私は、1993年6月から94年7月までの一年以上にわたり、毎週水曜日、夕方5時から8時あるいは9時まで、『あなたは地上の楽園で永遠に生きられます』の書籍を基にして、ものみの塔の信仰を学びました。現在は、その研究を中断していますが、できれば近いうちに、研究を再開したいと願っています。私は、司会者と学んでいるとき、ものみの塔のマタイ24章34節の「この世代」の解釈は変わるのではないかと、思い続けてきました。ところが、司会者であった長老の方は「変わることはない」と断言し続けました。
しかし、1995年の11月1日号の『ものみの塔』誌は、「1914年の出来事を見た一世代」という従来主張してきた文字どおりの解釈、を変えてしまいました。
そこで私は、司会者だった長老にお手紙を書きました。長老から誠意あるお返事が来るものと期待して、毎日、毎日お返事をお待ちしました。しかし、3週間以上経っても何のお返事もありません。
私にとって、「この世代」の解釈を変更したことは、決して小さな問題ではありません。実は、友人からこんなふうに言われたからです。 「オウム真理教がハルマゲドンを持ち出したのは、信者に危機感を与え、出家を促すためでした。ものみの塔もまた、証人たちに緊急感を与え、伝道に駆り立てるために、1914年、1925年、1942年、1975年、そして1914年の世代が終わるまで、という時を『事物の体制の終わりの年』と設定してきたのです。それはちょうど、馬の前に人参をぶら下げ、馬がその人参を食べようと一生懸命走るのを期待しているのと同じ原理を用いたにすぎないのです。」
私は友人の言葉を信じたくはありませんでした。そこで、長老に手紙を書きました。でも、お返事がないのです。そこで、自分の疑問を他のエホバの証人、あるいは研究生の方々にも知っていただきたい、と願い、小冊子を著すことを決意しました。
この小冊子がその手紙の内容です。つたない文章ですが、お読みください。
もしあなたがエホバの証人であるか、あるいは研究生であるなら、この手紙をお読みになってご意見いただけませんか。お待ちしています。またもし、ここに書いてあることで不正確なことがありましたら、ご指摘ください。よろこんでお聞きしたいと思います。
1995年12月1日
ひとりの真理を求める研究生より
紅葉の美しい秋を迎えておりますが、村野さん、その後お変わりございませんか。すっかりご無沙汰しております。
村野さんからものみの塔の教えを受けて以来、はや一年以上が過ぎてしまいました。一年以上にわたってお教えいただきました日々を懐かしく思い出しております。お忙しい中、貴重なお時間を毎週3〜4時間もさいていただきましたこと、あらためて感謝申し上げます。その後も、自分なりにですが、ものみの塔に関する学びを続けております。
ところで今日は、村野さんに感想をお伺いしたくお手紙を書いております。それは私が研究生だったときに何度かお尋ねしたことですが、マタイ24章34節の解釈に関してです。覚えておられると思いますが、二年前の1993年の秋、「この世代」に関する協会の解釈は変わるのではないか、とお尋ねしました。また、昨年の春、94年の2月15日号の『ものみの塔』誌の研究記事を王国会館で学んだ直後にも、同じ質問をさせていただきました。村野さんは、その度に、この解釈が変わることはないと断言されましたね。私自身は『ものみの塔』誌を読んで、この解釈を変えるために準備しているように思えましたので、村野さんが強く否定されたことに半信半疑でした。
でも先日、『ものみの塔』誌11月1日号を受けとって、大変びっくりしました。マタイ24章34節の「この世代」を「1914年の臨在を経験した世代が終わるまでの時」という協会の従来の解釈を変更しているではありませんか。「この世代」を文字どおりにとって一定の年代を考えるのではなく、「邪悪な世代」という象徴的な意味に解釈し直していますね。
村野さんはこの変更をどう受け止めておられますか。あの時も申し上げましたが、マタイ24章34節の「この世代」を1914年の出来事を見た世代が終わるまでと解釈しているのはものみの塔だけです。世代を文字どおりに受け取り、しかも1914年に結びつけるという解釈ははじめから無理だったのです。そのような解釈の仕方が聖書の文脈に沿っていないことは、よく読めばすぐ分ることです。
このような変更に対して今回もまた、タッキング理論で説明なさるのでしょうか。タッキングというのは、右の方向に揺れ、左の方向に揺れながら、船が前進していく状態ですよね。これまでは詩篇90篇10節を引用しながら、「それは70年か80年という文字どおりの一世代です。」と言っておられたのに、「文字どおりの長さを算定することによって何か得られるのでしょうか。いいえ、何もありません。」と主張を変えてしまったのですよ。これはどう考えてもタッキングにはなりませんよね。
それとも、「新しい光がきらめきはじめた」とでも言うのでしょうか。光が明るくなれば、今までぼんやり見えていたものがはっきり見えるはずですよね。しかし、ものみの塔においては、光が輝くと、今まではっきり見えていたものが、正反対のものとなり、しかもぼんやりとしか見えなくなってしまうものなのでしょうか。ものみの塔の説明と言うのは、いつも言葉や概念をもて遊んでいるだけで、中味を本当に考えずにごまかしているように私には思えるのですが、そうではないでしょうか。
今度の変更は、今迄よりずっと文脈に沿った自然な解釈ですから、私としては良かったと思っています。キリスト教世界の中には、これまでのものみの塔が主張していたように「この世代」を文字どおりにとる人はいません。ほとんどの聖書研究者は、「新しい神の世界に対峙する今の滅ぼされるべき世界」と解釈しております。従って、今回の変更はかなりキリスト教世界の解釈に近くなりました。それにしても変な話ですよね。統治体に光が輝くと、これまで否定して来たキリスト教の解釈に近づくというのは、どうしてでしょうか。私にはとっても不思議に思います。大いなるバビロンからどんどん遠ざかっていくというのなら分るのですが。
ところでもし、この11月1日号で教えられている見解を一か月前にエホバの証人の誰かが主張したらどうだったのでしょうか。「それはすばらしい真理を発見しましたね」と言われるのでしょうか。それとも、排斥されてしまうのでしょうか。私は前者だと思っていたのですが、ある方が後者だと主張するのです。その方は長い間エホバの証人だった方で、間違ったことをおっしゃる方ではないので、ちょっと信じられない気持ちです。いくらなんでもそんなはずはないと思うのですが、村野さん、どうなんでしょう。本当に排斥されてしまうのでしょうか。もしそうだとしたら、大変な組織ですよね。この点、どう考えたらよいかお教えください。私はものみの塔について正しい理解をしてもらえるようできるだけ公平に他の人々にお伝えしたいと思っていますので。
村野さん、これだけははっきり知っておいてください。もし一般社会で、今回ものみの塔の組織がしているようなことが起こったなら、はっきり謝罪し、責任をとらねばならない、ということです。11月1日号の17頁にある文章を証人の方々はお読みになって何も感じないのでしょうか。「これまでにエホバの民は、このよこしまな体制の終わりを見たいと切に願うあまり、『大患難』の始まる時を推測することがあり、1914年以降の一世代を算定しようとしたこともあります」という文章ですが、これでは他人ごとのような書き方ですよね。
どんな人間にも組織にも間違いはあります。もし間違ったら、そのことを公けにし、謝罪し、なぜ間違ったのかを明かにし、二度と再び同じ間違いをしないと約束するのが最小限必要なことではないでしょうか。
私もある学会に所属していますが、もしこのような間違いをしたなら、責任をとって教える立場を退きます。まして統治体は「神の唯一の伝達経路」と自らを規定し、神の権威に基づいて聖書を解釈しているのです。少しのミスも許されないはずです。世の組織で許されることであっても、許してはいけないのではないでしょうか。
もし私が、自分の所属する組織で同じようなことを起こしたなら、問題を正しく把握し、一般の会員に事実を正しく伝え、自らの責任を明らかにすると思います。それが人間として神に受け入れられる誠実な態度であると信じます。
ものみの塔の世界ではそのようなことを期待することはできないのでしょうか。村野さんは長老でいらっしゃいますね。ということは教える教理に責任をもつ立場にあると言うことですよね。もしそうだとすれば、これほどの教理の変更に対しては、統治体や日本支部の方々だけではなく、各会衆の長老たちにもあると考えるのが当然だと思います。ものみの塔の組織においては、長老といえども、教理的なことに口をはさめないことは分っているつもりですが、それでも、沈黙していることは統治体の間違いに荷担していることです。自らを被害者の立場に置くのではなく、加害者の立場に立って考えていただきたいと思います。
もし私の理解や判断が間違っていたり、誤解しているのでしたら、是非お教えください。上に述べたことは正直な私の気持ちです。しかし、喜んで村野さんのご意見を伺いたいと思います。もし誤解しているなら、このような失礼な言葉を述べたことを謝りたいと思います。
今回の変更について、少しだけ私の考えていることを述べたいと思います。私も時にエホバの証人のことを話す機会もありますので、問題認識が間違っていますと、ものみの塔の組織に大きなご迷惑をかけると思います。お読みくださり、コメントをいただければうれしく思います。もし特別コメントがなければ、私の記したものが大筋間違っていないということであり、どこで申し上げても差し支えないというふうに理解させていただきます。ぜひ、コメントください。もし、日本支部に直接お尋ねすべきことでしたら、そうさせていただきます。お返事ください。その場合は、一言ご紹介しておいていただければ幸いです。そうでないと、地域のエホバの証人に尋ねてくださいと、たらい回しにされてしまうかもしれませんので。
以下に記すことは村野さんも、組織の中に長くおられますのでよくご存じのことと思います。それでもはじめての情報で、出典などによって事実を確認すべき必要がありましたらおっしゃってください。自分でまとめました参考資料をお送りします。そのほとんどはものみの塔聖書冊子協会より出されている出版物から引用したものです。
今回の変更は、ものみの塔が長い間解決しなければならないと考えてきた課題でした。というのは、通常、一世代と言えば、25ー40年位を想定するのが普通ですね。としますと、従来のものみの塔の解釈によれば、1950年ぐらいまでには、この世の事物の体制の終わりが来なければならなかったわけです。そういう意味では、二代目のラザフォード会長が、1920年頃に、25年には新しい世界がはじまり、アブラハムやダビデが地上に復活してくると教えたこと、30年代の書物では、終わりがすぐ近くに来ていることを強調したのは、それなりにつじつまがあうように思います。
むろん、ラザフォードがした預言は外れてしまいましたけれど。
「この世代」についての理解が常識的なものでは間に合わなくなった50年代には、統治体は詩篇90篇10節を引用するようになります。そこには、人の生涯の年数が70ないし80年とありますので、終わりの時を引き延ばすことができたわけです。
それに60年代半ば(私の確認したところでは、66年の『ものみの塔』誌)から、聖書の年代表をもちだし、人類の歴史は1975年に6000年を迎える、その年こそ千年王国がはじまる年だと主張するようになります(『ものみの塔』誌68年8月15日号、「神の自由の子となってうける永遠の生命」29,30頁)。この考えと詩篇90篇10節を基にした「この世代」の理解が重なりあって、1975年が終わりの年であると主張されるようになったのですね。確か村野さんがエホバの証人になられたのは75年でしたね。きっとこの辺の事情には詳しいことと思います。
68年頃の『ものみの塔』誌や『目ざめよ』誌には、臨在のしるしは、1914年からはじまる一世代のうちに集中的に起こること、1914年の出来事を見たというのは、その出来事を理解できなければならないので、15才ぐらいにはなっていなければならないことなどが述べられています。
でもその後は、10才ぐらいにします。そして間もなく、理解しなくても観察するだけでよい、と変わります。さらに、生まれていればよい、となり、今回は、文字どおりにとるべきではないとなるわけです。年代が進むにつれ、何とかつじつま合わせをするのですが、とうとう今回は、ギブアップしたということでしょうね。
75年には何事も起こらず、過ぎ去ってしまいました。組織はそのことを弁明する必要に迫られました。そこで、アダムが創られてからエバが創られるまでには時間がかかった。千年期の始まりはエバが創られた時から数えなければならない、と弁明するようになりました(『ものみの塔』誌76年10月15日号)。アダムとエバの創造された年代が違うということからの説明は、研究生時代に村野さんご自身が私に説明してくださいましたね。たぶん村野さんも覚えておられると思います。私自身はよく覚えております。
でも、75年以前の出版物は、アダムとエバが創られたのは同じ年であったと主張しています(『ものみの塔』誌68年8月15日号)。村野さん、お時間のあるとき、『ものみの塔』誌の68年8月15日号と76年の10月15日号とを読み比べてみてください。75年の出来事が起こらなかったために聖書の解釈を変えています。ずいぶんご都合主義な聖書解釈に見えるのですが、いかがですか。
あの時さらに不可解だったのは、75年に終わりが来ると主張したのは、一部の人々が熱心さのあまりにしたことだ、と村野さんが説明してくださったことでした。最近、これまでの『ものみの塔』誌を読んでいるのですが、80年6月15日号は次のようなことを述べています。「75年というのは可能性として提供されたにすぎない、しかし、実現性の多いことを暗示する陳述が公表されたため、その可能性に対する期待を高めてしまったようだ。それは残念なことだった。」
60年代後半から70年代初頭の出版物をチェックしていただけますか。「可能性」などという言葉は全く当てはまらないことはすぐおわかりいただけると思います。そのことを証明する協会出版物のコピーをお送りすることができますが、村野さんはもうよくご存じのことでしょうから、その必要はないと思います。ご確認なさる必要がありましたらおっしゃってください。すぐにお送りします。
でも、今は百歩譲って統治体が言ったのは「可能性」だったことにしておきましょう。でもそれは「大変高い確立で起こると暗示された可能性」だったことは間違いありません。そしてその可能性を主張したのは、いったい誰だったのでしょうか。さらに、「実現性の多いことを暗示する陳述を公表した」と述べていますが、それを公表したのは誰だったのでしょう。人々に間違った期待をさせるほどの可能性を示したり、陳述を公表することの出来る人は統治体以外にありうるのでしょうか。
統治体は自分が可能性を示唆し、実現性の多いことを暗示しておいて、それが起こらないと、他人事のように残念だった、と述べているのではないでしょうか。さらに同誌は、「自分自身の理解が間違った根拠に基づいていたためであることを悟り、自分の見方に今調整することに注意を注がねばなりません」と記しています。ここでは間違っていたのは根拠であって、その結果である理解ではないかのような書き方ですね。だから調整という言葉が使われているのでしょうか。私には、本当に詭弁のように思えるのです。村野さん、いかがでしょうか。
続いて、「その日を中心とした希望を高める一因となった情報を公表することに関係した人々もこれに含まれます」と述べていますので、統治体は責任を一つも感じていないと言うのは言いすぎでしょう。もし、この文章を統治体を含めて読むのであれば、統治体もまた多くのエホバの証人と同じように、間違いを悟り、調整しなければならないと言っていることになります。本当にそう読んでよいのでしょうか。
先日、「エホバの証人−王国をふれ告げる人々」の書物を読みました。驚いたことに、その書物では、75年の預言の失敗についてはほんの数行触れるのみです。「そのために、後に、人類史の第7千年期は1975年に始まるので、キリストの千年統治に始まりに付随する出来事はその年に生じ始めるかもしれないという考えが、時には一つの可能性として、時にはそれよりも断定的な調子で語られました。」
時には、一つの可能性、あるいは時には断定的に語られたと述べている文章は、60年代後半から70年代前半の『ものみの塔』誌等などの記事と一致するでしょうか。もし比べていただけるなら、協会から出版された文書のコピーをお送りいたします。おっしゃってください。(とにかく今は、それを問題にしないでおきましょう。)
むしろ、その後で「こうした試みは人々をふるい分けることになり、ある人たちは小麦をあおり分ける際のもみがらのように吹き飛ばされましたが確固たる立場を保った人たちもいました。」と述べていることに引っかかりを感じます。ここには論理の飛躍、ごまかしがあります。組織は間違っていたことを教えたにも関わらず、そのことを明らかにせず、神の言葉と神は正しい方であるからその方に忠実であれば吹き飛ばされることはなかったはずだ、とこの文章は言っているのです。これがずいぶん変な論理であることは村野さんもすぐにお気づきになると思います。
神の言葉と神ご自身が正しいお方であることは言うまでもありません。従って、神の言葉と神ご自身に信頼を置きなさいと主張することもまた正しいと言えます。そうすれば、本当に吹き飛ばされることはないのです。ということは、間違ったことを教えた統治体には信頼してはいけない、そのようなことをするなら、もみがらのように吹き飛ばされてしまいますよ、と言っていることになります。
むろん、エホバの証人はその文章をそう読むことをしないでしょう。ものみの塔は常日頃はそんなことを教えてはいないのですから。統治体は「神の唯一の伝達経路」であると主張します。そしてその統治体だけが聖書の言葉を正しく解釈できると教えています。組織を離れては、神の言葉も神との交わりも実質的には存在しないのです。だからこそエホバの証人は、ものみの塔の出版物を熱心に学び、それに忠実に従っているのです。神と神の言葉に忠実に従うとは、エホバの証人にとっては結局統治体に忠実に従うことなのです。その統治体が間違った教えを説いておいて、神の言葉と神ご自身は変わらないお方ですと言うことはおかしいのです。この矛盾はおわかりいただけますか。もし、統治体の言うことはいいかげんなことが多いので、統治体の解釈を信じないで、神の言葉と神ご自身に信頼を置きなさい、とはじめから終わりまで一貫して言ってくだされば、すっきりするのですが。
何はともあれ、統治体は自ら説いてきたことが間違っていたことを明かにし、謝罪して、同じ間違いを二度と行ないません、と誓う必要があります。そしてもし、その間違ったという事実がある人々をつまづかせたり、背教や背教的な行為に追いやってしまったとしたら、まずその人たちに赦しを請い、関係の修復をはかる責任があります。間違ったことを教えた組織に疑いをもち、離反した人々こそ、誠実に真理を探求し、真理に忠実であろうとした人々だからです。
このような状況を考えるなら、統治体は、自分たちだけが真理をもっているなどと夢にも思うべきではないし、主張すべきでないことは明白です。そう思いません?
どのような組織体も、その歴史において、覆い隠したくなる恥部はあるものです。組織自体が出版する自分たちの歴史書においては、それらのことが隠ぺいされることは普通のことです。それにしてもこの『エホバの証人』という書物はあまりに露骨なものです。分厚い書物で、美しい装丁ですので、立派な歴史書に見えますが、普通の歴史感覚から言えば、およそ歴史の書物とは言えません。75年のことに限らず、ラッセル以来、歴史として本当に留めておかねばならない重大なことが触れられていないからです。この書物についてはまた、別の機会に考察することにしましょう。ただ、日本の社会党の歴史を執筆中のある社会党の長老が、自戒の言葉として言われたことを紹介しておきます。「組織の歴史を編集する者が、自らの恥部の歴史をどのように扱うかで、その組織の成熟度を計ることができる。」
村野さん、ものみの塔は本当に誠実で清い神の組織だとお考えでしょうか。ヨハネ3章21節の言葉「しかし、真実なことを行なう者は光に来て、自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」と照らし合わせて、もう一度お考えになっていただけませんか。
村野さんは私の印象ではとても聡明な方です。社会的常識もおもちであり、賢明な判断力を働かせることのできる方であると確信しております。これまでの内容は、ものみの塔に対する批判的な書物を読んで申し上げているのではなく、協会の出版物そのものから私が感じていることを率直に述べたものです。もし勘違いや間違っていることがありましたら、お忙しいとは思いますが、お返事いただければうれしく思います。あるいはお会いして説明していただければ感謝です。
最近ある資料から、統治体はもともと「この世代」についての解釈に対し確信をもっていなかったことが分りました。このような情報は既によくご存じかとも思いますが、少しだけご紹介させていただきます。
まずは、1975年2月19日の統治体の会議のことです。統治体の成員は、フレデリック・フランズ兄弟による75年に関する講演をテープで聞きました。そしてその後で、預言の時に関しては不確かな部分があることを話しあっています。その際、当時のネイサン・ノア会長は次のようなことを述べています。
「私は次のことを知っています。エホバが神であること、キリストがみ子であること、彼が私たちのために贖いとして命を差し出してくださったこと、そして復活があるということを。他のことはそれほど確かなことだと思っていません。1914年についてですが、それは私には分りません。私たちは1914年について長い間話し合ってきました。私たちは正しいかもしれません。否、正しいと願っています。」
この発言は個人的な会話の中で話されたものではありません。統治体の正式な会議の席上でなされたものです。しかもその場でたまたま思いついて話したとは言えません。というのは、ノア会長と親しくしていたジョージ・カウチ兄弟もまた、ほぼ同じことを全く同じ表現で話しているからです。二人の間柄をよく知っている人が、カウチ兄弟はノア会長の影響を受けてそのようなことを話した、推測しています。そう推測することは正しいと思います。というのは、二人の発言を偶然の一致と考えるのも、ノア会長がカウチ兄弟から影響を受けたと考えるのも不自然だからです。
統治体が「この世代」の解釈をめぐって何度も議論してきたことは、村野さんはよくご存じですよね。私どものような門外観の者には、ものみの塔の組織の中で、このような問題についてはどこまで学んでおられるのか、どこまで情報が公開されているのかが分りません。しかしこれから私が申し上げることは、日本支部の方々(あるいはニューヨークの本部に)に問い合わせていただければ、正確な事実であることを確認していただけると思います。もし不正確なところがありましたら、ぜひ正しい情報を教えてください。私は細かな点においても間違っていましたら大変申し訳ない、と思うからです。
では、統治体が「この世代」についてどのような話し合いをしてきたのか、述べてみましょう。
例えば、1978年6月7日に行なわれた統治体の会議では、統治体の成員アルバート・シュローダー兄弟が話したことについて討論しています。シュローダー兄弟は、ヨーロッパ旅行中に、「この世代」を、Tペテロ2章9の「種族」と関係づけ、「油そそがれた者たちが生きている世代」という意味で解釈してはどうか、と話していました。その時の統治体会議がシュローダー兄弟のそのような解釈を退けたことは言うまでもありません。その解釈については、その年の10月1日号の『ものみの塔』誌の「読者からの質問」で扱われています。日本語では、翌79年1月1日号ですね。この読者が、統治体の成員シュローダー兄弟だったというのも私には興味深いことです。それはともかく、その後の統治体の会議でも、この解釈はしばしば浮上します。統治体のある成員の中では、この見解は捨て難いものだったのです。
79年3月6日の統治体会議は、さらに深刻な議論を展開しています。会議の席上、統治体のもとにある執筆委員会の責任者のライマン・スウィングル兄弟は、1922年の『ものみの塔』誌を読み上げました。そして、1914年の失敗は自分が4才の時であったからよく覚えてはいないけれど、1925年の失敗や1975年の失敗はよく覚えている、自分としては、これ以上年代による失敗を繰り返したくない、と発言しています。1914年の失敗とは、創設者ラッセルがこの年にハルマゲドンが来る、と主張していたことですね。そして、1925年とは、二代目会長ラザフォードが、アブラハムやダビデたちがこの地上によみがえってくる、と説いていたことですね。
このシュローダー兄弟のこの発言に対し、日本の神戸で宣教師として奉仕されたことのあるロイド・バリー兄弟は、それらは「その時その時の真理」だと考えればよい、と答えています。そして、ソ連には130才の人さえいるのだから、「この世代」の解釈を変える必要はない、と主張しています。このような議論の後、統治体の成員の大部分は結局、従来の考えを変更する必要はない、という結論に達しました。会議の終わりに、「もし皆さんがこれまでの解釈を主張し続けようというのであれば、それはそれで結構でしょう。しかし、エホバの証人は1914年の教義のすべてをアドベンチストから受けたのだという事実だけは覚えておいていただきたい」とスウィングル兄弟が発言して終わっています。
それから8ヶ月後の11月14日の統治体会議においても、この「世代」の問題について議論をしています。実はそれに先だって執筆委員会が開かれました。その委員会では、1914年から数える「この世代」の解釈を、従来どおり強調し続けることが得策かどうかを検討したのです。その席上カール・クライン兄弟が、将来この説を変更した場合、証人の間に動揺が生じないよう、この問題にはしばらく触れないでおいた方がよいのではないか、と発言しました。結局執筆委員会は、このクライン兄弟の発言の方向でまとまりました。
ところが、その後開かれた11月14日の統治体会議は、執筆委員会の決定を無視してしまいます。そして、従来の解釈を堅持していくことを確認します。ちなみに、当時の執筆委員会のメンバーとは、ロイド・バリー兄弟、フレデリック・フランズ兄弟、レイモンド・フランズ兄弟、カール・クライン兄弟、ライマン・スウィングル兄弟の5名でした。
翌80年2月17日の統治体会議においては、アルバート・シュローダー兄弟が、ギレアデ聖書学校や支部委員会のセミナーにおいては、1914年から70年を経た1984年をこの世代を数える起点にしてはどうかということが話し合われている、と報告しています。
それから二週間後の80年3月5日の統治体会議は、司会者委員会から出された提案を検討しています。それは、ソ連がスプートニクを打ち上げた1957年を「この世代」の起点に置いてはどうか、というものでした。この提案は、同委員会の委員長アルバート・シュローダー兄弟をはじめ、その委員会のメンバーであるカール・クライン兄弟とグラント・スーター兄弟の三人全員が同意していたものです。というのは、もし委員会のメンバーの中で提案に賛成しない人がいる場合には、提案文書にそのことが書かれているはずですが、手元にある提案書のコピーにはそのような断わり書きはないからです。
統治体が今回の変更をいつどのように決めたのかは、明らかではありません。ただ、80年代半ばには、変更する方針を固めていたことはうかがうことができます。というのは、昨年日本語に訳された『洞察』の英語版は88年に出版されているのですが、その「世代」という項目を見るなら明らかです。その書物は、71年に出版された『聖書理解の助け』という書物の同項目を基にして記されており、マタイ24章34節の解説の部分を除くなら、他はすべて同じです。マタイ24章34節だけを変えているのは、この解釈が変わってもこの書物を用い続けることができるよう準備していると考えるのは自然なことです。
この変更を一般のエホバの証人に知らせるために具体的な準備に入ったのは、1993年の1月、現会長ミルトン・ヘンシェルが協会の責任をとりはじめてからのようです。それまで統治体は、自らを「神の唯一の伝達経路」と規定し、その教えることはすべて正しいと主張してきました。むろん外部から指摘され弁明しておいた方がよいと思われることには、工夫してその情報を流し、タッキング理論によって説明してきました。しかし、93年の初めの頃から、組織はかなり開き直って弁明するようになったと思います。村野さんにはそのようには写りませんか。
例えば、自分たちのことを預言者だと主張したことはない、組織は間違うこともありうる、たとえ間違ってもその間違いを謙遜になって正直に認めるから神の組織である、などと強弁するようになりました。世の終わりを預言して失敗したさまざまの宗教グループを紹介しますが、その組織の失敗を非難しないで、そのような失敗にも関わらず、終わりへの期待が消えなかったことを強調しています。私にはこれはとても奇異に見えます。
さらに、最近のものみの塔の出版物は、「新しい光がきらめく」という言葉を繰り返し、教理や聖書解釈の変更をほしいままに行なっています。それは、それまでの『ものみの塔』誌の雰囲気ととても違うように見えるのですが、私の思い過ごしでしょうか。こうして教理を大きく変えるための下準備をしてきたと読むのは、意地悪い見方でしょうか。それとも本当はそうだったのでしょうか。村野さんのお考えを聞かせてください。
もし統治体が、それまで教えてきたことを簡単に変えてしまうようであるなら、ものみの塔が今日真理として教えていることは、明日には真理ではなくなってしまう、ということですよね。別の言葉で言えば、ものみの塔は真理をもっていないということに他なりません。時代によって変わってしまうような教えを真理と呼ぶことはできないからです。そして、統治体を「神の唯一の伝達経路」と信じることは間違っていると言うことです。神は真理を 示されるお方であって、すぐに訂正しなければならないような教えを与えるなどということは、村野さんも信じられないでしょう?
輸血禁止も、エホバというみ名を使うことも、エホバはヤーウェと発音した方がよいことも、エルサレム崩壊の年は607年であるという教えも、144,000人だけが天上に行くことも、大群衆は地上の楽園で生きることも、国際連合に対する理解も、イエスが語られたの例えの解釈も、啓示の書の解釈も...きっとそのうち皆変わるのかもしれません。それらの教えが変わらないという保証はありませんよね。新しい光が来るかもしれませんから。
昨年私は、創設者ラッセルの書物を何冊か読んでみました。特に啓示の書について注解した「終了した秘義」はおもしろかったです。そこにはとても滑稽な解釈が出てきます。現在村野さんたちが学んでおられる「啓示の書」の書籍と比べると百か所以上の変更がなされています。彼の書物は今日のエホバの証人にとっては、それはもう時代遅れになってしまい、歴史的価値しかなくなってしまっているのでしょうね。そのように、今日のエホバの証人の教えも同じ運命をたどるかもしれないということをお考えになったことはありますか。
『ものみの塔』誌93年月1日15号は、エホバの証人はラッセル以来一貫して1914年の臨在に関して正しい理解をしてきたかのように述べています。これは『啓示の書』でも『エホバの証人』の書物でも同じです。村野さんは、ラッセルの書物をお読みになったことがありますか。ラッセルは、1874年に臨在があったと信じ、1914年には世の終わりが来ると信じていたことはよくご存じですよね。ラッセルはこの計算をするのに、ピラミッドから導き出しました。決して神の光ではなかったことは今日のエホバの証人は皆認めることでしょう。同じことが今日の統治体にも起こる可能性についてお考えになったことはありますか。そうお考えになることが信仰の弱いこととか、サタンにやられてしまうことなのだとはお考えにならないでください。真実を信じることは神がもっとも求めておられることですよね。
エホバの証人は、「統治体が説く教えを真理だ」と信じているわけではないのですね。エホバの証人は統治体がくるくる教えを変えても、変える度にその新しい教えを真理だと受け入れますね。私の知っているあるエホバの証人は、もう開き直って「今度はどのような新しい光が与えられるのかと、ワクワクしながら期待して待っている」とまで言うようになってしまったのです。結局皆さんが信じているのは、もはや聖書でも、統治体が説く聖書の教えでもなく、統治体そのものだと言わなければなりません。これは神信仰ではなく、組織信仰ではないでしょうか。建前はともかく、実質的には、エホバ神を信じているのでも、キリストを信じているのでもなく、統治体を信じていることになります。私には、それはもはや、キリスト教の異端という範疇に入れるより、カルト集団の信仰、と規定した方がよいように思うのです。エホバの証人が聖書の教えをそのまま信じるようになっていただきたい、と切に思わされています。
統治体が気ままにその教えを変えることは自由です。しかし、その統治体の権威を信じている一般のエホバの証人に対して、本当に痛みを感じます。統治体こそ「神の唯一の伝達経路」と教え込まれ、その教えを絶対的なものと受け止めなければならないからです。統治体が間違ったとき、誰がそのことを正してくれるのでしょうか。エホバの証人たちは自分で聖書を解釈する自由を認められていないので、統治体が教えることをそのまま信じ、そのまま他の人に伝える以外にないのです。個人の意見は「独立的考え」として否定され、高慢な人間が陷る最も罪深い行為と見なされています。協会に批判的な書物や声に耳を傾けることも許されていません。それらはすべて背教者のもの、悪魔からのものとして、ポルノ雑誌と同じぐらい忌み嫌うべきものとされています。従ってどれ程大きな教理の変更があっても、欺きがなされても、組織内にいる限り、それに気づくことはないのです。気づいても発言する自由がないのです。どこか、本当におかしいと思いませんか。
ずいぶん長い手紙になってしまいました。お時間をとって申し訳ありません。以上書きましたことは私の正直な気持ちです。ものみの塔について学べば学ぶほど、多くの疑問が沸き上がってきますので、自分がエホバの証人になれるかどうか分りませんが、今でも、エホバの証人の信仰が本当に真理であるなら、あるいは聖書が本当に言おうとしていることと一致しているなら、ものみの塔の信仰をもつべきだという気持ちに変わりはありません。何を捨てても、エホバの証人になります。これはお約束します。
お返事いただければ幸いです。
次第に寒くなってまいりますね。お体を大切になさってください。
研究のとき、静かに眠っておられた村野さんのお子さん、もう大きくなられたことでしょうね。聖書の真理を発見されますようにと心よりお祈りしています。
私はいつもあわただしくしておりますが、時間を取るようにいたします。村野さんさえよろしければ、いつでもお出かけください。私がお伺いしてもよろしいかと思います。
聖書の神が、村野さんのご家族の上に豊かな祝福をお与えくださいますように。
1995年11月10日
元研究生
中沢啓介