子犬には、私の画号「梅吉」と同じ「うめ吉」と名付けた。高校三年の時にがんで亡くした母「梅子」からとった名だ。いつも母をそばに置いておきたい、名前を残しておきたい。そんな気持ちから、子犬のうめ吉が誕生した。
母の願いは、私が故郷の佐賀・厳木(きゅうらぎ)町の駅員になることだった。閉ざされた炭鉱町に若くして嫁ぎ、東や西へと続くこの駅にあこがれと夢をもち、せめてと私に託したのだろう。だが、いつも笑顔で私を包んでくれた母は他界し、父はたった二カ月で再婚。翌年、私は母が願ったその駅から一人旅立った。
四十代になった私は“風の画家”と呼ばれ、個展で日本各地を旅するようになっていた。西の方へ行った折は、つい故郷の佐賀へと足が向く。母の面影を求めて実家の近くをこそこそと盗み歩けば、人づてに息子を見かけたと聞いた父が「なぜ家に寄りつかぬ」と怒る。
気ままに帰り「やはり故郷はいいな」とぬかす私に、友は杯を止めて言う。「おれらはお前が出ていった後もここに住み、年を重ねた。たまに帰ってくるお前は、まだ仲間に入れられんばい」と。
平成元年、私は四十六歳。気がつくと母の亡くなった年になっていた。世はまさにバブル景気。ポツンと取り残された故郷の町は、東京に住む私に妙によそよそしく、それでも私は子供のころの真綿にくるまれた気持ちが恋しくて、せっせと佐賀へ立ち寄る。
ある日、その故郷の入り口の国道沿いに巨大な看板が立ち、驚いた。そこには私の子犬「うめ吉」のキャラクターがどんと描かれ、「風の故郷 厳木町」と書かれている。
【写真説明】
美人画の系譜に新ページを加える中島氏の画集