『プラ・ダーレム、死の寺院』
アルフォンソ・リンギス 管啓次郎訳



概略:
かつて徴兵に逃れてやってきたバリ島のクタに「ぼく」は再びやってきた。匿われた店では当時と変わらずに「キノコ」入りオムレツが売られており、「ぼく」はそれをオーダーする。「ぼく」は真昼の通りを練り歩くバリの祭りの一団に出くわす。「ぼく」もまた一行と同じく浜辺を目指して歩いていく。砂地に腰を下ろして海を眺めているうちに海岸線はすっかり暗くなってしまっていた。音楽の流れてくるほうにはプラ・ダーレム(死の寺院)がある。寺院内では儀式が行なわれていて、ガムランの音楽に合わせ、さまざまな舞踏で彩られ進行していった。クリス(短剣)を持った男達は次第にトランス状態に陥ってその動きは激しくなっていく。まるで「ぼく」がそこにいないかのように「ぼく」の背に寄りかかっていた若い男もトランス状態になっていくが、しかし「ぼく」はいっこうにトランス状態にはならなかった。祭りに参加した観光客もトランス状態になるが、ペダンダたちはわめき続けるその二人の訴えをも聞くが、「ぼく」はそれにいらだちを覚えた。儀式は消散し、人々は海のほうに出て集まっていた。「僕」は生きているものの体が死者のものであることを感じる。朝になるとクタのバリ人はいつもの陽気さを取り戻して活気に溢れていた。「ぼく」に寄りかかっていた若い男もその空気になじんで陽気である。しかし「ぼく」の存在には誰も目を向けようとはしなかった。

作者アルフォンソ・リンギスについて:
リンギスについては購読書の冒頭に付いてる作者紹介紹介を見れば分かると思いますが、1933年生まれで、リトアニア系移民のアメリカ哲学者です。フランス現象学と実存主義の研究者として出発し、バタイユ、ブランショの思想に接近する。旅行者で、バリを初め世界各地を旅しており、「プラ・ダーレム、死の寺院」もその結晶である。

リンギスの主な著作:
「惑わし」「さまざまな過剰 エロスと文化」「異質なるものども」「何一つしない者たちの共同体」など



*バリ島の歴史と文化と世界観

1バリ島の歴史

バリは紀元10世紀頃からジャワ王の支配下にあった。バリの王とジャワの王女の間に生まれた王子エルランガはバリの最古の王朝の王となり、バリとジャワの間にに強い絆を生んだ。ジャワ文化はバリ文化の文化的発展に重要なものとなったのである。

14世紀に入ると東ジャワの新帝国マジャパイトの属国となる。そして20世紀初頭、オランダ人の植民地としての色を濃くしていく。1950年インドネシア共和国の一州とされ、70年代以降国際的観光地として位置づけられている。

そのようなジャワ文化の影響によって形作られてきたのが

2バリの文化の不思議なほどの豊かさ

→感性を伸び伸びといかし、積極的に表現した文化、宗教。細分化・自己目的化されていない芸術。宗教、芸術はほとんど生活の中に溶け込み、生活の一部となっている。劇、舞踊のパフォーマンスの即興性。ルールブック(大筋や決まった型の数々)から自在に組み合わせて、個人個人が新しいものを生み出している。

3バリの文化と生活を支配する世界観、宇宙観

・三分法→バリの世界(天界、人界、冥界)
 人間のからだ(魂、思考や感情を持った第二の体、肉体的な体)

・場所(トポス)の意味の重要性、方向感覚の重要性
   →外観は異なってもバリの寺院の構造、配置は同じ
   →カジャ(山側)とクロッド(海側)

カジャは神のいる場所、好都合な、神聖な、幸運ななどの意味を、クロッドは魔物のいる場所、不都合なもの、不吉なもの、冥府的なものの意味合いを持つ。この二つは互いに補いあって全体を形作っている。どちらが欠けても世界は成り立たない。

・プラ・ダーレムと魔女ランダ

・村の中の3つの寺院→必ず一組となって存在する
 プラ・プセ:村の先祖を祀る寺院。
 プラ・デサ:共同体の繁栄を司る寺院で、主な儀式はここで行う。
 プラ・ダーレム:村から外れた原っぱのような露天型の寺院。海側(主に海岸線)に建てられる。

・島の聖なる山、アグン山を中心として、村を人界、海岸沿いにプラ・ダーレム、墓場、そして魔物が住む邪悪な場所である海。天上(神)の世界、地下(魔物)の世界、人間の世界(村)はその二つの世界の狭間に存在すると考えられている。

・プラ・ダーレムの役割
死の女神ドゥルガを祀っているが、たんに葬式を行なうわけではなく、人々が災害や病気、穢れから身を守るために、それらを司る魔物や魔女たちを祀り上げる寺院である。ところで、この女神ドゥルガは多くが魔女ランダの姿で表わされる。

・魔女ランダの性格
色々なものの化身。色々なものに取り付き、神出鬼没。魔術を使って病気を直すこともある。チャロ・アラン(バロン・ダンス)に出てくるが、恐ろしいだけでなく、とても表情が豊かな人間臭さを感じる魔女。


ランダの存在には、邪悪なものや人間の弱さを単に切り捨てたり抑圧したり無視したりせずに、むしろそれらを顕在化させ、解き放ち、祀り上げることによって、苦しみや衝動的な感情などから自己を守るとともに、文化に活力を与えるという役割がある。

・聖獣バロンと魔女ランダ
チャロ・アラン劇の中で魔女ランダと戦う聖獣バロンはあらゆる面で魔女ランダと対照的である。

*バロンとランダの性格

   バロン           ランダ
  ・男性的          ・女性的
  ・善            ・悪
  ・太陽、光         ・夜、暗闇
  ・右手の魔法        ・左手の魔法
   =善なる魔術の使い手    =足樹魔術の使い手

しかし、これらの要素を持っていても、二つの存在は神と悪魔といった対立関係にあるのではなく、バロン自身も怪獣として天上の世界とは反対の世界に属している存在である。ランダもまた、死を通して再生も司っている。また、必ずしも天上の世界と地下の世界に境界線が引かれているわけではなく、死の女神は魔女ランダの形を取るし、創造神シワ神が暗黒神カラであったりと、対極の要素を同時に持ち合わせている。

・バロンダンス
空想的な聖獣の冒険についての舞踊パントマイムでクライマックスは必ずトランス状態の男性群の荒々しいクリスの舞い(ルボン、グレッ)で終わる。魔女ランダと聖獣バロンの戦いの物語は最古の王朝のエルランガとその母親の話がもととなっていると言われており、現在のバロンダンスは西洋人によって作られたもので、舞踏としての芸術性が非常に高いものとなった。

・クリス(短剣)
もともとはインドネシアで地位の高い人物が用いていた名高い武器であった短剣。今日では象徴として、装飾品として身に付けるだけになっている。しかし何代にも渡って受け継がれたクリスは家族にとって最も大切な果報であり家族神の目に見える形でもあって、祖先の霊力がその中に生き続けているとされ実際に祭の対象となる。クリスは神々からの贈り物で、あらゆる災厄からの魔除けとされている。

   左 キワ         右 テゲン
   悪、陰の性格       善、陽の性格
   霊的不浄の状態      清浄な状態
   悪霊が住む汚れた場所   神々(祖先霊)が居る場所
   海、浜辺、森、四辻    山頂近い川、水源
   不健康、悪意、粗暴、   正義、美、豊作
   不幸、破壊、失敗、病気  繁栄と健康

   死            生



プラ・ダーレム、死の寺院

1本篇の内容

・本篇全体にみられる死の象徴
 珊瑚虫の骨、枯れた樹木の根、ゴア・ラワールの洞窟(→バリでは洞窟は死者の国へと続いていると言われている)、「黒い血(のように)」(悪霊、魔物に捧げる供物の一つ)、墓場、死体など、ストーリーのあちこちに死を連想させる言葉→常に死はいたるところにあることを暗示

・なぜバリ島を訪れようと思ったのか

・「ぼく」とぼくに寄りかかってきた「若者」の関係
「ぼく」と「若者」の違い:外来者と内在者、トランス状態になることへの恐怖を抱く者と恐怖から逃れるためにトランス状態になった者寄りかかってきたのは暗闇で見えなかっただけなのか

・ペマンク、ペダンダの行動にいらついたのは何故か

・ぼくを「誰も見向きもしなかった」のは何故か?

・ぼくの得た「答え」=死と生は循環して永遠に続いている

   人は屍肉を食らって命を得ている


2著者リンギスについて

 この作品を描くにいたった思索の旅彼を旅に駆り立てた現象学

3バリ島の歴史と文化と世界観

 1) バリ島の歴史
 2) バリの文化の不思議なほどの豊かさ
 3)  バリの文化と生活を支配する世界観、宇宙観
     ・三分法→バリの世界(天界、人界、冥界)
      人間のからだ(魂、思考や感情を持った第二の体、肉体的な体)
     ・場所(トポス)の意味の重要性→方向感覚の重要性
     ・外観は異なってもバリの寺院の構造、配置は同じ
     ・カジャ(山側)とクロッド(海側)
 4) プラ・ダーレムと魔女ランダ
     ・村の3つの寺院       ・魔女ランダの性格
     ・聖獣バロンと魔女ランダ   ・バロンダンス
     ・クリス(短剣)       ・ペダンダ、ペマンク

4テキストから

・「若者」が「ぼく」に寄りかかってきたのは暗闇で見えなかっただけなのか
・ペマンク、ペダンダの行動にいらついたのは何故か
・「ぼく」を「誰も見向きもしなかった」のは何故か?
・「ぼく」の得た「教え」

 バリ人々の陽気で活力あふれる日常を裏で支えているのはプラ・ダーレムで行なわれている儀式である。トランスは心の中の弱さ、苦しみ、を開放し、また新たに生活していくために欠かせないものなのである。
 プラ・ダーレムの儀式は単なる呪術的、魔術的なものではなく、現代の科学的、視覚的なものが中心となって失われつつある経験的、体感的、感性的なものが中に包まれている。
 バリ人は外部から入ってくるものを自分たちの中に取り込むことをいとわず、例えば、寺院の壁の彫刻に自動車に乗る人やビールを飲む外国人の姿を描いたりもしているという。しかし、彼らの持つ独特のバリ文化、生活、世界観といったものは今も息づいており、どれほど西洋文化が流入し、現代社会との一体化が進んでもバリ島独特の、組織単位(村)を持ちながらも、個人個人が持つ個性を大切にするという体制全体が壊れない限り、バリの宗教と呼ばれる規則体系から切り放すことは出来ない。
 バリ人にとって宗教は法、地域社会をまとめる力である。




(小山玲子 1999.10.04)



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