アルカナ通信195号

1999年1月10日発行

内容
新年、新世紀、新千年 を迎えるとき
49 バス司教からのクリスマス・メッセージ
89 聖餐式
新教会一口英語(6)
もろもろのお知らせのいろいろ
上下句選
辛口一番

新年、新世紀、新千年を迎えるとき

しい年を迎えて、何か決心をなさいましたか。1999年は、今世紀最後の年、今千年最後の年です。この一年は、まるまる新世紀と新千年のための準備の年になります。決心はある意味では、主との個人的約束ですから、他の人が知る必要はありませんが、それについて参考になることをご自分なりにチェックしてみるのはいかがでしょう。

  1. 主との個人的約束として、主のみ前で決心をするのはいかがでしょう。自分の頭に浮かんだことを手帳にメモする程度では足りないと思います。善はすべて主から来ることを知っていますので、主のみ助けなくしては、何一つ善ができません。したがって決心したことが守れるよう、主にお願いすることを忘れないようにしたいものです。

  2. 決心は悔い改めに基づいているでしょうか。悔い改めないままの決心は、ジャンプ力がありませんから、挫折するかも知れません。自分のいたらなさ、弱さ、醜さを知れば、それだけ向上にハズミがつきます。去年一年をざっと反省するだけでも、悔い改めの材料がたくさん出てきます。

  3. 新聞やテレビで騒がれていることが重大なのでなく、「主とわたしとの関係」が一番重要です。それがここ一年ゆらいでいたなら、改善しなくてはなりません。主にたいしての無関心、冷淡、欲求不満な心を養っていなかったでしょうか。
  4. 主とわたしとの関係を、親戚、知人、友人など、周りの人との人間関係にすりかえてはいないでしょうか。仁愛はすべて、主を愛することから出発しますから、主への愛なくしては隣人愛もありません。人間関係にとらわれていると、主への愛も、隣人愛も失われていきます。

  5. 毎日〈みことば〉に接しているでしょうか。聖書と聖なる著作から適宜選ぶことは、さほど難しいことではありません。選択に迷うときは、ヨハネ福音書13−19章を読み返し、祈るのはいかがでしょう。

  6. 〈みことば〉を差し置いて、あの著者、この学者の意見に耳を傾けても、あまり心の糧にはなりません。〈みことば〉だけが魂を養います。それは魂の創造主の〈みことば〉だからです。

  7. 〈みことば〉以外にも、霊的な助けになる本はありますが、主の神性を疑わせるもの、〈みことば〉の神的啓示性を疑わせるものには、とくに警戒しましょう。読んだ後、霊的に沈滞していきますから、その本質が分かります。

  8. 思いついた時に祈るより、毎日の日課の中で、ある一定時を祈りにあてるといいです。多忙にまぎらわされ祈りを怠り、生活がくずれると、結果的には、流入の方向が否定的に変わってきますから、すぐ気がつきます。

  9. 主からの流入、天界や善霊からのものは、肯定的で、感謝と〈よろこび〉と隣人愛が含まれていますが、地獄や悪霊からのものは、否定的で、懐疑、不満、邪推が含まれています。

  10. この一年間を「祈りの年」にしませんか。祈りによって、自分も変わり、周りも変わり、日本も変わり、世界も変わります。世界が暗黒と否定に向かって走っていくとき、主と〈みことば〉を知っている者は、光と肯定に向かって走ります。わたしたちはみな天界に行くように予定されています。

49 バス司教からのクリスマス・メッセージ

  ルカ福音書2:25,26 さて、エルサレムにシメオンという名の人がいました。正しい心の人で、信心深く、イスラエルの救いを待ち望んでおり、聖霊に照らされていました。シメオンは主キリストを見ないで死ぬことはないと、聖霊によって啓示されていました。

ルカ福音書2:29−32  「主よ、〈みことば〉にしたがって、あなたのしもべを今こそ安らかに逝かせてください。わたしはあなたの救いを目撃しました。それはすべての国民の前に準備された救いです。それはまた異邦人を照らす光であり、あなたの民イスラエルの栄光です」。

天界の秘義6238  [旧約聖書に出てくるシメオンは、ヤコブの次男でした]シメオンは意志の中にある信仰を意味します。これはまた行動の中での真理でもあります。すなわち信仰の善であるとともに、真理の善です。

天界の秘義3872  「シメオン」が意味するのは、このような性格です。これは教会における第二の普遍的なものです。これはわたしたちの再生の過程、教会になる過程での第二のもので、信仰の真理を実践する意志、つまり従順を意味します。この従順すなわちこの意志に、仁愛が植えつけられますが、この仁愛こそ[ヤコブの三男]レビを意味しています。

 間には、希望と待望という感情がありますが、この二つはおたがいにつながっています。何かに希望を抱くと、結果がどうなるかは、はっきりしませんが、待望を寄せるとき、希望の実現が分かってきます。  メオンの物語は、待望の物語です。シメオンは、主キリストを目撃することを確信していました。毎日それに思いを寄せて生きていました。それが生き甲斐でした。みなさん想像できるでしょうか。朝目覚めて、今日こそかいびゃく開闢以来の奇跡が目撃できる日ではないかと思って、シメオンんは生きていたのです。ところが、それが起きました。待望の日々は終わり、シメオンは自分の腕に、嬰児の主を抱くことができました。よくクリスマスで歌うあの美しい言葉を口にしました。

 メオンという名の意味は「聞く」 からきており、わたしたちの中にある「従順」を表します。またそれ以上のことも表しています。信仰によって〈よろこび〉の知らせがあるとき、わたしたちの宗教が示す事柄にあこがれて待ち望むとき、心に宿る霊は「シメオン」です。つまり意志の中にある信仰のことで、その信仰が行動に導き、心に天界を想像するために頑張ろうとします。

 愛はこのような霊の中に芽生えます。やがてシメオンは死んでいきます。ことが実現するとき、待望や憧れは必要なくなりました。その代わりに実現の〈よろこび〉が生まれます。シメオンが主のご誕生を喜んだのはずっと昔のことで、その待望は終わりましたが、その結果わたしたちは宗教生活を送り、本物の愛をくださる主のお約束を思って、安心できるようになりました。その愛を待ちあこがれていますが、その日は必ずやってきて、待望の日々は終わります。「主よ、〈みことば〉にしたがって、今こそあなたのしもべを安らかに逝かせてください。わたしの目はあなたの救いを目撃しました」 と言う日がきます。

 のクリスマスに、みなさんの信仰が強められ。主のみこころを行う願いが高められますように。主は、かならずみなさんの心を訪れてくださいます。(以上バス司教)

   

89 聖 餐 式
ラ sancta coena 英 holy supper

トリック教会では、これをミサまたはミサ聖祭といいます。この「ミサ missa (英語の mass)」は、「(神から)遣わされたもの」という意味です。新教会では、プロテスタントと同じく、holy supper (聖餐式)またはLord's supper (主の晩餐式)と言います。主はご自分の十字架上の死去前日、弟子たちと最後の晩餐を行って、これをご自分の記念として行うよう命じられました(マタイ26・26〜29)。司祭はみな毎日ミサをささげ、それを主の死と復活の尊い記念として、今日までこの儀式を大切に守ってきました。その中心は聖変化で、司祭はパンを手にして「これはわが体なり」と唱え、両手で高く挙げて礼拝します。また葡萄酒のはいった杯を手にして、「これはあなた方のために流すわたしの血である」と唱え、同じように両手で高くかかげ礼拝します。また聖体拝領(陪餐)では、主のおん体とおん血をいただくと考えます。

ンと葡萄酒がキリストの体と血に変化することを、神学的には「実体変化 transsubstantiatio 」と言い、たとえ外観はパンと葡萄酒であっても、実体はキリストのおん体とおん血になったと信じます。ですから聖堂には明かりを点して、主の絶え間のない臨在を示します。しかしプロテスタントでは、このような考えを化体説として否定し、むしろシンボルまたは記念の意味を強調し、ミサという言葉も使いませんし、教派によって違いますが大体月一度くらいの頻度でしか行いません。以上は、聖書の〈みことば〉の文字上の意味から生まれた従来のキリスト教的解釈です。

教会の教義では、主の〈みことば〉の霊的意味にもとづいて解釈します。パンが主のおん体の表象であれば、主のおん体は、主の天的善と愛の表象です。種なしパンを使用するのは、主の善と愛が純粋そのものであることを表します。また葡萄酒が主のおん血の表象であれば、主のおん血は、主の天的真理および仁愛の表象です。そして葡萄酒はブドーがだんだん発酵して純粋の葡萄酒になるように、真理は、戦いと試練・誘惑を招くため、それによって再生が行われ、浄化されてていくことを示します。

は聖餐式に参加し、以上のような信仰をもってパンと葡萄酒の二つをいただきます。そのあと人の体の中で、善と真理が融合一致します。また葡萄酒が、霊的天使たちの隣人愛を示すものであるのにたいし、パンは、天的天使たちの主への愛を示します。

礼が教会への入門式であったように、聖餐式は天界への入門式です。人は心から悔い改め、再生を決意して聖餐式にあずかれば、天界とのつながりができ、それを通して、主とつながります。パンと葡萄酒で表象される善と真理との結合は、天界での永遠の結婚を表象します。主と、その花嫁である新エルサレム教会との結婚は、新教会につらなる者にとっては、これ以上の誉れと光栄は考えられません。

参考箇所  『天界の秘義』4211、 4217(2)、『啓示された黙示録』224 (終りの部分)、『真のキリスト教』711、 728。

新教会一口英語(6)

Heaven and hell is in your heart
天界も地獄もあなたの心の中にある
これは新教会の諺のような印象を与えますが、ドイツの諺です。さて、上の英語をじっと見つめてください。どこかに誤りがありませんか。文法的な誤りです。見つかりましたか。そうです。主語が heaven and hellですから複数のはずです。

だから heaven and hell are でなくてはなりません。 それがどうして単数の is になっているのでしょう。
それが分かれば、まずは英語の勘がするどいと言えるでしょう。 あるいは新教会の方なら、これがどうして単数になるか、すぐわかるでしょう。つまり心を占めるものは天界からの流入か、地獄からの流入かのどちらかで、天界からの流入があれば、地獄からの流入はありませんし、地獄からの流入があれば、天界からの流入はありません。

だからこの英語は、"Heaven or hell is in your heart" と言いたいところなのを、and にしたのでしょう。というのは両方ともが交替で心を占めるから、一方だけということはありません。or にすると、どっちか一方だけのような印象を与えます。  さて、英語の勉強を兼ねて

"Heaven is in my heart,    but hell is not in my heart"

の練習はいかがですか。 さて、「わたしは天界が心の中にあるのを願っています」を英訳してみましょう。 I want the heaven to be in my heart.

  以下二つの英文の意味は、どこが違いますか。

I wish I will have heaven in my heart.
I wish I could have heaven in my heart.

もろもろの お知らせの いろいろ

◎アルカナ友の会に入会された方を紹介します(敬称略)

 山田茂   

クリスマス献金 ありがとうございました。
 12月29日現在までの合計:¥658.900(29名)

尊いおささげ物が主のご用のために使われるよう努力いたします。お陰様で、去年は3冊の新刊書(『小品集』『聖日礼拝式文』『著作の自己証言』)、それに、エプソンのカラー・プリンターLP8000C を購入できました。ご覧のような『アルカナ通信』の印刷が可能になりました。

◇ アルカナ出版の平成11年度計画に入っているものは、現在進行中の原典訳『Summaria Expositio』(仮称:略説)と、『メディテーション 1』です。後者は『祈りのとき』が残部がわずかになり、その代わりとして、著作の特定箇所を抜粋して、祈りに使っていただきたいと思い、現在編集中です。

○ バス司教からお手紙いただき、司教訪問につては、今年は遠慮し、来年の8月末、10月末、11月初めはどうかとの打診がありました。2000年6月には世界大会がカナダで行われますが、バス司教とリサの日本訪問は、そのあとになる可能性があります。
 また世界大会出席について、団体旅行をご希望の方は、アルカナ友の会会員の鈴木泰之さん(Tel.0425−65−5398)にご連絡ください。アルカナ出版としては、特別なプログラムは用意していません。

◆バス司教からいただいたクリスマス・カードは、2面に和訳してあります。鈴木桂子さんからのご要望でした。

上下句選

世紀末 世紀初めに 新生気

辛口一番

アガトス  次の世紀に、人類には何が起こるでしょう

アマトス  「未来を知りたければ、過去を見よ」という諺があります。

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