開拓時代のアメリカに生まれ育ったローラは、常に夢と希望の地を求めている父親、チャールズが進める幌馬車に揺られ、アメリカの大草原を移動しながら成長しました。
彼女が見た景色を私も見たいと、幌馬車ならぬ車で、ローラの人生をたどる旅に出てみました。
彼女が住んだ場所を、写真と合わせて御紹介します。
Wisconsin州、Pepin:(写真)
1867年2月7日、Pepinから約7マイル離れた場所にあるログ・キャビンで、父親Charlesと母親Carolineの次女としてLaura
Elizabeth Ingallsは産まれました。
ローラの名前が付けられた公園があり、ログ・キャビンのレプリカや、思い出の品が展示されています。
近くの墓地には、「大きな森の小さな家」に名前が出ている人々が眠っています。
Missouri州、Chariton County:
1868年、一家はMissouri州、Chariton郡に引っ越しますが、約1年住んだだけでまた引っ越します。
Kansas州、Independence:
「土地を耕して5年間住んだ者には160エーカーの土地を無料で提供する」という政府の「Homestead
Act of 1862」に夢を馳せ、チャールズは家族を連れてIndependenceから約12マイル離れた場所に移ります。エドワードおじさんが、雪の中をクリスマスプレゼントを持ってやってくるシーンは特に印象に残っています。「大草原の小さな家」
「政府が方針を変え、軍隊が住人を追い払いに来る」という噂を聞いたチャールズは、1870年に家族をPepinに戻します。でも、またチャールズの「西へ、西へ。」という想いがムズムズ沸き上がってくるんですねぇ。
チャールズが建てたと思われるキャビンのレプリカや井戸、話しに出てくる学校や郵便局も残っています。
Minnesota州、Walnut Grove:(写真)
そして1874年に一家はWalnut Groveへ引っ越します。
ここはテレビ「大草原の小さな家」の主な舞台なので、名前を覚えていらっしゃる方も多いと思いますが、本の方は「プラムクリークの土手で」ですね。
テレビでは、チャールズが建てた半2階建ての家に住んでいますが、この家が完成するまで一家は横穴式の家(というよりも洞穴にドアを付けた感じ)に住んでいました。何年か前に崩れてしまって家はもう残っていませんが、ローラ達がよく遊んだ泉は今も湧いています。
大きな夢を抱いて引っ越してきたにもかかわらず、Maryが視覚を失ったり、1876年にはチャールズが溺愛していた息子Charles
Fredericが1才の誕生日を待たずに無くなり、また2年続けていなごの大群に襲われ作物は台無し。Iowa州、Burr
Oakでホテル管理の仕事を見つけたチャールズは、1876年に家族を連れて引っ越しますが、翌年、またWalnut
Groveに戻ってきます。その後、チャールズは店番、肉屋、大工などの仕事を転々とします。
子供たちは学校にも通へ、貧しいながらも落ち着いた生活を送っていましたが、チャールズは夢を捨て切れずにいました。そこへ、鉄道を敷く仕事の話しが舞い込み、チャールズは大喜びでこの話しを受けてしまいます。
キャロラインは街で育ったお嬢さんでした。チャールズに振り回され、土と埃にまみれた人生を彼女はどう考えていたんでしょうか。
現在、ローラ・インガルス博物館に多くの品物が展示されており、町にはNelson家族など本に出てくる隣人の家も保存されています。
町の墓地では、キャロライン、メアリー、ローラとAlmanzoの間に生まれ名前が付く前に亡くなってしまったBaby
Son、妹のCarrie、末っ子のGrace達のお墓に参拝できます。
また、話しに良く出てくるMankatoとSleepy Eyeの街も、現存しています。
South Dakota州、De Smet:(写真)
1879年にWalnut Groveを離れてから1880年にDe Smetに落ち着くまで、伸びて行く鉄道と一緒に家族も旅をしていました。ここでの話しは「シルバーレイクの岸辺で」で語られています。冬の間鉄道仕事は中止されていましたが、1880−1881の厳冬の様子は「長い冬」で伺うことができます。
毎年夏には、町の子供たちが演じる「大草原の小さな家」を観劇することができます。まさにローラ達が駆け回っていただろう大草原に建てられた舞台で繰り広げられる劇を見ていると、ローラの時代にタイムスリップしてしまったかのようでした。
チャールズが建てた家、ローラ達が釣りを楽しんだ湖、チャールズが植えた綿の木などが残っており、ローラとキャリーがチャールズへの贈り物(サスペンダー)を買ったお店では、今も買い物をすることができます。
思春期に入ったローラの生活は「大草原の小さな町」で読む事ができ、教師の仕事に就き、アルマンゾとの出会いそして結婚までを綴った「この楽しき日々」で、シリーズは終わります。
ローラの死後発見された「はじめの四年間」は、1971年に発行されました。ここでは結婚後の苦労話(作物の不作とそれに伴う負債、息子の死、ジフテリアにかかったアルマンゾの体が不自由になる、家の火事など)とともに、娘Roseの誕生など楽しい思い出が語られています。
Missouri州、Mansfield:(写真)
1890年にDe Smetを離れたローラとアルマンゾは、Minnesota州、Spring
Valleyへ、そしてFlorida州、Westvilleへ移り、またDe
Smetに戻ってきます。1894年に再度De Smetを離れたWilder家族は、Missouri州、Mansfieldに引っ越します。De
Smetから幌馬車で6日間かかったそうです。二人は購入した土地を「Rocky Ridge」と名づけ、年月をかけて耕し林檎の木を植えます。ローラとアルマンゾは、それぞれ1957年と1949年に亡くなるまでここで過ごしますが、娘のローズは町を出ます。1909年にClaire
Laneと結婚し息子をもうけますが、1910年に息子を亡くし1919年に離婚後、ロッキーリッジに戻ってきます。
1932年に発行した「大きな森の小さな家」がヒットし、その後出した本も次々に売れ、ローラ達の生活は豊かになっていた筈ですが、アルマンゾは亡くなるまで畑の世話をしていたそうです。
ローラ達が住んでいた家は、今でも人が住めそうなくらいモダンな家でした。家の中では家財道具や衣類などが展示されており、向かい側の建物ではローラ達にちなんだお土産が売られています。(ローラの服や靴を見て、彼女が本当に小柄な女性だった事にびっくり。本やドラマではパワフルなイメージですよね。)二人のお墓も近くに見つける事ができます。
秋には「Wilder Day」と「Rocky Ridge Day」があり、「Wilder Day」には芸術や音楽、パレードを楽しみ、「Rocky
Ridge Day」にはテレビ「大草原の小さな家」の出演者や作家、写真家などを招待してのイベントが行われています。
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