【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(19)佐賀で悩み振り切り再出発
[1999年02月24日 東京夕刊]

 平成三年、万葉集に登場する女性をテーマに描いた一連の作品「万葉のひと」を発表した私は、古典の世界に興味を持つようになった。そこへ、ある新聞社から「平安遷都千二百年の平成六年に向けて、源氏物語を描いてみませんか」との勧め。気軽に「いいですよ」と答えたものの、すぐに後悔した。

 なにしろ源氏物語の一行どころか、作者の紫式部がどういう人かさえよく知らない。片っ端から現代語訳を読んでみるが、気持ちは混乱し迷うばかり。風俗習慣、調度品、自然環境までが現代とは全く異なり、今までに経験したことのない冷たいものが背筋を走った。

 私は救いを求めて、岐阜県・中津川の源氏物語研究家、青山フユさんを訪ねた。老先生のお住まいは江戸時代から続く武家屋敷で、私は朝から晩まで正座して、先生が読んでくださる原文をひたすら拝聴する。その声は裏庭の竹林を渡る風のように神秘的で、いつしか私を千年前の世界へと運んでくれた。

 幾度となく先生の元へ足を運んでは、必死で筆を進めるが、実に苦しい作業だった。私は“風の画家”といわれるくらい自分の気持ちの赴くままに筆を動かしてゆくタイプだが、源氏物語は完全な“静”の世界。女性たちは御簾(みす)の中に引きこもって十二単にくるまり、手や顔さえも隠して生活する。

 これをどう描いていいか考えると、胃が痛くなり、息苦しくなる。このままでは気が狂ってしまう。ギリギリまで追い詰められたとき、私は絵筆だけをバッグに詰め、家族を東京に残してひとり故郷の佐賀へ移り住んだ。平成五年、五十歳の春だった。

 一番安心できる故郷に住居兼アトリエを借り、すっぽりと絵だけを描ける環境に入る。「ここからが出発点だ」−そんな気持ちで、私は再び源氏物語に取り組み始めた。

 

【写真説明】

故郷の佐賀は最も心安らぐ地だ

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