去る四月二十三日に、私はAさんご夫妻のお宅を訪問しました。Aさんご夫妻は、四十数年前からのエホバの証人で、統治体の成員の一人であるロイド・パリー氏を個人的に知っておられるし、日本支部員とも親しくしておられるということで、是非、ものみの塔聖書冊子協会に関するお二人の率直なご意見をお聞きしたい、と思いました。そこで、インタビューを申し込んでみると、快く引き受けてくださいました。次に紹介するのは、その時のインタビューです。
ウッド‥最初に、いつ頃からものみの塔とかかわるようになったか、聞かせていただけますか。
Aさん‥一九五〇年代の始めからです。家内も、大体、同じような時期にかかわりを持ちました。
ウッド‥エホバの証人の訪問を受けられたことが、きっかけでしたか。
Aさん‥はい、そうです。その方は、宣教者で、とても感じの良い方でした。日本語は余り上手だったとは言えませんが、たどたどしい日本語で、小さな冊子を使いながら、「聖書にはこんなに良いニュースが書いてあります。調べてみませんか」という話をしてくれました。結局、毎週、私の家に来ていただいて、二時間くらい、勉強をさせていただきました。最初は、その人の非常に優しい、柔和な態度に引き付けられました。それから、司会者が変わりましたが、その方もとても良い方で、十四万四千人のグループの一人でした。こちらも色々と質問して、答えてもらって、ものみの塔の出版物を勉強したんです。その方は、「終わりが近い」ということを言っておられました。「何年に来る」とは言いませんでしたが、一緒に年代計算をして、一九七五年は人類の誕生から六千年目になるということが計算で出て来たんですね。それが後で、『神の自由の子となって受ける永遠の命』(注=一九六六年発行)という出版物にも出て来ました。初めは、その年に終わりが来るということを確信できなかったのですが、若い時に覚えたこととして、「一九七五年」というのが頭に残っています。それで、まだ小さい会衆でしたが、交わるようになって、色々な宣教者と話し合うことができました。皆、良い人ばかりでした。その当時は、伝道者の数は本当に少なかったのですが、活発に伝道されて、自己犠牲的な精神で、一生懸命にやりました。だから、私はこういう人たちの信じている宗教なら間違いないと思ったんですね。その人柄とか、態度を見て、引き付けられたんです。
ウッド‥その教えの内容はどんなものでしたか。
Aさん‥エホバという神がおられて、その神が我々人類に対して、非常に大きな愛を示しておられるということでした。そしてその子であるイエスを遣わして、神の王国を建てて、この地上に楽園を可復させてくださるという教えが中心でしたね。
ウツド‥その教えにも引き付けられる部分がありましたか。
Aさん‥そうですね。そうなれば良いと思っていました。でも、この一億人もいる日本で伝道している人は本当にわずかでしたから、私は、「終わりが来る前に日本で伝道するのは難しいことだ」と言ったんですね。そうしたら、「神なら出来ます」と言われたのです。そして、使徒たちの活動一章八節に、「あなたがたは地の果てまで、わたしの証人となる」と書いてありますから、実際にそうなるのかなと思っていましたけれども、段々と増えて来ましたから、やっぱり、この預言の成就なのかなと思ったんですね。
ウッド‥奥さんはいかがでしたか。
奥さん‥私も、司会者が非常に立派な人でした。その人の人格を見て、本当に尊敬しました。それまで、私はよく病気をしていたんですけれど、死もなくなる、病気もなくなる時代が必ずやって来るということに魅力を感じたんです。その方が他所の任命地に行かれたので、その人たちの後を一生懸命、しなければならないと思って、私は定期的に集会に行くようになりました。
ウッド‥初期は伝道者の数が少なく、Aさんはすぐに男性信者として指導的立場に立たれたと思いますが、どうですか。
Aさん‥私より先に勉強した人が一人いたので、彼が長老になり、私はその補佐をしましたが、後でその人が特開(注=特別開拓奉仕)に出て、他に誰もいないので、主催監督になったんです。そしてこの近辺で、伝道を始めたんです。その当時の巡回監督も非常に熱心で、一生懸命、働いておられました。
奥さん‥昔の地域監督も巡回監督も今とは違いますね。一生懸命に働かれました。
Aさん‥最初の司会者に、私がある男性を紹介して、研究のために一緒について行ってもらいました。お昼の時間になって、勉強が終わり、一緒にお弁当を食べることになりました。その時、ある喫茶店に入ったのですが、コーヒーを注文してから、その宣教者は鞄から紙包みを出して広げました。その中には、大麦かライで作ったばさばさのパンしかなく、つまむとばらばら落ちるようなものでした。それがお昼ご飯だったんです。そして、ある所で合同伝道をしようということで、私も参加しました。雨の日でした。ある宣教者の姉妹は傘を差していましたが、雨靴がないんです。普通のローヒールの靴で、もう最初から濡れてしまっているんです。でも顛を見たら、にこにこしています。そういう人が多かったですね。鞄でも、自分で繕って、持つ所がとれると、包帯を巻いて、それで伝道されていました。今の巡回監督と比べて、本当に質素でした。
ウッド‥Aさんが都市監督になられたというふうにお聞きしましたが、それは具体的にはどういう責任でしたか。
Aさん‥小さい都市の場合は、幾つかの都市をまとめて、都市監督が任命されて、協会からの通信物(指示・提案)を各会衆に伝えるという仕事で、そんなに大した仕事ではないんですけどね。大会監督の補佐をしたり、あちらこちらで色々な経験をしました。
ウッド‥様々な責任ある立場に立たれて、段々と、組織の中の色々なことを見たり、聞いたりされたと思いますが、「これはおかしいな」とか、「これはちょっと違うのではないか」と思われるような出来事はありませんでしたか。
Aさん‥そうですね。例えば、ある夏の地域大会の時に、ある兄弟はテントを張って、一つの部門で監督の奉仕をしていました。そして、兄弟たちに、「あれをやってくれ、これをやってくれ」と言って、自分で動かないんです。じっと座って、涼しい所で、ジュースを飲んだりしていた、そういうのがいましたね。ただ指示するだけで、働かないから、おかしいと思いました。それと、ある地域監督の兄弟は、大会の時に、自分の車専用のスペースを取っていました。ところが、ある兄弟がそのことを知らずに、そのスペースに車を入れてしまいました。そうしたら、監督はとても怒ってその兄弟を呼んで、「ここは私が車を停める所だったのに、誰が停めるように言いましたか」と言うんです。私はそれを聞いて、「どこでも良いんじやないか」と思ったんですが、地域監督のスペースに他の人が車を停めるなんて、もってのほかだとその人は考えたようです。また、昔の大会では、監督は一般の人と列に並んで、弁当を受け取ったりしましたが、今は並びません。弁当のために専用の姉妹が並ぶ訳ですね。並んで、部屋まで持って行く訳です。奥さんも行かないんです。だから、何か、自分たちが特権階級にいるから、そういう仕事はしなくて、他の人にさせておけばというような考え方です。
ウツド‥巡回監督は六ヵ月毎にそれぞれの会衆を回って、信者の家で世話になると聞きましたが、Aさんも巡回監督を家に泊めたことがありますか。もしおありでしたら、その印象をお聞かせください。
輿さん‥良い監督もおられました。特に、初期の頃の宣教者の監督は人格的にも、霊的にも立派でした。でも、その後の人は段々、「もてなしの精神を出しなさい」と言われるんです。「あの会衆はもてなしの精神がない」、「あの会衆はもてなしの精神がある」ということを、子供たちの前で言われたんです。そして、主人よりもはるかに若い巡回監督が来られるのに、主人がびびるんです(笑)。
Aさん‥まあ、気を使いますね。
奥さん‥私は、「もてなしの精神」程、嫌な言葉はありませんでした。途中からあの言葉が流行したようですけど…。
Aさん‥ある監督は玄関に落ちていた糸屑を拾って、「長老の家は清潔にしておかなければならない」と言いました。
ウッド‥会衆は「お車代」ということで、巡回監督にお金を渡すそうですが、会衆によって、額が違ったりすることはありませんか。
Aさん‥そういうことがあったようです。でもある時期から、協会の方から、走行距離に応じて車代を出すようにという指示が出ました。しかし、他の会衆はそれ以外にもポケットマネーとして渡しているかも知れません。私の会衆では、それをしなかったのですが、会計簿を見たら、いくらくらいお金があるか、分かるでしょう。でもその出すお金が少なかったら、会衆に対する印象が余り良くないみたいです。
ウッド‥末端の伝道者たちについてお聞きしたいのですが、一般の信者は根本的には真面目で神のご意志を行いたいと願っておられると、私たち外部の人間は感じるのですが、そのような認識は正しいのでしょうか。
Aさん‥エホバの証人は、その活動の中で、反対や迫害に遭っても「頑張っていきましょう。伝道はエホバの喜ばれることだから」と、お互いに励まし合いますが、ノルマの達成のためにただ時間稼ぎをしているように感しられる人もいましたね。伝道している時、休憩をして、コーヒーやジュースを飲むことがあります。それは、良いのですが、兄弟によってはその休憩時間が長いんです。普通は十分か十五分、休憩をして、リフレッシュをしてからまた伝道を再開するのですが、ある人は、三十分も休んだり、仲間同士の話し合いの時間を長く持ったり、ゆっくり歩いたりします。それでお昼になったら、「ああ、三時間やった」ということになるんです。 それと、開拓者は、一年間に一千時間、伝道するという目標があります。九月から新年度が始まるのですが、八月になると、開拓者は時間ばかり気にするんです。八月の終わりが近づくと、「あと二十時間、残っている」と言って、「研究について行かせてくれ」とか、「晩の奉仕に出るから、一緒に行ってくれ」とか言います。
ウッド‥証人の方々は、「伝道のノルマはない」と言われますが、実際はどうですか。
Aさん‥いや、それはあるんですね。
ウッド‥また、一般のエホバの証人についてお聞きしたいのですが、彼らは幸せだと感じておられるのでしょうか。
奥さん‥「このことをを聞かない方が幸せだった」とつぶやく伝道者がいました。それから、別の人が伝道の最中に、「十二時まで時間がある。どうやって時間をつぶそうか」と言っているのも聞きました。
Aさん‥結局、時間のために奉仕をしているということになりますね。 そして月末になると、「ああ、三十時間の報告ができた、六十時間の報告ができた」と自己満足する訳です。
ウッド‥ある元証人が、「ものみの塔の中の人間関係は、基本的には不信だった。中にいる時には気が付かなかったけれど、今思えば、あそこでの人間関係は、お互いがお互いを監視し合うスパイ組織のようだった」と言いましたが、これについてどう思われますか。
奥さん‥同じです。
Aさん‥私は個人的なことで、「このことは内密にしてください」と、他の会衆の兄弟に相談しました。しかし、すぐに、そのことが他の人に伝わっている訳です。そういうことが何回かありました。だから、「これはうっかり言えないな」と思いました。警戒するようになって、よっぽど信頼できる人でないと、何も言えなくなりましたね。ちょっと漏らしたら、それがばーっと広がるんです。それと、私の場合、前は色々な人が私に対する妬みがあったと思うのですが、色々なことを言われます。そして、それを代表して言って来る人がいるんです。私は、「それは卑怯なやり方だ。私に対する批判とか質問があるなら、直接、言ってくれ」と言ったことがありました。
ウッド‥組織の世の終わりに関する預言を信じて行動したために、後で困ってしまったというエホバの証人をどなたか、ご存じありませんか。
奥さん‥近隣の会衆に、一九七五年の預言を信じて、年金の掛け金を市役所に解約に行った人があります。市役所の窓口の人が考え直すように熱心に勧められても、解約されてしまいました。長老の奥さんに勧められて、そのようにしたのですが、その方は今は六十代で、年金が一銭ももらえません。ところが、長老の奥さんはちゃんと、年金をかけていたのです。
Aさん‥だから、表面はきれいだけれども、中では汚いことをするんです。例えば、柔道の問題でも、組織の指示に従って、授業に参加しなかった人がいるのですが、同じ会衆の長老は、自分の子供に柔道をやらせているんです。授業を拒否した子供が、長老の子供がやっているところを見た訳ですが、長老もその子供も、「やっていない」と言うんです。それと、もう一つの話ですが、先生にプレゼントをして、単位を与えてもらったエホパの証人の子供もいました。
奥さん‥大学の試験の前になったら、長老が受験する子供をマークするんです。家族に圧力をかけたりもします。
Aさん‥大学に行く子供は、全然、割り当てがありません。それが一つの懲らしめでしょうね。
奥さん‥中間テストとか、期末テストがありますでしょう。私の会衆じゃないんですけど、子供が集会を休んだら、長老が来るんです。そういう場合には、親兄弟がその試験の子供をガードするんです。席の前と後ろを。子供は集会中、テストに備えて勉強をしますが、見られないようにしなければなりません。
Aさん‥私たちの会衆のある女子高校生が、集会の中で、誰にも見られないように、一生懸命、英語の単語を覚えようとしました。だから、座っているだけで、集会の話を何も聞いていないんです。
奥さん‥私たちは、子供を休ませました。行っても仕方がないんです。そして、エホバの証人の子供は、学校に行くと、二重人格になります。
Aさん‥結局、ストレスがたまっているから、学校で暴れるんですね。
奥さん‥私の親類に、高校の先生がいるのですが、「ものみの塔の教育を受ける子供は、世間に通用しない人格になってしまう」と言われました。
ウッド‥他に、印象に残っている出来事がありましたら、聞かせてください。
Aさん‥審理委員会というのがあります。私もその委員になっていたのですが、ある時、煙草がやめられない人のことが問題になり、四回、審理委員会を開きました。協会の教科書には、繰り返し罪を犯す人は赦されないと書いてあるので、通常、排斥になります。そこで、私は「排斥にした方が良い」と言ったのですが、他の長老はなかなか、うんと言ってくれません。後で、その人は家が変わって、他の会衆に移ったのですが、その会衆の長老から電話があって、「あの兄弟は何度くらい、煙草の過ちを繰り返していますか」と聞きました。四回だと分かると、すぐにその人を排斥にしました。なぜ、私たちの会衆で排斥が成立しなかったかというと、本人ともう一人の長老がとても親しかったからです。何回もプレゼントももらったりしていたようです。あと、長老の推薦がありますね。まず聖書のテトスへの手紙、テモテヘの手紙を読んで、ある人が長老の資格を満たしているかどうかを一人一人の長老に聞きます。ある時、一人の男性が長老に推薦されたんですが、私の意見が求められた時に、人を組織して動かす能力に欠けていると思ったので、長老にしない方が良いと言ったんです。もう一人の兄弟も、同じ意見でした。しかし、巡回監督は、「この兄弟は開拓をしている。開拓をしているということは、信仰の強い証拠だ」と言って、組織に推薦してしまったんです。そして結局、その人が長老に任命されて、後で問題になってしまったんですが、そういうのを見て、個人の主観で決まるものだなーと思いましたね。
奥さん‥うちの娘は、三歳の時から、ピアノをやっています。小学校の時も、ママさんコーラスの伴奏をしたんです。子供は喜んでするんですけどね、必ず、電話がかかって来るんです。「目立ち過ぎ」と言われるんです。そして、中学の時に、卒業生を送るために、「ハレルヤ」の伴奏を弾きました。「ハレルヤ」は、エホバを賛美するから、良いでしょう?校歌も弾いていないし、国歌も弾いていません。でも、「あれは目立つから。エホバの証人は目立ったら駄目です」と言われるんです。その電話も、「研究生です」と言って、かかって来るんですが、名前を言いません。結局、司会者が自分の研究生に言わせているのだと思います。「あれだけクラブで活発にやるのは、何事ですか。そんなに時間があるなら、早く家に帰って、聖書通読をすべきです」と言うんです。
ウッド‥私はこの本(注・『エホパの証人 カルト集団の実態』)の中で、エホパの証人の精神病の問題に触れていますが、どう思われましたか。ジェリー・バーグマン氏が指摘しているように、精神病の発生率が高いと感じられますか。
奥さん‥私は感じました。その方の意見が合っていると思いました。
Aさん‥ある長老の娘は絶えず、恐れるようになって、集会に行っても、自分が皆から見られているという感しで、ノイローゼになってしまいましたね。子育てのことで、皆から色々なことを言われて精神的におかしくなった人もいます。あと、子供は親から「ああしなさい、こうしなさい、野外奉仕に出なさい」と言われて、自分が行きたくなくても、行かなければならないでしょう。でも中学生くらいになると反抗期に入るから、その鬱憤、そのストレスを学校に行って、晴らそうとする訳ですね。暴力を振るったりしてね。ある学校の先生は、「もう、エホパの証人の子供には困る」と言われました。
奥さん‥「巡回監督に良いように思ってもらおう、大会でプログラムに入れてもらおう」と思ったら、家族はもう、大変なんです。
Aさん‥それで、はっきりしているのは、大会のプログラムに出してもらいたいと思ったら、巡回監督にプレゼントするんです。そうしたら、必ず、出るんです。そのことを実際に証明した兄弟がいるんです。「あの兄弟は今度の大会に出る」と言ったら、本当に出たんです。どうして分かったかと聞いたら、プレゼントしている現場を見たからだと言うんです。
ウッド‥その「プレゼント」というのは、例えばどんなものですか。
Aさん‥お金もありますし、物もあります。ある巡回監督のお兄さんが百姓さんで、ある兄弟がその人に農機具をプレゼントしました。そのプレゼントした人はちゃんと、次の大会に出ました。うちの会衆のある姉妹も、巡回監督に贈り物をして、「今度、娘さんが大会に出るだろう」と皆で思ったら、やはり出ましたね。
ウッド‥その「大会に出る」というのは、皆の前で体験談を話すということですね。
Aさん‥巡回監督が訪問する時に、お母さんがプレゼントをして、「うちの娘はこうこうしています」と言うでしょう。すると、巡回監督は、「じゃ、今度の大会で話してもらいましょう」と言う訳です。大会の時、何千人も集まる訳ですから、その前で話をするということは、大きな特権なんですね。その特権をもらうために、皆、一生懸命にやるんですね。ある本に書いてあったと思いますが、馬の目の前にニンジンがぶら下げられているようなものです。
奥さん‥私たちの子供たちは、一度も大会に出たことがないんですけどね、「あの若い兄弟が他所の会衆で長老になったね」と息子にも娘にも言うと、二人とも、「お母さん、いくら払っているんだろう」と言いましたわ。だから、よく知っているんです、子供は。「そんなことを言ったら駄目よ」と言っても、現場を見ているからね。「お母さん、あの兄弟は巡回監督になったけど、いくら払った?」と聞きました。
Aさん‥人間は、物やお金には弱いんですね。
奥さん‥でも、昔はそうじゃなかったんです。昔はこういう運営の仕方じゃなかったんです。
Aさん‥食事をしても、皆、割り勘でした。巡回監督も一緒でした。「ごちそうしてあげるから、良いレストランに行きましょう」と言っても、「いやー、そこは高いから、大衆食堂に行こう」と言われたんです。
ウッド‥組織の体質が変わってしまった、その根本的な理由は何だと思われますか。
Aさん‥組織が大きくなったことも関係しているし、日本人の生活が豊かになったことも関係していると思います。
ウッド‥私の本の原稿に目を通していただきましたが、率直なご意見を聞かせていただけますか。
Aさん‥非常によく調べておられると思います。全くその通りだと思います。
ウッド‥「あなたは組絨の外部の人間であるから、あなたの書いていることは、あなたの偏見です」とか、「言い過ぎです」とか、色々なことを言われますが、この本はものみの塔の実態を正確に表していると思われますか。
Aさん‥はい、正確に表していると思います。
Aさんご夫妻は最近、ついに断絶届けを出され、エホパの証人としての四〇数年に及ぶ生活に終止符を打たれました。お二人の大胆な決断は、組織に大きな衝撃を与えているようです。海老名市にある日本支部から、「組織に戻ってください」という電話があったそうですが、かけてきた人間に名前を聞いてみても、名乗らなかったということです。
私がAさんご夫妻へのインタビューを申し込んだ時、お二人共、まだ組織にとどまっておられましたが、そのしばらく前から、集会にも、伝道にも行かなくなっていました。エホバの証人流に言うなら、「不活発」だった訳です。その時から既に、他のエホパの証人から、よく電話がかかってきていたといいます。ある時、一人の姉妹が電話でこう言ったそうです。
「もう一度、集会に出てください。あと一ヵ月くらいでハルマゲドンがやって来る、そんな気がするんです。本当に近いんです。」
それに対して、Aさんは、「それは、私が四十年前から言われていることですよ」と答えたといいます。
その話をしてくださった時のAさんの笑い顔はとても印象的でした。
(おわり)