある。人の物理的行動で はなく、記号 の現象(表象、主体化)こそが社交関係による現実世界、つまり社交の秩序を構成する。なぜなら、社交とは、物質的関係というよりも、第一義にまず意味の関 係だからである。物質的関係はこの意味の関係、すなわち記号の体系に依存する。
意味を相対的に分節する記号の体系は、その記号に依拠してコミュニケーションを営む諸主体間の表象に とって、現前する自明の現 実習 慣アイデンティティとして現象するような、半ば直感的な暗黙の知識となってもろもろの主体とその役割を 形成する。
記号の体系として価値を構成する社交体系は、その関係の複層的な拡張とともに価値的、イデオロギー 的、機能的に(?)分化したさ まざまな位相 をもつようになる。それらは、家族、村、会社、国家、法、政治、宗教、経済、教育などといった位相の異なる相対的に自律した(または閉じた)もろもろの専 門分野と専門階層の諸相となって現象するイデオロギー的装置イデオロギー・システムである。

体系、システム systems
一般には、なんらかの相互関係による繋がりを形成し、内と外とを隔てる働きによって、相対的に自立 (自律)した秩序、系統、構造 をつかさどっ ている仕組みとされる。
システムを構成するのは、要素(atomos)間の繋がりではなく、なんらかの秩序をもった関係の運 動そのものであり、その関係 を意味づける 関係としての記号である。システムは諸要素間の線形的な総和に還元されない。
記号の働きは意味を分節する、すなわち意味を生成することにある。意味を分節する記号という働 き(戯れ)によっ て、自己と他 者、内と外、主体と客体(対象)といった差異を絶え間なくつくりだし、「我思う、故に我在り」(デカルト)といった再帰性にもとづく主 体化の能動的運動が、システムとしての形相(eidos)をかたちづくっている。
システムの究極にあるのがいわば自我意識(自我=意識)である。自我意識は自己と他者 という分節を内包する意識で あり、意識と 無意識とをみずからをもって分節する主体化のシステムである。
それ自体が自他関係の意味(秩序)を分節する自己生成能力をもったシステムの特性をオートポイエーシ スという。免疫系、神経系、 代謝系からな る生命体系もまた、オートポイエーシス・システムであるとされる。
しかしながら、システム論は、旧来の機械論の枠組みの延長から出るものではない。もっとも単純な仕組 みを持つ機械でさえ、機械か らしてみれば (笑)オートポイエーシス的だからである。

ラベリング論(レイベリング論) labeling theories
社交関係(コミュニケーション)によって実現される社交的事象とは、個人間の諸行為のまとまりではな く、諸行為に対する社交的な ラベリングの 諸過程であるとする理論的立場の総称。
社交的に観察、命名、分類、すなわち記号化されてはじめて、行為はその社交関係のなかでなんらかの意 味有る行為となる。逸脱とい う行為が社交 的に成立するのは、その行為ゆえではなく、その行為への社交的な解釈図式によってはたらく意味論的な諸効果においてなのである。
要するに、社交的事実は、純粋な行動の理論によってではなく、社交的関係にもとづくラベリングの諸作 用としてはじめて説明できる と考えられる のである。
ラベリング論の芽はすでにデュルケムやジンメルやウェーバーのなかにあったが、のちに、逸脱行動の社 会諸論において明確に提唱さ れるように なった。当時はまだ、行動それ自体の反応‐再反応論という行動科学としての水準を出なかったが。
しかし、現象学の社会学的応用、さらには構造主義理論や記号論などの影響の下に、社交的事象そのもの が、そもそも社交関係による ラベリングに 基づく象徴的な相互作用のなかで意味有る存在や事実として実現されるという、社会システムの象徴化ないし構造化の理論へとそれはしだいに発展していった。
社会システムとは、その社会システム自身の、まさしくラベリング諸作動によって実現(アイデンティ フィケーション)する集合的か つイデオロ ギー的な自我意識なのである。

社会学、社交学、社会理論 sociologie, sociology, soziologie
ヒトの文化的営為を実際的な社交関係の側面から対象にする諸理論や諸研究の総称。一般には、人文(人 間)科学、特に、社会秩序の 自立した働き の理論を探究する社会科学の一分野とみなされている。

ノートは随時、誤字、脱字、誤変換等をふくめた文の訂正を繰 り返しています。これらの文 はすべて不十分なままアップロードしつづけているものです。また、失礼ながらも慣例として、著名な方の人物名の敬称を省略させていただいている場合があり ます。

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