【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(8) ルーブル美術館を“独占”
[1999年01月27日 東京夕刊]

 午前中はルーブル美術館を訪れ、午後は美術専門学校で“もぐり”の学生。これまで独学で描いてきたが、初めて本格的な絵の勉強ができるとあって夢の日々が続いた。

 日曜日には貪欲に美術館を見て回った。画家が実際に住みアトリエとして使っていた美術館を訪れるのは楽しかった。ロダンの邸宅、ロダンの弟子ブールデルのアトリエ、ドラクロワが晩年を過ごし息を引き取った部屋、象徴主義の代表画家モローの住宅兼アトリエ。彼らの体温が伝わってくるようだ。

 ルーブルには毎日のように通ったが、私にとっては巨大迷路。いつも開館と同時に入り、つかれたように歩き回った。ある日、入り口は黒山の人だかり。ちょうど休館日で観光客が「せっかく来たのに何で入れないんだ」と警備員に詰め寄っている。私は休憩室から外に出たことを思い出し、逆のルートで中に入ってみた。館内はガランとして貸し切り状態だった。

 味を占めた私は、閉館日にこっそり忍び込んでは、一人で美術鑑賞を楽しんでいた。だが、ついにミロのビーナスの足元で休んでいるところを警備員に見つかってしまった。死に物狂いで逃げたが、あのとき捕まっていたらと、今でも冷や汗が出る。

 こうして数々のすばらしい油絵に触れるうちに、同じ油絵を描いても絶対にかなわないことに気付いた。私自身のルーツである日本的な絵を描こう。そう思い、春の訪れとともに帰国した。

 たった半年のパリ滞在だったが、生活が荒れた日本からの画学生もたくさん見た。留学先では注意してくれる親や友もない。日本人としてのプライドを忘れず努力を続けねば、貴重な時間はすぐに過ぎてしまう。

 (日本画家)

【写真説明】

 半年間、滞在したパリ

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