JA2CGHの履歴
私が無線に興味を持った最初のきっかけは、「中津川ハムクラブ」の公開実験をたまたま通りがかりに
見学出来たからであった。
「JA2AHA 纐纈さん」、「JA2AJC 小出さん」、「JA2APQ 吉村さん」、「JA2ASL 葛西先生」
あたりが公民館の広場へリグ、アンテナを持ち出して、QSOの一般公開をしていた訳である。
その時の私は確か小学校5年生だったと記憶している。
不思議な感動を味わったものであり、かつ興奮もした。
「子供の科学」なんかを読んでいたが、それ以来無線の雑誌も読むようになり(CQ誌はちょっと難し
すぎて、買わなかった)6年生の時、JA2AHAさんの協力を得て部品をかき集め ”0−V−2” を
完成させた。
更に、これにBC帯の小出力AM送信機を内蔵させ、BC帯のAMトランシーバーを完成させた。
しかしながら、周りに相手がいる訳でもないのでラジオで自分の波を聞いて満足するしかなかった。
中学に進学すると、1年先輩の「JA2BOK 越さん」とクラブで知り合いとなり、更に彼がなんと
電話級に挑戦していることを知ると、なんとなく自分もその気になってしまい、関連の書物を読むように
なった。
しかしそれもつかの間で中学2年に進級する時、父親の転勤で私も一緒に岐阜県郡上郡八幡町に
引っ越すこととなり、越さんとはその後高校に在学している時一度お会いしたり、更に大学受験での
東京でのベース基地をお願いするとか、中津川市に再度戻るまで文通とか、たまのアイボールとか、
結構不思議なおつき合いが続くこととなる。
その間、ちゃんと勉強を独学ながらして中学2年の時、電話級の国家試験を受けることになる。
当時、試験は名古屋市公会堂(鶴舞)で行われていたが、郡上八幡からは当然日帰りで受験できる
訳ではないので、学校には2日間の休みの許可を受けて受験をした。
幸いなことに、父親がちょうど桜山で仕事上の研修を受けていたので受験の間面倒を見てもらう
ことができ、その点はラッキーであった。(中学生が一人で泊まるなんて考えられない)
学校としても初めてのことであり随分と注目されたが、幸い受かったので結構褒められたりしたもので
あった。
無線局免許は、昭和36年5月10日付けで「JA2CGH」のコールサインで受領できた。
試験の合格通知を受けてからこの5月10日過ぎまでは、勉強もそこそこで受信機は既に出来ていた
ので送信機作りだけではあったが没頭し、随分と母から叱られたものである。
受信機は高一中二のスーパー、送信機は807のハイシング変調による807シングルの10W AMで
あった。
問題はアンテナで、SWRに関する認識がなかった為、多分まともに波が乗らなかったのであろうが
一応はフルサイズのダイポールであったがまともにTVに妨害が出てしまい、QSOもままならなかった。
当時、郡上八幡ではTV電波は名古屋のテレビ塔の直接波を受けて共聴で配給していたが、この
配給のケーブルがなんと平行線であったため、当局の電波の方が電界強度の点で強いためTV信号を
抑圧してしまうこととなった訳である。
高校は名古屋の東海高校へ入学した。
当然自宅から通学できないので、下宿生活となった。
そんな訳で、高校時代は無線とは一切縁が切れてしまった。
受験勉強と読書に明け暮れる日々が続いた。
でもその間をついて、演劇部と放送部に所属してのクラブ活動もやった。
特に放送部に於ける成果は、3年生の時作った番組がNHK主催の「全国高校放送コンクール」で
優勝し、文部大臣賞を戴いたことである。
そんなこともあったので、この頃考えていた事は将来マスコミ方面を目指すのか、電子方面の
技術者を目指すのかということであった。
その辺が決まらないと、受験校が決まらない。
いろいろ悩んだりもしたが、電子を選んだ。
この決定には、やはりアマチュア無線の影響がおおいにあった事になる。
千葉工業大学の電子工学科へストレートで入学した。
というか、他の受験した学校には合格しなかった。
ここでも選択に迷った、そのまま入学するか、浪人して再挑戦するか。
結局、そのまま千葉県習志野市津田沼の千葉工業大学電子工学科へ通った。
でも、かの有名な 「JA1YDU」 は知らずに卒業をしてしまった。
これだけが僅かながら悔やまれることではあるが、もしこのクラブ局へ所属してコンテストでもやって
いたら、多分今日の私はなかったことであろう。
そして、この時も安アパート住まいであったから、無線をやることは思いつかなかった。
無線はやらなかったが、この大学生活では自作の受信機で深夜放送を聞くことを覚え、その後
オーディオに凝る事となる。
大学では電子工学研究会に所属していたが、この時親しくして戴いた先生から別項で述べた
第一商事でのアルバイトの話が出る事となり、結局この話がその後の私の人生を決める事となる。
最初は何で電子を勉強して商社なんだと思ったりしたが、その頃オーディオに凝っていたので
パイオニア製品とか会社にも興味が沸き、酒でごまかされ、先生には煽てられて、結局この会社に
お世話になる事となる。
第一商事に入社するかどうするか迷っていた時、実は何故かジャズの専門誌「スイングジャーナル」
に採用が決まっていた。
ストーリーが長くなるので省略するが、オーディオに凝ったことが理由で「スイングジャーナル」誌
との縁が出来ていた。
だが、第一商事には大学の先輩がいて一生懸命私を口説いた。
そして、結局第一商事に決めた。
大学3年の頃からアルバイトで出入りしていた第一商事(株)へは、昭和44年4月へ正式入社をした。
ここでは、輸出の仕事に携わる事となる。
大学の時、冷やかし半分でやっていた英会話が、少しは役に立つことになった。
でも、まだ無線は再開していない。
仕事柄海外出張へも何回か行ったし、社内でも海外からバイヤーが来た時なんか、電子の技術屋と
いうことで結構重宝がられたし、海外の友人も出来た。
最大の成果は、この会社に同じく勤務していた家内と結婚出来た事である。
そして長男が生まれた時、無線が再開されるのである。
昭和48年再開、中学卒業が昭和37年であるから丁度11年間、私の無線の虫が眠っていた事に
なる訳だ。
家内が長男の出産の為実家へ帰っている間に、取引先の懇意の人が八重洲無線の 「FT−401S」
を特別の安価で手に入れてくれた。
アンテナは 「ECHO−8G」 という7−28MHzまでの4 Band GPでスタートした。
しかしながら、わずか10Wではあるもののアンテナが GP ということであったので、近所への
インターフェアに悩まされ、自ずと運用は深夜に限られる事となった。
目論見は21MHzでのDXであったが、そんな訳でもっぱらローカルとの深夜のラグチューと
なってしまっていた。
うまくしたもので、21.230MHzで「230グループ」というのがあって、夜な夜なちゃんと
お相手をしてくれた。
そんなことを続けていてもDXの夢はあきらめられず、更にCWに挑戦する事にした。
まずは電信級、一年後には2アマと順調に資格はとれた。
念願のDXは、21MHzでのCWでやっと実現した。
最初のDXは「OK2SYS」であり、そのカードは大切に保管されている。
昭和50年、父親の退職に伴い実家を継ぐつもりで故郷へ帰ってきた。
前に出てきた 「JA2BOK」越さんを頼って現在の勤務先の親会社へ、再就職した。
ここでは輸出業務を含む営業がメインの仕事であった。
引っ越してきたのは中津川市にあるその会社のアパートなのだが、嬉しいことにアンテナを張る許可と
スペースがあったことで、早速電波監理局に100Wの固定局申請を行い3ヶ月後には無事落成検査
も合格し、アンテナも14と21MHzの別々のモノバンダービーム、1.9/3.5/7MHzの
ダイポールを上げる事が出来た。
さすが100Wとビームの威力はすさまじく、暫くの間は無線三昧を楽しむことが出来た。
その間キーは、ずーっとバグキー及び縦振り電鍵を使っていた。
昭和59年、現在地に自宅を建てるべく岩村町の実家へ名実ともに帰ってきた。
自宅は昭和60年に完成し、同時にコン柱も建て、念願の25mタワーも平成2年には建立出来た。
現在使用中のアンテナは、7MHz 3エレ、14/21MHz 5エレ がタワーに上がっており
サブのコン柱には、18/21MHz 4エレ と 14/21/28MHz 6エレ が上がって
いる。
更にタワーからは、1.9/3.5/3.8/10MHz のダイポールが引っ張られており、かつ
自宅の屋根に 430MHzの 12エレ スタックと 144/430MHz用 GP が上がって
いる。
リグは「TS−850S」と 「TL−922」の500Wであるが、なるべく早いうちに HFは
1KWに、そして50MHzは500WにQROしたいと思っている。
また、キーはバイブロおよびハイモンドのマニュピレーターを使い分けて、もっぱらエレキーで運用
している。
目下の課題は50MHzであって、アンテナは昨年の台風の後降ろしたままになっていて、固定では
運用すらままならない状態が続いている。
以前は、コン柱に上がっていたが台風でマストが曲がってしまい、それ以来怖いので50MHzを犠牲
にして上げずに我慢をしているからである。
現状では、まずまず自分の思ったように事は進んでおり、十分満足している。
家族からは嫌われようと、アマチュア無線はこれからも私の楽しみであり、老後の楽しみでもあるので、
更なる進歩を目指して鋭意努力して行きたいと思っている。
昭和36年1月10日 「電話級アマチュア無線技士」免許
昭和48年5月11日 「電信級アマチュア無線技士」免許
昭和49年7月25日 「第二級アマチュア無線技士」免許
平成6年5月27日 「第一級アマチュア無線技士」免許
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