たった四階の違いだが、その差は気が遠くなるほど大きい。私は「いつかあそこで個展を開いてやる」と生きる目標にかかげ、死に物狂いで作品を描き続けた。そして初個展から六年、ついに夢の舞台から誘いが来た。私は声がかかるや恥もなく舞いとび、会期までの半年間で、百号の女性画五点を含めて約五十点もの絵を描いた。後にも先にも、あれほど集中して絵を描いたことはない。
昭和六十三年四月、いよいよ個展が始まり会場に入ったときは、さすがに感激で涙が出てきた。興奮のうちに初日が終わり、ガランとした会場にふらりと一人の男性が現れた。痛ましいお姿に最初は目をうたぐった。いまは亡き手塚治虫先生だ。先生は一時間ほどかけてじっくり、じっくりと絵をごらんになり、最後に私の手を握って一言。「何も言うことはありません。素晴らしい」と立ち去られた。
翌平成元年の早春、手塚先生は胃がんでこの世を去られた。享年六十一歳。まさに不治の病の身で、入院中の病院を一人で抜け出し、私の絵を見に来てくださったのだ。私は巨匠といわれる人の激しさ、とどまることのないあくなき魂を見た思いがした。
実は手塚先生には、どうしても私の絵を見ていただきたかった。高校時代に私は何度も自分の描いた絵と手紙を先生に送っていたのだ。一度も返事はもらえなかった。だが、あの日のあの言葉が先生のお返事だと思っている。
【写真説明】
小田急グランドギャラリーでの個展