今回はレウキッポスとデモクリトスの二人ですね。何で今まで一人ずつ扱って きたというのに、急に二人もいっぺんに扱うかというと何も筆者が「面倒くさ くなった」とか、「簡略化しよう」と何気に合理化をはかっているとかいうわ けではなくて、レウキッポスが余りにも資料を欠いており(その実在を疑う説 もある)、通常レウキッポスの思想はその弟子デモクリトスと一括して説明さ れるのが通例だからであります。

さて、Vorsokrathikerらしくまた例によって彼らの考えたアルケーを取り上げ たいですが、今度のそれは「アトム」です。少なからず予想されていた方がい るかもしれない寒いギャグをいえば、もちろんあの「鉄腕アトム」のことでは ありません。「アトム」とは「分割されえぬもの」というような意味でして、 要するに、「原子」のことです。

そして、この「アトム」は今までのエンペドクレスやアナクサゴラスの考えた 元素と違いそれぞれ一つ一つの間に性質上の差異は認められず、ただ形が違う だけとされたのです。そして、多様なの事物や現象はその「アトム」の配列と 位置の違いによってだけ生じてくるものであると考えられました。

ところで、デモクリトスが考えたことの特色というのは何もこの「アトム」だ けには限りませんでした。というよりも、哲学史的にはむしろ今から述べるこ との方がより重要であるかもしれません。それというのは、彼らは「空虚(ケ ノン)」を認めたのです。というのも、上の「アトム」が運動するためには、 その間に「空間」がなければならない、そしてこの「空間」は何も埋まってな い「空虚」でなければならない、と考えたからです。

これは、パルメニデスの「有があり、非有はない」という命題に真っ向から対 立するものでもあります。すなわち、「非有」の存在が説かれたわけです。こ のようにデモクリトスらは「アトム(有)」と同じ程度に「空虚(非有)」に もその存在を認めたことになったのです。

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