ものみの塔の欺瞞的体質

ウィリアム・ウッド著

(「真理」44号1995年9月1日〜48号1996年5月1日に連載されたものを、発行者の許可を受けて転載)

 

PART I

ものみの塔発行の『聖書に対する洞察』は、「うそ」を次のように定義づけています。

 「真実の反対。偽りやうそには普通、真実を知る権利のある人に偽りごとを語り、しかもその人や他の人を欺いたり傷つけたりする意図を持ってそうすることが関係しています。」(二八〇頁)

 この定義で、まず注目すべき点は、「真実を知る権利のある人」と、条件をつけていることです。つまり、真実を知る権利のない人に対して、たとえ本当でないことを語ったとしても、それはうそにならないわけです。

 ちなみに、国語辞典を見ると、「うそ」という項目には、真実を知る権利があるかあるかどうかということは、全く問題にされていません。「本当でない事を、人をだますために言うこと」と書いてあるだけです。

 ものみの塔の定義で、もう一つ注目すべきことは、「欺いたり傷つけたりする意図を持って」という文章です。ここにも、「うそ」の条件があって、その条件が満たされて初めて、「うそ」そついたことになるというのです。結局、エホバの証人は、人から真実を隠すことがあっても、もしそれが人を「真理」に導くためだったら、最終的にはその人の幸福につながるので、「うそ」とは言えない訳です。

 この考え方は、ものみの塔の出版物にも、またエホバの証人の生活にも反映されています。私自身、エホバの証人に、何度もうそをつかれた経験があります。去年の秋のことですが、駅前でものみの塔の雑誌を配っているエホバの証人がいました。近寄ってみると、十月一日号の『ものみの塔』誌を配っていましたが、その表紙には、「聖書その価値は何ですか」と記されていました。そこで私は、話のきっかけを作るために、その方に質問を投げかけてみました。

 「私も聖書を愛読している者ですが、エホバの証人は、ものみの塔の出版物を読まなければ聖書を理解できない、つまり、聖書だけでは不十分だと教えられていませんか。」

 いかにも大ベテランの伝道者としての雰囲気を持っていた、その中年の女性は即座に答えました。

「そんなことはありません。聖書だけで十分ですよ。聖書を読みさえすれば、真理が分かります。」

 その意外な答えに戸惑いを感じながら、私の救いの証しをしてから、雑誌をもらって、持って帰りました。ところが、実際にその記事を読んでみると、伝道者の言葉とは正反対のことが堂々と述べられているではありませんか。

 「聖書の予言は、メシアについて前もって予言していたように、忠実で思慮深い奴隷として現在奉仕している油そそがれたクリスチャン証人の堅く団結した一団にもわたしたちのの注意を引きました。その一団は神の言葉を理解するようにをわたしたちを助けてくれます。聖書を理解したいと願う人はすべて、エホバの伝達の経路である忠実で思慮深い奴隷を通してのみ『きわめて多様な神の知恵』が知られるようになることを認識すべきです。」(八頁)

 この伝道者の取った行動は、うそではなく、「神権的な戦術」だそうです(『ものみの塔』誌一九六〇年八月一日号、二九八頁)。 

 ものみの塔の出版物の中に、多くの真っ赤なうそが載っていることは、周知のことですが、その典型的な例は、一九九三年一月一五日号の『ものみの塔』誌の記事です。そこには、次のように書かれています。

 「他国の首脳がある国を訪問する場合は普通、滞在の日程が、発表されます。同じことが主イエス・キリストの臨在についても言えます。『ものみの塔』誌は、天の王国の権能を持つイエスの臨在が一九一四年に始まったという証拠を、誠実な態度で聖書予言を研究する人々に首尾一貫して示してきました。」(五頁)

 ここで、ものみの塔は、一九一四年からキリストの臨在が始まったいことを首尾一貫して示してきたと主張していますが、事実と著しく相反します。ものみの塔の最初の教えは、一八七四年にキリストの臨在が始まったということです(『創造』、一九三〇年発行、四一九頁)。その二年後に、一九一四年をキリストの臨在の始まる年としてあげていますが(『保護』、一九三二年発行、四五頁)、間もなく、一八七九年に訂正しています(『光第一巻』、一九三二年発行、一三頁)。また、五年たつと、再び、一八七四年がキリストの再臨の年になったのですが(『神の立て琴』、一九三七年発行、英文、二三五頁)、最終的には、一九四三年に『真理はあなたがたを自由にする』という本が発行されて、その中で、一九一四年がキリストの臨在した年であることが正式に決まった訳です(『神の千年王国は近づいた』、二〇八〜二〇九頁)。

 このように、ものみの塔は、キリストがいつから臨在しているかという問題をめぐって、合計四回、その教理を訂正しています。にもかかわらず、上記の記事では、「『ものみの塔』誌は、天の王国の権能をもつイエスの臨在が一九一四年に始まったという証拠を、誠実な態度で聖書予言を研究する人々に首尾一貫して示してきました」と主張しています。うそにもほどがあります。

 しかし、この記事には更に、明らかな偽りがあります。「他国の首脳がある国を訪問する場合は普通、滞在の日程が、発表されます。同じことが主イエス・キリストの臨在についても言えます」という文です。確かに、ある国の首脳が別の国を訪問する際、その滞在日程が発表されますが、いつの時点で発表されるのでしょうか。訪問の前ですか。それとも、国に帰ってしまった後でしょうか。勿論、訪問の前です。「同じことが主イエス・キリストの臨在についても言えます」と、ものみの塔は主張しています。つまり、一九一四年より以前に、キリストが一九一四年に再臨することを発表していたということですが、ものみの塔は一九四三年まで、一八七四年にキリストが再臨したと教えていたのです。

 これらの明白な偽りに関して何人もの人々が、ものみの塔の日本支部に質問状を出していますが、未だに、返事をもらった人は一人もいません。

 宗教の最低の条件の一つは、うそを言わないことだと思います。建前として、ものみの塔も同じことを認めています。

 「偽りを教える宗教が本物であるはずがありません。」(『ものみの塔』誌一九九一年一二月一日号、七7頁)。

 エホバの証人がこの原則を自分たちの組織に当てはめようとしないのは、何と悲しいことでしょうか。


PART II

 前回、述べたように、宗教団体の最低の条件の一つは、信者たちに対して常に、真実を語ることです。つまり、うそを言わないことです。どのような動機があるにせよ、人を欺く宗教は、信用できません。

 建前として、ものみの塔も同じことを認めていますが(『ものみの塔』誌一九九一年十二月一日号七頁)、実際には、その出版物には、数多くの明白な偽りがあります。ここで更に、その幾つかの実例を見ていくことにしましょう。

『目ざめよ!』誌の一九九三年三月二十二日号の中に、『間違った警報がこれほど多いのはなぜか』という記事があります。「オオカミ少年」の話を例に出しながら、過去において、世の終わりを予言した人々を取り上げていますが、記事の途中、注意書として、こう記されています。

 「エホバの証人がイエスの二度目の到来を切望するあまり日付を示唆し、あとで間違いであることが分かったことが何度かあります。……しかし、これらの出来事のうち、証人たちがあえて『エホバの名において』予言したことは一度もありません。」 (四頁)

 ここで、ものみの塔の指導者たちは、予言が外れた言い訳として、「我々はエホバの名によって予言した訳ではない」と言つていますが、もしそうだとすれば、一体、誰の名によって語ったのでしょうか。言うまでもなく、いつも『エホバ』という名前を用いることの重要性を強調する彼らは、それ以外の名前によって予言するはずなどありません。また、結局、二十三年前の雑誌を見ると、「我々はエホバの名によって語る予言者です」という明白な主張があるのです。

 「したがって、キリスト教世界がその『終わりの時』に至ったとの警告とともに、エホバのみ名とその目的が人びとに宣明される時期が訪れたとき、だれが任命される資格を有していましたか。……もっと正確にいえば、西暦前六一三年の昔、エホバがエゼキエルに対して行なったように、そのみ名において預言者として語る任務をエホバが喜んで与えられるようなグループがありましたか。」 (「ものみの塔」誌一九七二年六月十五日号、三八二頁)

 結局、結論は、次回の『ものみの塔』誌に持ち越されることになります。『彼らは自分たちの中に預言者がいたことを知るであろう』という記事の中に、次のように説明されています。

 「昔、エホバは預言者をご自分の特別の使者として遣わされました。それらの人はきたるべき事がらを予告するとともに、当時の人びとに対する神の意志を告げ、しばしば危険や災いを警告したりして人びとに仕えました。……では、エホバは彼らを助け、危険について警告し、きたるべき事がらを宣明する預言者を持っておられますか。……エホバは彼らに警告する預言者を持っておられました。その『預言者』はひとりの人間ではなくて、一団の男女で構成されていました。それは当時、万国聖書研究生として知られたイエス・キリストの追随者の小さな群れでした。今日、彼らはエホバのクリスチャン証人として知られています。」(『ものみの塔』誌一九七二年七月一日号、四〇六〜四〇七頁)

   このように、ものみの塔は公然と、「私たちはエホバの名によって語る預言者です」と主張しています。ですから、1993年三月二十二日号の「目ざめよ!」誌に書いてある「証人たちがあえて『エホバの名において』予言したことは一度もありません」という文書は、真っ赤なうそなのです。

もう一つの重大な偽りは、『ものみの塔』誌一九九三年五月一日号にあります。

 「奴隷級の残りの者は、一九一八年に頂点を迎えたこの裁きを通過することにより、この世の汚れや宗教上の汚れから清められました。……一九一九年の時点で、清められた奴隷級は絶えず拡大してゆく活動を待ち望むことができました。」(一六頁)

   この言葉によると、ものみの塔は一九一九年までに、「この世の汚れや宗教上の汚れから清められ」たそうです。この「汚れ」とは、具体的には、クリスマスの祝い、十字架の使用、「エホバ」という名前を高めていなかったことなどでしたが、一九一九年の時点でこれらのことから清められたという主張は、事実に反します。

 例えば、クリスマスは、少なくとも一九二七年まで、ベテル本部において、盛大に祝われていました。一九三一年の十月まで、十字架と冠の表象が『ものみの塔』誌の表紙についていました。「エホバ」が強調されるようになったのは、一九二六年以降です(『エホバの証人の一九七六年の年鑑』、一四七〜一四九頁)。

一九九三年八月十五日号の『ものみの塔』誌にも「うそ」としか言いようのないことが書かれています。

 「エホバの証人は、一九一四年がこの世の終わりの時の始まりをしるしづける年であることを、また、『不敬虔な人々の裁きと滅びの日』が近づいていることを、聖書から終始一貫して示してきました。」(九頁)

 果たして、エホバの証人は、人類が一九一四年から終わりの時代に突入したことを「終始一貫して示してきた」のでしょうか。答えは「否」です。一九三四年に発行された『創造』という本によると、終わりの時代は一七九九年から始まつたそうです。

 「我等が注意して混同してはならない二つの時日がある。即ち一は『終末の日』であって、他は『主イエス再臨の開始』である。此の二種の時日は絶対に区別されなければならぬ。『終末の時』は一七九九年以降、サタンの帝国制度が根底から覆滅されてメシヤ王国の樹立までの全期間である。主イエス再臨の時日は一八七四年より始まりて即ち『終末の時』として知られている期間の後期から発している。」 (四一九頁)

この記述が証明するように、ものみの塔は一九一四年から終わりの時代が始まったということを、「終始一貫して示してきた」のでは決してありません。彼らのこの主張も、偽りなのです。 (つづく)


PART III

 去年の一月のことですが、私はある王国会館の『ものみの塔』研究会に出席しました。信者たちは、『エホバの崇拝が生活の中に占める正当な場所』という記事を読みながら、それに関する質問に答えていましたが、一世紀からずっと、エホバの崇拝を第一にした人々がいたというふうに書かれていました。つまり、一世紀から、エホバの証人がいたと言うわけです。そこで、私は、その主張を裏付けるために、歴史上のどの人物の名前が挙げられるのだろうかと考えたのですが、ちょうど、その時、一人の中年の男性が手を上げて、ものみの塔の他の出版物を引用しながら注解をしてくれました。忠実なエホバの証人として、ジョン・ウィクリフとウイリアム・ティンダルの名前を挙げることができると言うのです。私は唖然としました。というのは、ウイクリフもティンダルも、プロテスタント改革の先駆者だと言われている人だからです。

 さらに、一九九五年三月十五日の『ものみの塔』誌において、ウィクリフもティンダルも、エホバの証人の仲間であるかのように紹介されています(三十ニ頁)。

 ものみの塔の統治体は、組織の正統性を証明するために、歴史の事実をねじ曲げて、真実を覆い隠すことには、何のためらいも感じないようです。また、彼らはしばしば、自らの歴史をも都合よく書き換えるのです。その顕著な例を一つ、紹介しましょう。

 『目ざめよ!』誌一九九五年六月二十二日号において、ものみの塔の過去の預言が実現しなかったという問題が取り上げられています。特に、一九一四年と一九二五年に関する預言のことが述べられていますが、当時の出版物を読めば明らかなように、これらの預言は創立者チャールズ・ラッセルと、二代目会長ジョセフ・ラザフォードの考えに基づくものであって、彼らの責任です。信者たちはただ、二人の預言をそのまま受け入れただけです。しかし、それにもかかわらず、一九九五年六月十五日号の『目ざめよ!』誌を見ると、ものみの塔は、これらの預言が一部のエホバの証人が推測した誤りであるかのように粉飾しているのです。

 「一九一四年の後半に入る前から、多くのクリスチャンは、その時にキリストが再来して自分たちを天へ連れ去ってくださるものと期待していました。そのため、聖書研究者のA・H・マクミランは、一九一四年九月三十日に行なった講演の中で、  『私たちは間もなく[天の]住まいに帰るのですから、恐らく、これが私の最後の講演となるでしょう』と語りました。マクミランが間違っていたのは明らかでした。しかし、彼や仲間の聖書研究者たちが期待していて成就しなかつたことはそれだけではありませんでした。一九三一年以来エホバの証人として知られている聖書研究者たちはまた、一九二五年にすぱらしい聖書預言の成就がある、と期待していました。その時になれば地的な復活が始まって、アブラハムやダビデやダニエルなど、昔の忠実な人々がよみがえってくる、と思っていたのです。……そういうわけで、A・H・マクミランは後日次のように説明しました。『私は、自分たちの間違いを認め、いっそうの啓発求めて神の言葉を探求し続けるべきことを学びました。』」(八〜九頁)

 果たして、一九一四年や一九二五年に対して、ある一部のエホバの証人が勝手に想像して、組織の見解に反する期待を抱いていたのでしょうか。そんなはずがありません。彼らは、組織から発行された出版物を素直に信じて、出版物の内容に基づいて、預言の成就を信じていたのです。

こうした文書で表される、ものみの塔の無責任で、欺瞞的な態度は、決してゆるされるべきものではありません。 (つづく)


PART IV

 ものみの塔聖書冊子協会は、『新世界訳聖書』に信憑性を持たせるために、一九六二年から一九七六年にかけて、元カトリック司祭、ヨハネス・グレベールの翻訳を用いました(『ものみの塔』誌一九六二年十月十五日号六一八頁等)。特に、ヨハネの福音書一章一節の訳文( a god )を支持するものとして引用しましたが、グレベールは自分のことを「霊媒」と公言している人間です。そのことを指摘する人がいたためか、一九八三年七月一日号の『ものみの塔』誌の「読者からの質問」の中に、次のような質問が出てきます。

「近年、『ものみの塔』誌で、元カトリック司祭ヨハネス・グレベールの翻訳が使われなくなったのはなぜですか。」

答えとして、次のように書かれています。

 「この翻訳は、マタイ二七章五二節と五三節およびヨハネ一章一節に関する『新世界訳』および他の権威ある聖書翻訳の訳文を支持するために時折用いられていました。しかし、ヨハネス・グレベール訳の『新約聖書』のー九八〇年版の序文に示唆されているとおり、この翻訳者は難しいくだりをどのように訳すべきかをはっきりさせるため、『神の霊界』に頼りました。そこにはこう書かれています。『彼の妻は神の霊界の媒介として、しばしば神の使者からグレベール牧師に正しい答えを伝える器となつた』。『ものみの塔』誌は、心霊術とそのように緊密な関係を持つ翻訳を利用するのはふさわしくないと見ています。」 (三一頁)

 この文書によると、ものみの塔は最近になつて、グレベールが霊媒であることが分かったので、その翻訳を用いなくなったということになっていますが、それは果たして、事実でしょうか。いいえ、真っ赤な嘘なのです。ものみの塔は少なくとも、一九五六年から、グレベールの心霊術とのかかわりについて知っていたのです。一九五六年六月一日号の『ものみの塔』誌には、こうあります。

 「一九三七年に版権を獲得した、新約聖書の翻訳の序文の中で、ジョハネス・グレーペーは次のように言っています。『私はカトリックの牧師でした。四八歳になるまで、神の霊者たちの世界と連絡通信ができるなどとは、とうてい信ぜられなかった。しかし、ある日のこと偶然にもその連絡通信を体験するようになった。そこで経験した事柄は、骨身に泌みるほど私を驚かした。』……前述の本の序の中で、前牧師グレーペーは、『もっとも意味の深い霊媒術の本は聖書である』と語っています。この考えを持つグレーペーは、自分の訳した新約聖書に霊媒術的な臭いをたくさん盛りこんでいます。……前牧師グレーペーの信ずる霊たちが、彼を助けて、この訳をつくらせたことは、全く明白です。』 (二一〇頁)

注:「ジョハネス・グレーベー」とありますが、英語版の 『ものみの塔』誌はどれも、Johanes Greber と、スペリングは変わらないので、同一人物を指していることは間違いありません。

 このように、ものみの塔は、一九五六年の六月から、グレベールに関する情報を得ていました。ですから、組織の指導者層は、彼が霊媒であることを知っていながら、彼の聖書翻訳から引用していた訳です。結局、グレベールが心霊術とのかかわりがあったことがばれたために、組織は慌てて、最近になってその事実を知ったと弁明しましたが、全くの偽りです。

 また、彼らはこの嘘を通すために、不都合な事実を巧妙に隠滅しようとしました。まず、一九八三年七月一日号の『ものみの塔』誌の説明文は、グレベールの新約聖書の一九八〇年版の序文を引用しています。つまり、三年前にグレベールのことを初めて知ったかのようにほのめかしている訳ですが、グレベールの翻訳は一九三七年から発行されていたものです。一九五六年六月一日号の『ものみの塔』誌も認めている通りです。

 更に、『ものみの塔出版物索引』 (一九五一〜一九八五年)を見ると、ヨハネス・グレベールに関する資料は、二つしかあげられていません。一九六二年十月十五日号と一九八三年七月一日号の『ものみの塔』誌だけです。一九五六年六月一日号の 『ものみの塔」誌の記事のことは、記されていない訳です。

 この例も明らかに示しているように、ものみの塔聖書冊子協会は、平気で嘘をつき、不利な事実をおおい隠そうとする組織です。その罪は重いのです。 (つづく)


PART V

 「正しい宗教を選ぶ際の指針となるものは何でしょうか。真理の重要性を強調した点では、『一般百科事典』が述べたことは正解でした。偽りを教える宗教が本物であるはずがありません。かつて地上を歩いた最も偉大な預言者は、『神は霊であられるので、神を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません』と述べました」 ( 『ものみの塔』誌一九九一年十二月一日号、七頁)。

 「この世の終わりの時にこの預言的な招きの言葉に最初に留意したのは、霊的イスラエル人の残りの者、つまり油そそがれたクリスチャンたちでした。……彼らは義と柔和を求め、エホバの司法上の決定に敬意を示したため、大いなるバビロン、つまり偽りの宗教の世界帝国から救出され、一九一九年に神の恵みを受ける立場に復帰しました。その時以来、特に一九二二年以来、この忠実な残りの者たちは、キリスト教世界の諸教会や分派に対し、また政治上の諸国民に対して、恐れなくエホバの裁きを宣明してきました。この忠実な残りの者たちについて、ゼパニヤはこう預言しています。『わたしは必ずあなたの中に、謙遜でへりくだった民を残す。彼らはまさにエホバの名に避け所を得るであろう。イスラエルの残っている者たちは、何も不義を行なわず、偽りを語らず、その口にたばかりの舌が見いだされることもない。彼らは食物を得、まさに身を伸ばして横たわり、これをおののかせる者はいないのである』。(ゼパニヤ三・十二〜十三)」 (『ものみの塔』誌一九九六年三月一日号、十四頁)。

 以上の『ものみの塔』誌の言葉を要約すると、真の宗教が偽りを言うはずがないということと、「残りの者」(十四万四千人)が嘘を言わない、ということになります。ところが、既に見てきたように、組織の出版物の中で、呆れるほどの「嘘オンパレード」が展開されているのです。ここで、更に、その顕著な例を一つ、紹介しましょう。

 『御国奉仕』の一九六八年号九月一日号には、次のような言葉があります。

 「第一次世界大戦中、神の民はその戦争が直接ハルマゲドンにつながるものと予期していましたが、エホバはそのような最高潮がもたらされることをそのとき阻止されたのです。しかし第二次世界大戦中、わたしたちはその種の期待をいだきませんでした」 (五頁)。

 第二次世界大戦の時、エホバの証人はそれがハルマゲドンにつながるという期待を抱かなかったということですが、当時の組織の出版物は、果たして、第二次世界大戦とハルマゲドンを結び付けていなかったと言えるのでしょうか。答えは、「ノー」です。

 「贈り物(注:『子供』という書籍)を受け取り、行進する子供達はそれを胸に抱き抱えた。それは遊ぶためとか、楽しむためのものではなく、ハルマゲドンまでの数カ月の間、最も有効的に働くために、主が備えてくださった道具である」 (『ものみの塔』誌一九四一年九月十五日号、二八八頁、英文)。

 「ドイツの国民は、立たされた苦境に目覚め始めている。彼らはもはや、普通の人間のように笑えなくなり、その顔は青ざめて、引きつっている。彼らは近い将来もたされるもの、急いで訪れようとしているものに対して、不安に満ちている。それはつまり、全能の神の大いなる戦い、ハルマゲドンである」(『慰め』誌一九四一年十月二十九日号、一一頁、英文)。

 以上の記事が明らかにしているように、ものみの塔は第一次世界大戦の時と同じように、第二次世界大戦の時にも、その戦争が直接、ハルマゲドンにつながることを予期していました。したがって、『御国奉仕』の一九六八年号九月一日号に書いてあることは、全くの偽りなのです。

 主なる神が忌み嫌われるものの中に、「偽りの舌」があります(箴言六・一六〜一九)。それは、ご自身が常に、真実だけを語られるお方だからです(ローマ三・四)。偽りを言う個人、または組織は、神に是認されるはずがありません。例え、どんなに成長した組織であっても、です。にせ預言者の特徴の一つは、「大きなしるしや不思議なことをして見せ」ることだ、とキリストは警告しておられます(マタイ二四こ一四)。目に見える現象に惑わされることなく、私たちは真理・真実を追求しなければなりません。そして、何よりも、「真理なる」イエス・キリストに信頼しなければならないのです。    
(おわり)


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