人種のるつぼ

アメリカは「人種のるつぼ」だ、と一番最初に聞いたのは、小学校の社会の時間だったか。「『るつぼ』って、何?」と思う子供達のために、「『るつぼ』とは、金属を溶かすための鍋で…」等と、御丁寧に説明まで付いていたっけ。それが、"melting pot" を訳したものなのだと知ったときは、"melting pot"の方が、よっぽどイメージが湧くと思ったりした。

ボストンに来て初めて「T」(ティーと呼びます)という2両編成の路面電車(ダウンタウンでは地下鉄になる)に乗った時、車中にいた数人の人が、自分も含めて皆違う人種だった。それに気付いて、アメリカには本当に色々な人種がいるんだなぁと、強く感じた事を鮮明に覚えている。
アメリカには、白人、黒人、ヒスパニック、etc... そしてアジア系の、日本人そのままの外見の日系アメリカ人や、日本人から見ても日本人と見分けが付けにくい中国系、韓国系のアメリカ人もいるわけである。

こちらに来たばかりの頃、私に向かって、早口の英語でバァーッとまくしたてるアメリカ人に、「ちょっと、もう少しゆっくり喋ってよ。私は「外国人」なんだから。」と、思ったものだ。私自身は、自分は異国人であると強く感じているのだが、こっちの人にしてみれば、私と同じ様な顔立ちのアメリカ人と日常的に接しているわけで、外見からだけで、「この人はアメリカ人ではない=英語が不自由かもしれない」と思う根拠はないわけである。
私がアメリカにいて、自分は「外国人なんだから」と思った背景には、日本では明らかに人種の違う人を見ると「外人=日本語が通じないだろう」と思ってしまう図式がある。(ついでに、その「外国人」が「英語」を話すとまで、決めつけてしまうこともあるだろう。) しかし、こんな自国人と外国人を人種で見分けるとう発想が、そもそも(ボストンにいる)アメリカ人には無いのである。

しかし、雑多な人種が入り交じっているアメリカだが、実際に暮らしてみて、"melting pot"なのは一部分だな、とも感じる。確かに人種が溶け合ってもいるのだが、入り混じっても溶け合わずにいる人達というのがかなりいるのだ。(そういえば、人種のモザイクって表現もあったっけ。)そういう溶け合わない人達は、アメリカで生活していても、自分の母国の伝統、宗教、習慣等を(頑なに)守り、時にはかたまって生活してコミュニティを形成したりしている。アメリカという国は、そういった人種も生活も習慣も全く違う人達を包括できる、懐の広いというか、何でもありというか、の国なのである。

アメリカにいても、自分達のルーツの伝統、宗教、習慣等を守り続け、次世代に手渡していくアメリカ人がいる一方で、遠く大海を隔てた向こうで、独自の伝えるべき立派な文化・伝統がありながら、「アメリカからのもの」をむやみと有難がって取り入れてしまう日本人が、すごく無防備に見える今日この頃である。

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