「エホバ」のみ名−対話シリーズ

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話題3.イエスが旧約聖書を読まれたとき


クリスチャン:

イエスがエホバとという神のお名前を使われた証拠はあるのでしょうか?

(イザヤ書61章の朗読)

エホバの証人:

ルカ4章16-19節を読んでみましょう。
[そこで預言者イザヤの巻き物が彼に手渡された。彼は巻き物を開き、こう書いてある所を見いだされた。「エホバの霊がわたしの上にある。貧しい者に良いたよりを宣明されるためにわたしに油をそそぎ、捕らわれ人に釈放を、盲人に視力の快復を宣べ伝え、打ちひしがれた者を解き放して去らせ、エホバの受け入れられる年を宣べ伝えさせるために、わたしを遣わしてくださったからである」。]
       イエスが引用されたイザヤ書61章1-2節には、四文字語が出てきますので、イエスはエホバと読んだはずですね。

クリスチャン:

これはある安息日に、ナザレの会堂でなされた礼拝の記録ですね。とすれば、イザヤ書がイエスに手渡される前に、まずヘブライ語の「律法の書」が朗読者によって3節ずつ朗読され、通訳者によってアラム語に翻訳されたことでしょう。そしてイエスはヘブライ語のイザヤ書を受けとって、読まれ、ご自身でアラム語による解説を与えたと思われます。

エホバの証人:

その場合、ヘブライ語聖書には四文字語が出ていたわけですから、イエスは「エホバ」と読まれたはずです。

クリスチャン:

待ってください。新世界訳はルカの4章18-19節をイエスが読まれたヘブライ語聖書から翻訳した、というのですか?

エホバの証人:

いいえ、新世界訳はギリシャ語聖書を忠実に訳しています。

クリスチャン:

では、ギリシャ語聖書王国行間逐語訳を見てください。キュリオスとなっていて、四文字語は出てきませんね。

(背教した書士がエホバを取り除いた?)

エホバの証人:

ルカが書いたもともとのギリシャ語原文には四文字語があったのですが、3〜4世紀の書士によって「キュリオス(主)」に置き換えられてしまったのです。

クリスチャン:

どうしてそのようなことが言えますか?

エホバの証人:

最近、「主」とは翻訳されず、四文字語がそのまま残っている七十人訳の写本が見つかっています。ですから、ルカが引用した七十人訳にも四文字語が残っていたはずです。

クリスチャン:

七十人訳に四文字語が残されていたかどうかは、別の機会にお話しましょう。では、一応ものみの塔の主張が正しいものとして話しを続けましょう。ところで、イエスがヘブライ語でイザヤ書61章1-2節を読まれたとき、何回エホバと発音されましたか?

エホバの証人:

新世界訳のルカ4章18-19節によれば2度です。

クリスチャン:

では、イザヤ書61章1-2節を見てください。新世界訳でも、3度出てきますね。ヘブライ語聖書も同じです。ということは、イザヤ書61章1-2節の七十人訳はヘブライ語聖書の忠実な訳ではありません。ルカは、イザヤ書61章の七十人訳から引用していますが、一部カットしたり、ヘブライ語原典を直接自分で訳し直したり、さらにイザヤ書58章6節の一部を加えるなどしています。

エホバの証人:

何を言いたいのでしょうか。

クリスチャン:

ルカは七十人訳を忠実に引用したわけではありません。ですから、仮に七十人訳に四文字語が残されていたとしても、ルカは四文字語を残したとは限らないということです。今日にまで残されている写本のどこにも四文字語は出てこないのです。

エホバの証人:

重要なことは、イエスによって四文字語が語られたかどうかと言うことではないでしょうか。

(一世紀のユダヤ人は四文字語を発音したか)

クリスチャン:

その通りです。実は、ユダヤ人の歴史家ヨセフスは次のように言っています。
[そこで神は呼び名を[はじめて]モーセに明らかにされたが、それはかつて人々が一度も耳にしたことのないものであり、それについては、わたしもまた口にすることを許されていない。]
ここでヨセフスは神の名を口にすることを許されていない、と言っています。

エホバの証人:

それについては、「洞察」一巻392-93頁に説明されています。
[しかし、ヨセフスの述べた言葉は、モーセ以前の時代にも、神の名が知られていたことに関して不正確である上に、神の名を発音したり使ったりすることに関して1世紀当時の一般的な態度が一体どのようなものであったかについてはあいまいで、はっきりしたことは示していません。]

クリスチャン:

ヨセフスがモーセ以前に神の名を知らなかったと言っているのは、出エジプト6章3節に言及しているのであって、それをもってヨセフスのこの発言の歴史的正確性を疑う歴史家はいません。

エホバの証人:

そうでしょうか。

クリスチャン:

ヨセフスがここで使っている「口にすることを禁じられている」(ウー・セミトン・ポイエイン)という表現は、四文字語の発音自体は分っていたことを示唆します。ヨセフスが祭司家の出身であったことを考慮するなら、この言い回しはきわめて正確なものと言えるでしょう。

エホバの証人:

そうですか。

クリスチャン:

ヨセフスの「古代史」には、出エジプト6章2節以降の記録に関して言及していません。これほど重要な事件に触れないのは、ヨセフスが神の名に言及することを避けるためであった、と多くの学者は考えています。それに、彼は四文字語のギリシャ語訳に当たるキュリオスという言葉さえ、使うのを控えたのです。

エホバの証人:

では、四文字語は何と発音されていたのですか。

クリスチャン:

アドナイ(主)と発音されていました。紀元前一世紀頃の死海写本「第一イザヤ書」では、ヘブライ語聖書の四文字語が「アドナイ」になっていたり(例えば3:17)、反対にアドナイが四文字語になっている箇所があります(6:11、7:14、21:16、28:2等)。これらは当時既に、四文字語をアドナイと読んでいたことを示唆しています。

エホバの証人:

本当にそうなのでしょうか。

クリスチャン:

もしイエスが会堂でイザヤ書61章1-2節をヘブライ語で読んだときエホバと発音したなら、ユダヤ人たちに殺されてしまったはずです(レビ24:16)。「エゴー・エイミ」を使っただけで、石打ちの刑にされそうになったのですから(ヨハネ8:59)。

エホバの証人:

イエスは一度もエホバとは言わなかったのでしょうか。

クリスチャン:

マルコ14章64節において、イエスは「神をけがす言葉」を言ったと言われています。そのギリシャ語ブレスフェミアスは、ユダヤ人の社会では四文字語を発音した場合に適用された語句です。ところがここでは、イエスが「神殿を破壊したなら、三日の内に建て直す」ということか(マルコ14:58)、またはキリストの来臨の予告(マルコ14:62)について裁かれるだけです。このことはイエスがエホバとは言われなかった間接的な証拠になるのではないでしょうか。 「
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話題4.エホバが永遠の名とはどういう意味か


エホバの証人:

神が用いられている真の組織を見分けるという点で、一つは神のお名前が使われているかどうか、ということです。その点、キリスト教世界はいかがでしょうか。

クリスチャン:

エホバという名前を使わなければならないと主張する理由は何でしょうか。

エホバの証人:

「聖書から論じる」には、まことの神と諸国民の偽りの神々とが異なることを明らかにするためには、神ご自身の名を用いなければできないと言われています。

クリスチャン:

エホバという神の名前を使わなければ、他の神々と区別つかないと言う人もいるでしょうね。しかし、英語でGodと言えば、宇宙の創造者、イスラエルと契約を結ばれ、イエス・キリストをこの世界に遣わされた「神」を頭に浮かべるのが普通だと思いますよ。日本語でも、「神」という言葉は、一般的には、宇宙の創造者、聖書の神を考えるのではないでしょうか。

エホバの証人:

そうではない人もいるのではないでしょうか。

クリスチャン:

創世記1章には、エホバではなく神(エロヒーム)しか使われていますが、この表現だけでは偶像の神とは区別できないなどと言う人はいるでしょうか。

(エホバは永遠のみ名?)

エホバの証人:

参照資料付き聖書の付録には、「現代の翻訳者たちが聖書の著者であられる神に加えている最大の屈辱は、その方に特有の固有のみ名を削除している、もしくは覆い隠していることです。」と述べています。出エジプト3:14-15節を読んでいただけますか。
[すると神はモーセに言われた、「わたしは自分がなるところのものとなる」。そしてさらに言われた、「あなたはイスラエルの子らにこう言うように。『わたしはなるという方がわたしをあなた方のもとに遣わされた』」。その後神はもう一度モーセに言われた、「あなたはイスラエルの子らにこう言うように。『あなた方の祖父の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、エホバがわたしをあなた方のもとに遣わされた』。これは定めのない時に至るわたしの名、代々にわたるわたしの記念である。]

クリスチャン:

神がモーセにご自身をエホバとして啓示された箇所ですね。

エホバの証人:

ここでエホバというお名前は「定めのない時に至る名前だ」と記されています。ですからエホバというお名前は必ず使わねばなりません。

クリスチャン:

「定めのない時」という新世界訳の訳語は分りにくい日本語です。この言葉はヘブライ語のオーラムで、「永遠」と訳されるのが普通です。といっても、この語の使用例を調べてみるなら、私たちがこの語から読み取るいわゆる永遠を意味しているケースはほとんどないのです。

エホバの証人:

永遠が永遠でないのですか。

クリスチャン:

永遠という言葉の使用例を見てみましょう。例えば、アブラハムへの契約(創世記17:3,13,19)、安息日に関する律法(出エジプト31:16-17)、日毎の礼拝(レビ記24:2)などは「永遠の契約」と言われています。あなたはこれらの法律を文字どおりの永遠だと思いますか。

エホバの証人:

そうではありませんね。

クリスチャン:

あるは、イスラエルは永遠に神の民であり(Uサムエル7:24)、偽りの預言者には永遠のそしりと侮辱が与えられます(エレミヤ23:40)。永遠の山や丘も砕かれ(ハバクク3:6)、モアブは永遠の荒地になる(ゼパニヤ2:9)と言われています。これらの使用例を見るなら、オーラムという言葉の真意はその言葉が出てくる文脈から決定する以外にないわけです。

エホバの証人:

エホバという神のお名前に関しては文字どおり永遠のお名前ではないでしょうか。

クリスチャン:

この神の名前が啓示された背景を見てみましょう。モーセは神からの重大な使命を託されたとき、自らの無力さを自覚していました。同胞の民から遣わされた方について「その名は何ですか」と尋ねられたら、何と答えてよいのか分らなかったのです。ここで、誰を意味する「ミー」ではなく、何を意味する「マー」が使われたことは興味深いことです。民は、モーセを派遣した方の実態を問うたのです。

エホバの証人:

よく分りませんが。

クリスチャン:

では、出エジプト6:3を読んでいただけますか。
[わたしはエホバである。そしてわたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに対し、常に全能の神として現れたが、わたしの名エホバに関しては自分を彼らに知らせなかった。]

クリスチャン:

ここのテキストでは、アブラハム、イサク、ヤコブはエホバを知らなかったと言っているように見えますが、彼らはエホバの名は知らなかったのでしょうか。

エホバの証人:

もちろん知っていました。

クリスチャン:

そうですね。アブラハムは「エホバのためにそこに祭壇を築いて、エホバの名を呼び求め」ています(創世記12:8)。いやそれよりはるか昔、エノシュが生まれた頃、人々はエホバのみ名を呼びはじめています(創世記4:26)。

エホバの証人:

では、エホバはどうしてエホバという名前を知らせなかったと言われているのでしょうか。

クリスチャン:

もし、エホバという名前、タイトルが問題にされているのであれば、理解できなくなります。この謎を解く鍵は「知る」という言葉にあります。ヘブライ語のヤダー(知る)は、単に知識として知っているということではなく、その言葉が示している内容を実際に経験して認識するということです。

エホバの証人:

よく理解しにくいのですが。

クリスチャン:

もう少し出エジプト6章を流れを追いながら読んでみましょう。
(読者の皆さんは、必ず、出エジプト6:2-8をじっくり読んでください)

クリスチャン:

まず3節で、神はアブラハムをはじめとする族長たちには、み名を知らせなかったと言われます。続いて4節では、神は彼らに契約を結ばれたことを確認します。そして5節では、神は契約を思い起こされたと言明します。続く6節から8節でエホバが語られた言葉を注意深く見てください。新世界訳でも、新改訳でも、「わたしはエホバである」という言葉ではじまり、それで終わっていますね。ヘブライ語もそうなのです。はじめと終わりに契約者の名前がくる場合、その中にある文章は、契約文とよむのが当時の文書の習慣です。すると、6-8節はエホバの契約文です。

エホバの証人:

何を言いたいのかよく分らないのですが。

クリスチャン:

エホバという言葉の概念は、イスラエルの民が約束の地で神の民として生きるという契約と深く結び付いているということを言いたいのです。

エホバの証人:

それがエホバというお名前を使わないことと関係があるのですか。

クリスチャン:

もしエホバというタイトルがイスラエルの民との契約に結びつけられた神のお名前であるとするなら、その契約に与っているわけでもない私たちがそのタイトルを使うことはふさわしいのでしょうか。むしろ、新しい契約にふさわしい名前を使用すべきではないでしょうか。 「
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話題5.「み名をもって呼ばれる民」とは


クリスチャン:

エホバの証人という名前は聖書のどの箇所からとられたのですか。

エホバの証人:

イザヤ書43章10節です。
[「あなた方はわたしの証人である」と、エホバはお告げになる。]

(「わたしの証人」という意味は?)

クリスチャン:

ここで「わたしの証人」と語りかけられた人たちは捕囚の中にあったユダヤ人です。どうしてそれがものみの塔のグループになるのですか。

エホバの証人:

同じ使命を帯びているという意味においてです。

クリスチャン:

ここの証人が証言すべき内容は、すぐ後ろに続く43:14-21に示されているバビロンからの解放というメッセージでした。
[読者の皆さんは、必ず、イザヤ書43:14-21をじっくり読んでください。]

エホバの証人:

そのメッセージは、キリストの王国のよいたよりと結びついているのではないでしょうか。

クリスチャン:

イザヤ43:10で「わたしの証人」と呼ばれている人々はバビロン捕囚の中で、神のみ業を宣べ伝えるために召されたイスラエルの民のことです。聖書の中で、イスラエルの民が「証人」と呼ばれているのは、イザヤ書に4回出てくるだけです。しかも、そのいずれもが、バビロンからの解放のみ業をを証言するという内容に限定されています。従って、このタイトルを他の人たちが使うときには、慎重さが求められます。

(使徒15章14節と17節)

エホバの証人:

エホバの証人という名称はイザヤ書からとられているだけではありません。使徒15章14節を読んでみてください。
[シメオンは、神が初めて諸国民に注意を向け、その中からご自分のみ名のための民を取り出された次第を十分に話してくれました。]
ここでは、クリスチャンが「ご自分のみ名のための民」と呼ばれています。従って、1世紀のクリスチャンたちがエホバのみ名を使っていたことは間違いありません。続く17節でも「わたしのみ名によって呼ばれる民」と言われています。

クリスチャン:

14節の「ご自分のみ名のための民」というギリシャ語はラオン・トー・オノマティ・アウトゥで、「彼の名前による民」です。17節はエピケクレータイ・ト・オノマ・ムー・エピ・アウテースで「私の名によって呼ばれる民」ということです。いずれも名前を呼ぶ民ではなく、名前で呼ばれる民という意味です。

エホバの証人:

どう違うのでしょうか。

クリスチャン:

エホバの証人はエホバのみ名を使う民と解釈していますが、この句は、エホバのみ名によって他の人々から呼ばれる民のことです。イザヤ63章19節、エレミヤ14章9節、ダニエル9章19節を読んでいただけますか。
(読者の皆さんは上記の箇所を聖書を開いて読んでください)

クリスチャン:

これらの聖句には「み名をもってとなえられる民」という表現が出てきますが、それはみ名を発音している民という意味ではなく、エホバという名をかぶらせられている民ということです。別の言葉で言えば、契約に与っている民ということです。それまではユダヤ人のみが神の契約の民であると考えられていたのですが、今や、その契約に与る異邦人が現れたということがここで問題にされているのです。

エホバの証人:

み名を使わなければ、み名のための民にはならないのではないでしょうか。

クリスチャン:

ユダヤ人は紀元前3世紀頃になると、エホバという名前を発音しなくなりましたが、それでも「み名のための民」であると信じていました。それは今日のユダヤ人においても同じです。彼らは四文字語をアドナイとか、ハシュエイムと発音しますが、エホバと契約を結んだ民であると自負しています。

エホバの証人:

1世紀のクリスチャンたちはエホバのみ名を使わなかったのでしょうか。

クリスチャン:

彼らがエホバと発音していたら、エルサレム教会がユダヤ社会で存続することは不可能でした。このエルサレム会議でも、ペテロは7、8、10節で、ヤコブは、14、19節で神(セオス)と呼んでいます。

エホバの証人:

たまたまそうだったとうことではないでしょうか。

クリスチャン:

エホバの証人は神と言うだけでは不十分で、神について言及するときには、エホバをつけねばならならないと考えていますよね。その標準から言えば、1世紀のクリスチャンたちはずいぶん違うとは思いませんか。

エホバの証人:

そうでしょうか。

(キリストの名こそ重要だった)

クリスチャン:

そうです。もしイエスの弟子たちが誰かの名を問題にしたとすれば、エホバではなく、キリストでした。使徒の働きから、誰のみ名が問題とされているか、拾ってみていただけますか。この15章14節と17節を別にすれば、すべて、キリストの名であることが分るでしょう。

エホバの証人:

本当ですか。

クリスチャン:

この15章のエルサレム会議の中心テーマは異邦人の救いの方法に関するものでした。それは「イエス・キリストの名においてバプテスマを受け」た異邦人(10章48節)の問題でした。ところで1世紀のクリスチャンは何と呼ばれるようになったかご存じですか。

エホバの証人:

使徒11:26には、「弟子たちが神慮によってクリスチャンと呼ばれたのは、アンティオキアが最初であった」とあります。

クリスチャン:

そうですね。しかも「クリスチャン」というタイトルは「神慮によって」与えられたとまで言われています。神慮によって与えられたものを変えてしまうのはよくないと思います。

エホバの証人:

私たちもクリスチャンと呼んでいます。

クリスチャン:

でも、エホバの証人という名前を主張しています。キリストはクリスチャンに向かって「わたしの証人になるであろう」と言われたのではありませんか(使徒1:8)。

エホバの証人:

そのキリストはエホバを証しする方だと言われています(啓示1:5、3:14)。

クリスチャン:

キリストが誰の証人であるかということは別の問題です。イエスは弟子たちに向かって、キリストの証人と言われたのですから、クリスチャンはキリストの証人になるべきではありませんか。
  • 話題6に続く
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