【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(7)“もぐり”の学生になる
[1999年01月21日 東京夕刊]

 昭和四十六年、二十八歳で本格的に絵の勉強をしようと、あこがれのパリに来たものの、何のあてもない。郊外の安宿に落ち着いた私は、セーヌ河岸の国立高等美術専門学校「エコール・デ・ボザール」に足を運んだ。創立一六四八年、マチス、ルオー、マルケらを輩出した名門校だ。

 何とかして中に入りたいと眺めていると、若い学生グループが次々と中へ入っていく。小柄な私はグループの一つに隠れて、まんまと建物に入るのに成功した。

 女学生の後ろをついていくと、迷路のような廊下を通って着いた場所はクロッキー室。なんと、全裸の女性モデルを学生たちがスケッチしているではないか。もちろん全裸モデルなど見るのは初めて。うれしくなった私はすぐに学校の前の画材屋で道具をそろえ、翌日からこっそりとクロッキー室に通いつめた。

 最初のころは隠れるようにして一番後ろでスケッチしていたが、頭の中は絵を勉強したい気持ちでいっぱい。夢中で描くうちに、だんだんと前の席へ移り、ある日、大胆にも一番前の席で描いていると突然、女教師が私のスケッチブックを取り上げた。

 「これで追い出される」と観念してうつむいていると、どうも様子がおかしい。先生は学生たちを集め、私の絵を見せながら何か言っている。多少フランス語が分かりかけたころで、どうやら「この絵はいい。線がきれいだ」と、褒めてくれているようだ。

 奇跡が起こった。先生はニッコリ笑ってスケッチブックを返してくれ、授業に出るのを黙認してくれた。こうして私は“もぐり”の学生として堂々と美術学校に通えることになったのだ。(日本画家)

 

【写真説明】

パリ・セーヌ川

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