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お店で、質のいい靴、ていねいに作られた靴を眺めるのってとても好きです。ましてや、その靴が自分のものになって自分の足の一部になっている・・ということにでもなったら、もうそれは止められません。。 靴の何が好きなのか・・という質問は愚問かもしれません。何が好きって、靴のすべてが好きなんだから。新しい靴の匂い、ぴかぴかに磨いた後の爽快さ、ほんと、今の言葉で言うのなら、靴が心を癒してくれるといったところでしょうか。(笑) 熊谷登喜夫の靴はそんなことを私に教えてくれたようです。
前に述べたように、熊谷登喜夫に関する情報は1980年代の雑誌を片っ端からかき集めないとなかなか出てこないようです。でも雑誌は捨てられるものですし、私のもとにも彼の靴に関するものはほとんど残っていません。まさに、「あとには、靴だけが残った。」といったところでしょう。。熊谷登喜夫の靴がどのくらい人気があったのか今となっては調べようもないのですが、でもその当時のおしゃれな人達の間では彼がかなりのカリスマ的存在であったのは間違いないようです。桐島かれんがTOKIO KUMAGAIの靴を履いていると雑誌に紹介されていたのを覚えています。しかも、散歩用の靴にしていると・・・(なんてことを・・(>_<))
上にある靴の絵は、TOKIOが亡くなった後発表された靴の型一覧です。トキオ・クマガイのお店が私の修理した靴を返送してくれた際、靴箱の中に“お得意さまなので、特別に予約をお受けします。”と次シーズンの型を送ってくれたんです。3足あって、この絵ではわかりにくいですが、甲の部分のひらひらが鮮烈な青または赤のヌバック、そして本体は黒のヌバックでできているというとてもしゃれたデザインでした。“欲しいなぁ・・”と思ったのはやまやまですが、この年私はアメリカ留学が決まっていて、そういう遊び感覚の靴を買う余裕がなく、これらの靴を手に入れることはできませんでした。今となっては後の祭り・・ シーズンになってすぐお店で履いてみたらとても素敵だったんですけど。。今思い起こしてみてもTOKIO KUMAGAIの商品の中には、「買っておけばよかった・・」と悔しい思いをするものがとても多いです。一番最初に試し履きをしたシルバーのスリッポンや、緑のタッセルがついた小人の靴、黒の極上の皮でできたブーツや、太めのベルトの中に時計を組み込んだ腕時計(今では珍しくないデザインですが、私はこの時計のデザインは熊谷登喜夫が発明したのだと思っています。)それから、上にある靴3足。どれも喉から手が出るほど欲しかったのに、そして今でも欲しいのに、なんで躊躇したんでしょうね。。今目の前にそれらすべてを出されたら、そしてすべてがヴィンテージものになっていたとしても、全部買うと思います。きっと借金してまでも。(笑) 靴はお金を出せば出しただけいいものが手に入るものです。そこが洋服と違うところでしょう。大事にすれば何年だって持ちますから。
今考えてみると、TOKIO KUMAGAIが消滅してしまった後の私は“これからどうすればいいのか??”と、その後に不安が残りました。実はこの思いは今でも続いており、心の底から思うのは、「TOKIO KUMAGAIの前にTOKIO KUMAGAIはなく、その後もまだ現れていない。」つまり、TOKIO KUMAGAIの靴の代わりをしてくれる靴メーカーは今もどこにも存在していない、ということなんです。唯一少しだけいいな、と思うのはドイツのトリッペン。でも、コンセプトは好きだけど、トリッペンのすべてが好きというわけでもないし、TOKIO KUMAGAIの靴のように私を完全に魅了しているわけでもない。。
お店もしゃれてました。TOKIO KUMAGAIが消滅した後に、ああいう空間(お店の中のデザイン性と、お店の人の雰囲気と)を持つお店に出遭ったことはありません。大きな椅子があったんですが、そこに座るとほっとしたもんです。普通、そういう椅子に座ると、緊張するもんでしょ。それが違った。お店の人も靴のことをとことん知ってる人達で、ちゃんと私に合った靴を探してくれたし、簡単な修理はその場でお店の人がやってくれました。(すごい、と思った。)
TOKIO KUMAGAIのことを書き始めると止まらなくなっちゃう。。(笑) 本当に愛してたんだと思います。でも、熊谷登喜夫は亡くなってしまったんだから仕方がない。そう自分に納得させるしかありません。
私達を熱狂させてくれた熊谷登喜夫。
永遠なれ。
TOKIO KUMAGAI on Flickr
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