【人生讃歌】“風の画家”と呼ばれて 中島潔氏(12)初の個展で心が震える
[1999年02月04日 東京夕刊]

 三十三歳で広告代理店を辞めて好きな絵を描き始めたが、すぐに絵描きとして食っていけるわけもない。銀座のギャラリーに個展の売り込みに行っては断られ、「どうせ私なんか」といじけ、ふてくされる。高校卒業と同時に故郷の佐賀を離れてもう十五年。ずっとつきまとっていた孤独感がますます募っていった。

 だが、ついに運が巡ってきた。私の絵を店に飾ってくれていた東銀座の喫茶店のオーナーが、「中島さんも、卵で言うと殻をつついてやるとヒヨコが出てくる時期。僕がアレンジするから個展を開きなさい」と、新宿小田急デパートの美術ギャラリーに掛け合ってくれたのだ。

 夢にまでみた初個展は昭和五十七年九月に開かれた。私は三十九歳。会期の六日間はアッという間に過ぎ、恥ずかしいことに興奮のあまりよく覚えていない。

 だが、体が悪いらしく、弟に背負われて来場し「ああ、来てよかった」とため息をつく四十代の男性がいた。「叱られて」という絵の前で、歌を歌いながらボロボロと涙をこぼす二十代後半の女性がいた。絵描きになってよかったと心が打ち震えたものだ。

 人生には幸運が折り重なるようにやってくる時期がある。私にとっては、まさにこの年。NHKから初めて仕事の依頼を受けて手掛けた、みんなのうた「かんかんからす」のイメージ画が全国で注目を浴びた。教育評論家のカバゴンこと阿部進氏に“風の画家”の名をいただき、二回目以降の個展を次々とアレンジしていただいた。

 私は三十九歳にして初めて、人々の優しさに支えられて生きていることを実感できた。凝り固まった心が解放されてゆく。私の絵には暗い部分と、希望に満ちた優しい部分が混在しているが、前者は三十九歳以前、後者はそれ以降の心模様が現れているようだ。

 

【写真説明】

初めての個展で、カバゴンこと阿部進氏(右)と

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