毎年一月の奉仕会で行われる「医療上の事前の指示および免責証書」、および「医療に関する事前の指示および継続的委任状」に関するプログラムは、日本では2001年の今年は三月に延期されることになりました。そしてそれまでの間に、ものみの塔誌、2000年6月15日号と2000年10月15日号に掲載されている「読者からの質問」の内容を把握するように指示が出ています。そこでここでは、6月15日の記事を全文ここに掲載すると共に、そのどのような部分を注目して把握する必要があるのか、またどのような質問ができるかを、仮想的な質疑応答の形で考えて見ました。読者のエホバの証人の方々がこれらの質問を参考にして、積極的な質問をされることを期待します。なおこの質問の根拠となる医学的な知識は別の「血液成分とは−エホバの証人は血液の何を拒否しているのか」のページに詳しく解説してありますので、参照してください。
司会者:本年は、「医療上の事前の指示および免責証書」、および「医療に関する事前の指示および継続的委任状」は改訂されました。以前にこれらの書類を作成した人も、全て新たにこれらの書類を作り直す必要があります。新しい書類は、ものみの塔誌、2000年6月15日号と2000年10月15日号に掲載されている見方を反映する形で協会が新たに作ったものです。ここでは6月15日の「読者からの質問」を読んでその内容をしっかり理解した上でこれらの書類を作成していただきます。では、一緒に記事を読んでいきましょう。
基本的には,エホパの証人は血を受け入れないというのが答えです。わたしたちは次のことを固く信じています。すなわち,血に関する神の律法は,移り変わる意見に合うように改変できるものではない,ということです。しかし,今では血液を処理して,四つの主要成分や,成分中のさらに細かな分画に分けることができるため,新たな問題が生じています。クリスチャンは,そのようなものを受け入れるかどうか決める際,生じ得る医療上の益や危険たけでなく,それ以上の事柄を考慮するべきです。聖書が何と述べているか,また自分と全能の神との関係にどんな影響が及びかねないか,ということを気にかけるべきです。
証人:ここで書かれている「主要成分」と「分画」の定義がよくわからないのですが。どこかで読んだのですが、今は血液の成分は色々な方法で分けることができるそうですが、そうすると何が成分で何が分画なのですか。司会者:これについては、後で触れてありますので、そこで説明しましょう。
かぎとなる点はきわめて簡明です。なぜそう言えるのかを理解するために,聖書的,歴史的,医学的な背景を考えてみましょう。
エホバ神は,人類共通の先祖であるノアに,血は特別なものとして扱わなければならないとお告げになりました。(創世記9:3,4)後に,イスラエルに対する神の律法の中でも,血の神聖さが示され,「だれでもイスラエルの家の者あるいは……外人居留者で,いかなるものであれ血を食べる者がいれば,わたしは必ず自分の顔を,血を食べているその魂に敵して向け(る)」と述べられています。イスラエル人は,神の律法を退けるなら,他の人々を汚す可能性がありました。そのため,神は,「その者を民の中からまさに断つ」と言われました。(レビ記17:10)後に,使徒や年長者たちはエルサレムで会合を開いた時,「血を避ける」べきであるという布告を出しました。血を避けることは,性の不道穂や偶像礼拝を避けることと同じほど重要です。―使徒15:28,29。
『避ける』ということは,その当時,何を意味していたでしょうか。クリスチャンは,新鮮血か凝固血かにかかわらず血は摂取しませんでしたし,血が抜かれていない動物の肉は食べませんでした。また,血を混ぜて作ったソーセージなど,血を加えた食品も受け入れませんでした。どんな形にせよそのようにして血を取り入れることは,神の律法に背く行為だったのです。―サムエル第一14:32,33。
古代のほとんどの人々は,血の摂取を良くないこととは思っていませんでした。その点は,テルトゥリアヌス(西暦2世紀から3世紀にかけての人物)の書いた物から分かります。テルトゥリアヌスは,クリスチャンが血を摂取しているという偽りの非難に反論し,血を少し飲もことによって盟約を結ぶやからに言及しました。また,「闘技場での出し物の際,貪欲な渇望を抱く[者たち]は,……有罪とされた者の鮮血をてんかんの治療薬としてすくい取った」とも述べています。
そうした慣行は(健康のために行なったローマ人もいたにせよ),クリスチャンから見れば間違ったことでした。「わたしたちは普通の食物に動物の血をさえ含めていない」とテルトゥリアヌスは書いています。ローマ人は,真のクリスチャンの忠誠を試すために,血を含んだ食物を用いました。テルトゥリアヌスはさらにこう述べています。「今,あなた方に尋ねる。あなた方は[クリスチャンが]動物の血を見ればぞっとして顔をそむけることをよく知っていながら,彼らが人間の血を貪欲に求めるなどと考えるが,これはどういうことか」。
今日,血を取り入れることを医師から勧められた場合に全能の神の律法が問題になる,と考える人はほとんどいないでしょう。エホバの証人は,生きつづけることを真剣に望むと同時に,血に関するエホバの律法に従うよう最大の努力を払っています。これは,今の医療上の慣行と照らし合わせて考えると,どういうことを意味するでしょうか。
第二次世界大戦後に全血の輸血が普通に行なわれるようになったとき,エホパの証人は,それが神の律法に反していることを理解しました。今でもそう考えています。しかし,時と共に医療は変化してきました。今日,ほとんどの輸血は,全血ではなく,血の主要成分の一つを用いて行なわれます。主要成分とは,(1)赤血球,(2)白血球,(3)血小板,そして(4)血漿と呼ばれる液体成分のことです。
証人:ここでさっきの質問なんですが、どうしてこの四つが「主要成分」なのですか。これは聖書に書かれていることではありませんね。そうすると、誰がどのようにしてこれらを「主要成分」と決めたのでしょうか。司会者:これは各地の血液センターが献血された血液をこの四っつに分けるのでこのように分類されたのだと思います。
証人:しかし私の聞いたところでは、採血された血液は先ず大きく二つの分画、つまり液状の分画と細胞成分の分画に分けられて、そこから目的に応じて、色々な成分が取られるそうですが。そこで私がわからないのは、ここで使われている「主要」という言葉はどういう意味で使われているのでしょうか。量が最も多い成分なのでしょうか。確かに赤血球は血液の45%を占めるそうですし、血漿は55%を占めるそうですから、量が多いという意味ではこれらは「主要」でしょうが、白血球や血小板はこれらをあわせても血液の1%にも足りない小さな成分だそうですが、どうして「主要」なのですか。
司会者:これは協会本部がエホバのご意志に基づいて決めたことですので、私たちが自分で心配する必要はありません。それに、これらの四つは採血された血液から最初に取り出されるので「第一の」(primary)という意味で「主要」という言葉が使われているのだと思います。
証人:血液センターでは、分画の仕方によってどの成分でも最初に取り出したり、別の成分から更に分画して取り出すこともできるそうですが。たとえば、血小板は実際には軽く遠心してとった血漿を更に分画することで取り出されることが多いそうですが、その場合血小板のように小さな成分は、アルブミンなどと同じように、血漿の一分画と考えることも出来ると聞きましたが。また白血球は、非常に量が少なくて普通の分画法では取り出すことが難しく、アフェレーシスという特別な方法で初めて取り出せるそうですが、そのような成分がなぜ「主要」なのでしょうか。
司会者:そのような技術的な話はこの場では適切ではありません。後で医療機関連絡委員の長老に直接聞いてください。
医師は患者の容体に応じて,赤血球,白血球,血小板あるいは血漿を投与する場合があります。それら主な成分を注入することにより,血液1単位を,より多くの患者に分配できるようになります。エホパの証人は,全血を受け入れることも,それら四つの主要成分のいずれかを受け入れることも,神の律法に背く行為であるとみなします。
証人:聖書は血と書いてあるだけで、どこにも四つの主要成分のことは書いてありませんね。従って聖書が「血から避けなさい」と言った時は、全血以外のことを考えていたのでしょうか。どうして聖書に何も書かれていない四つの主要成分のいずれかを受け入れることが、神の律法に背く行為になるのですか。司会者:神が避けていなさいと言った物の主要な部分は避けなければならないのは当然でしょう。
証人:でもさっきお尋ねしたように、血小板や白血球は血液の主要な部分かどうか、よくわからないのではないですか。神は一体血液のどの部分を主要とされたのでしょうか。聖書に基づいて教えて頂けませんか。
司会者:そんなことは聖書に書いてないのはあたりまえです。これは統治体の兄弟たちが祈りのうちに決めたことで、私たちはそれに従っていればエホバのご意志に従うことになるのです。
注目できる点ですが,聖書に基づくこの立場を固く守る証人たちは,血液を介して感染する肝炎やエイズなどの病気をはじめ,多くの危険から保護されてきました。
証人:兄弟、血液を介して感染する肝炎やエイズなどの病気は、全血や上の四つの主要成分を避けていても防げないと聞きました。たとえば血友病の兄弟たちは、エホバの律法を守って全血と四つの主要成分から避けていましたが、血液凝固因子は小さな分画であるから受け入れてもかまわないという協会からの指示を受けて受け入れ、肝炎やエイズに感染しています。今では安全になったそうですが、血漿から採られた蛋白分画にもウイルスが潜んでいたことがあることは知られています。やはり、血を避けることで多くの危険から保護されるためには、「血を避ける」ということは血の全てを避けること、と考えなければならないのではないのですか。司会者:あなたがもしそのように信じるなら、血の全てを避ければいいでしょう。後で読むように、私たちはそのような良心に従った誠実な見方は尊重されるべきであると考えます。
証人:それはその通りですが、四つの主要成分以外のものは受け入れて構わないというのがエホバの律法であるとすれば、私たちエホバの証人は保護されていることにはなりませんね。
司会者:そうかもしれません。
しかし,血液のそれら主要な成分はさらに細かく処理できるため,主要な血液成分に由来する分画について質問が生じます。そのような分画はどのように用いられるのでしょうか。クリスチャンは,それらについて決定を下す際,どんな点を考慮すべきでしょうか。
血液は複雑です。90%が水である血漿にさえ,多種多様なホルモン,無機塩類,酵素,またミネラルや糖などの栄養素が含まれています。さらに血漿には,アルブミン,凝固因子,疾病と闘う抗体など,種々のたんばく質も含まれています。専門家は幾種類もの血奨たんばくを分離して用いています。例えば,凝固第VIII因子は,出血を起こしやすい血友病患者に投与されてきました。また,ある種の病気に感染した人に,医師は,すでに免疫のある人の血漿から抽出したガンマクロプリンを注射するよう指示する場合もあります。医療に用いられる血漿たんばくはほかにもありますが,上記の例は,一つの主要な血液成分(血漿)を処理すれば何種類かの分画が得られるということを示しています。*
血漿から様々な分画を取り出せるのと同じように,他の主要成分(赤血球,白血球,血小板)も,処理すれば,さらに細かい要素を分離することができます。例えば,白血球細胞からは,ある種のウイルス感染やがんの治療に用いるインターフェロンやインターロイキンを取り出せます。血小板は,処理すれば,傷をいやす因子が抽出されます。また,血液成分からの抽出物を(少なくとも最初は)含む薬も登場しようとしています。そのような療法は,血液の主要成分を注入するものではありません。たいていは,主要成分の要素もしくは分画が関係したものです。クリスチャンは治療を受ける際,それらの分画を受け入れてもよいでしょうか。はっきりしたことは言えません。聖書は細かなことを述べていないので,クリスチャンは神のみ前で自分の良心に従って決定しなければなりません。
証人:兄弟、アメリカからのニュースによると、ヘモグロビンから作られた代用血液がいよいよ実用に踏み切られ、今年中にも一般に使用されることになるかも知れないと聞きましたが、これも主要成分の分画になるのですか。司会者:ヘモグロビンは赤血球の分画ですから、それから作った代用血液は受け入れても構わないことになります。
証人:アメリカではエホバの証人が牛の赤血球から取ったヘモグロビンで作った代用血液を受け入れたとニュースで聞きましたが、これも構わないのですか。
司会者:そうです。
証人:そうなると、またよくわからないのが、主要成分との関係です。ヘモグロビンは血液の13から16パーセントを占めるそうですね。医者に行って貧血の検査をするとよく、「あなたのヘモグロビン値は13」とか言われますね。あれは1デシリットル(100ml)の血液の中のヘモグロビンのグラム数であり、12以下になると貧血がある、と言われるそうです。正常値は大体13から16g/dlだそうです。この記事の後に書いてあるように、血漿分画のアルブミンは既に受け入れて構わない分画となっていましたが、これは血漿の中では最大の分画だそうですが、それでも血液の約2から3パーセントだそうです。そうなると13から16パーセントを占めるヘモグロビンは大変に大きな分画ですね。実際、ヘモグロビンは水に次いで二番目に大きな血液の組成だそうです。こんなに大きな分画でも、どうして「主要成分」にならないのでしょうか。血液の1パーセント以下しか占めない血小板や白血球に比べれば、はるかに主要な成分であると思いませんか。
司会者:「主要成分」が何かについては先程話した通りで、あなたがとやかく質問する問題ではありません。本部の兄弟たちが祈りのうちに何が主要成分で、何が分画かを決めたのですから、それに従っていれば問題はないのです。
証人:すいません。でも「主要成分」が何かによって、兄弟姉妹が救急病院で生きるか死ぬかの分け目が決められることになるので、つい心配になって質問してしまいました。
中には,血から取ったものは一切(一時的な受動免疫を与えるための分画でさえ)拒否する人もいることでしょう。『血を避けなさい』という神のおきてをそのように理解しているのです。また,イスラエルに与えられた神の律法では,動物から抜いた血は「地面に注ぎ出す」ことが要求されていた,という点を考慮します。(申命記12:22−24)その要求が関係するのはなせでしょうか。なぜなら,ガンマグロプリン,血液由来の凝固因子などを準備するには,血液を集めて処理しなければならないからです。そのため,クリスチャンの中には,全血や四つの主要成分の輸血を拒絶するのと同様に,そのような製品を拒絶する人もいます。そうした,良心に従った誠実な見方は尊重されるべきです。
証人:代用血液は牛の血液を使うそうですが、これも構わないのですか。ここに書かれているように、聖書では動物から抜いた血は「地面に注ぎ出す」ようにはっきり書かれていますよね。人の血についてはそのように書かれていませんから、それを使って医薬品を作ることは構わないと考えたとしても、牛の血を貯めておいて、それを人の体に取り入れるようなことをするのは、明らかに聖書に書かれている掟に反することではないのですか。司会者:あなたがそう思うのであれば、ここに書いてあるようにあなたは代用血液も拒否すればよいのです。
証人:でも牛の血を地に注ぎ出さないで、人体に摂取するために使用することは、はっきりとエホバの掟に反することで、全てのエホバの証人が拒否するべきものではないのですか。
司会者:それはあなたの考えで、組織の見方ではありません。あなたの個人的な見方を他の兄弟姉妹に押し付けるべきではありません。
一方,それとは異なった決定をするクリスチャンもいます。その人たちも,全血,赤血球,白血球,血小板,血漿の輸血は拒否します。しかし,主要成分から抽出した分画を用いた治療なら受け入れるかもしれません。もっとも,この場合でも,決定は異なる可能性があります。あるクリスチャンは,ガンマクロプリンの注射は受け入れても,赤血球や白血球からの抽出物を含む注射には同意しないかもしれません。しかし,包括的に見て,血液分画は受け入れてもよいという結論を下すクリスチャンがいるのはなぜでしょうか。
証人:ここでは人によって良心に基づく異なった決定をする可能性を考えていますが、それでは血小板が血漿から分画されて採られていることを知った兄弟は、これを主要成分(血漿)から抽出した分画であると考えて受け入れることもよいのでしょうか。司会者:あなたはしっかりと記事を読んでいるのですか。この節の一番最初の文章にはっきりと血小板は拒否すると書いてあるでしょう。「主要成分」はどんなことがあっても受け入れられないのです。
証人:そしてその理由は・・・
司会者:あなたの質問は堂々巡りですので、少し質問を控えてください。
「ものみの塔」誌,1990年6月1日号の「読者からの質問」は,血漿たんばく(分画)が妊婦の血流から,独立した胎児の循環系へ移動することに注目しました。母親はそのようにして免疫グロプリンを自分の子に渡し,貴重な免疫を与えるのです。一方,胎児の赤血球が通常の寿命を全うすると,それに含まれる,酸素を運ぶ部分は処理されます。その一部はピリルピンとなり,それは胎盤を通過して母体に入り,母体の老廃物と共に排せつされます。それで,クリスチャンの中には,血液分画はこうした自然の営みの中で別の人間へ移動するのだから,血漿や血液細胞に由来する血夜分画は受け入れることができる,と結論する人もいることでしょう。
証人:これはある医師から聞いたことですが、胎盤を通過するのは血液分画だけ、という見方は古い医学の知見であって、現在では「主要成分」そのものも胎盤を通過することがあることがわかっていると聞きました。その証拠として、母体の血液中から胎児の赤血球や白血球を取り出して、それを使って胎児の出生前診断に応用されているそうです。そうなってくると、血液分画が胎盤を通過することを根拠に受け入れても構わないと結論されるのであれば、赤血球や白血球についても同じ理由で受け入れることができる、と結論する人がいても構わないのでしょうか。司会者:そんなことはありません。そのような医学上の専門的な話は、もし確かであればいずれエホバが統治体の兄弟たちに明らかにするでしょう。それまでは、私たちは「主要成分」から全て避けなければいけないのです。
人によって意見も,良心に基づく決定も異なるのであれば,これは取るに足りない問題なのでしょうか。そうではありません。重大な問題です。とはいえ,根本的な点は簡単明瞭です。上記の資料が示しているように,エホパの証人は全血や主要な血液成分の輸血を拒否します。聖書はクリスチャンに,「偶像に犠牲としてささげられた物と血と……淫行を避け(る)」よう命じています。(使徒15:29)それより細かな事柄,つまり主要成分のどれにせよ,それから取った分画については,各々のクリスチャンが,祈りながら注意深く熟考した後に良心に従って自分で決定しなければなりません。
証人:偶像や淫行に関しては、「主要成分」でもなんでも、全て避けなければいけないはずだと思うのですが、どうして血に関してだけは「分画」ならどれでも受け入れてよいことになったのですか。偶像の「分画」や淫行の「分画」は構わないのでしょうか。司会者:これはエホバの真理の光が増し加わったことによって、統治体の兄弟が決めたことですから、あなたが心配するべき問題ではありません。偶像の「分画」や淫行の「分画」が受け入れられないことはわかっているはずです。
証人:すいませんでした。でも使徒15:29では血と偶像と淫行は並べて避けるように言われていますので、同じような熱心さで避けなければいけないのではないかと思ったからです。
多くの人々は,血液製剤を用いる場合のように,周知の健康上の危険をはらんだ療法であっても,当面の益になると思える療法なら何でも喜んで受け入れることでしょう。誠実なクリスチャンは,身体的な面にとどまらす,より広い,より平衡の取れた見方をするよう努めます。エホパの証人は,質の高い医療を施そうとする努力に感謝すると共に,どんな治療にせよ,それに伴う危険と益の割合を比較考量します。しかし,血液から抽出された製品に関しては,神の述べておられる事柄を,また命の与え主と自分との個人的な関係を注意深く考量します。―詩編36:9。
クリスチャンが次のような確信を抱けるのは,何という祝福でしょう。詩編作者はこう書いています。「神エホパは太陽,また,盾であり,恵みと栄光をお与えにな(りま)す。エホパは,とがなく歩む者に良いものを何も差し控えられません。……エホパよ,あなたに依り頼んでいる人は幸いです」。―詩編84:11,12。