【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(16)通り過ぎたモデルたち
[1999年02月17日 東京夕刊]

 よく「絵のモデルさんはどうやって選ぶんですか」「どんなタイプの女性を描きたいですか」と聞かれる。

 これまで十数人の女性にモデルになってもらったが、驚いたのは、そのうちの二人が手首に切り傷があったこと。どこか似たタイプを求めていたのかもしれない。

 心の中に自分の気持ちを閉じ込めておくような女性が私は好きだ。それがちょっとしたしぐさ、例えば表情の陰りや、かすかな手の動きに現れる。そういう女性を見ると、たまらなく描きたくなる。

 私は昭和五十一年、三十三歳で絵かきになろうと、広告代理店を辞めて独立したが、若いころはモデルを探すのが難しかった。電車や道で気になる女性がいると必死で声をかけるのだが、怒られたり、ばかにされたり、すごい勢いで逃げられたり。あるスナックでとても気に入った女性を見かけ、こういう女性を描きたいとジッと眺めていたら、隣にいた男の人にいきなりぶん殴られたこともある。

 あの大久保清事件(昭和四十八年)で、当時、画家のイメージはあまり良くなかった。ベレー帽をかぶって画家と称し、「モデルになってくれませんか」と女性を誘い車に乗せる手口。誘った女性は百五十人以上、車に乗った女性は五十人、そのうち八人が惨殺された。字は違うが、私の「きよし」という名前もよろしくない。

 私がまだ海の物とも山の物ともつかぬころ、モデルになってくれた女性たちには感謝している。今思うと、幸せになった娘、そうでない娘、あのころ私が美しいと思ったものを持ち続けてる人、そうでない人、いろいろだ。私は彼女たちの最も輝いていた時期に立ち会えたわけで、男として不思議な気がする。

 彼女たちに当時の私が描いた絵をぜひまた見てほしい。きっと失った何かを見つけられるだろう。私は本質の部分を描いたつもりだから。

【写真説明】

初めてモデルになってくれた女性が個展に来てくれた

1