【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(2)描くのは足の裏ばかり
[1999年01月07日 東京夕刊]

 やりきれない思いで故郷を離れた私は、嫁いだ姉を頼って伊豆・下田へ向かった。そこで得た職は温泉掘り。むさくるしい男ばかり五人で寝食を共にし、朝から晩まで汗にまみれて働いた。

 当時の伊豆は観光ブーム。肩に食い込む鉄管に歯を食いしばって歩く我々のすぐ横を、笑いさざめく客を乗せた観光バスが通る。ヘルメットに直足袋、ベトベトと油で汚れた自分の姿が、高校を出たての心にはつらく、女学生が通ると急いで隠れたものだ。

 その村の橋のたもとに、混浴の共同浴場があった。ある時、現場監督が「明るいうちは女学生が入りにくるらしい」と。彼は「今日は仕事はやめ!」と叫び、我々は共同浴場に走った。急いで服を脱ぎ、まだ誰もいない浴槽に鼻までつかると、十個のギラギラした目玉がずらりと並ぶ。

 待つことしばし、ばあさん二人が入ってきた。私は目を閉じ、湯舟に沈んだ。そんな私たちを見て、心配そうにばあさんは言った。「あんたたち、長湯でのぼせたかい」

 夜は六畳一間の民宿で五人が雑魚寝。一番年下の私は隅に追いやられ、汚い足で頭をポンポン蹴られる。毎日が空しくやりきれず、私は絵を描き始めた。皆が寝静まり、破れた雨戸から差し込む月明かりで見えるのは仲間の足の裏ばかり。しかたなく何枚も何枚も足の裏を描き続けた。

 伊豆へ来て一年ほどたったころ事故が起きた。ワイヤロープに巻き込まれた仲間の腕はポキポキと折れ、悲鳴さえなかった。数日後、今度は私の番だった。パイプを吊っていた何トンもの機械が手の上に落ちてきて、寸前で奇跡的に止まったのだ。瞬間、頭が真っ白になった。

 翌日、理由も告げずに私は仲間たちから去った。(日本画家)

【写真説明】

温泉掘りとして働く

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