1997/6/30(月) 26:18
「川本真琴」の歌詞カードは凄い曲者だ。つまり字が大きくなっている部分が、次の曲順の歌詞の字が大きいところにつながっている。美事。「地下鉄の階段」「一限」「地図」「ほどけない」「渋滞」「ひとりぼっち」「L&L」「昼間の明かり=太陽」「ひまわり」「神様」で最初に戻る。こだわってるねえ。一人で詞を書いていると似てくるのを逆手に取ったのだ。一曲ずつ自転車操業で書いたみたいなこといってたけど、どうなのかねえ。アルバムにする時に頑張ったのだろうか。いやこうなるとかえってつながるようにしていたとも考えられるのだが。
今日は一応大学に行ってきた。

7/1(火) 27:12
95の再インストールはできてCDドライブも認識したが、今度はLILOがなくなってLinuxが起動できずデータを戻せない。Linuxの起動ディスクを何とかしないと。

「屋根」やめてよ。

7/2(水) 12:45
家族の絆伝言板によると「こどちゃ」66,7話あたりからオリジナル編をやるらしい。
16:09
「りぼん」8月号「こどちゃ」。ヘヴィーだねえ。痛い。ヘヴィーすぎる。人前で「りぼん」読んでるだけで恥ずかしいのにさらに泣かすなよ。つまり次回紗南はこのまま「Kid's Eyes」生放送。何を言うのか。こんな展開なってもリアリティがあると感じるのは、僕の色眼鏡か、小花美穂の描き方か。
オリジナル編について「りぼん」にも書いてあって、それによると直澄とのニューヨーク編をやるらしい。学校からは離れて直澄しかでてこないのなら可能なのか。

京極夏彦「魍魎のハコ」。確かに面白い。新本格とはちょっと違うようだが、分厚いし抽象的な議論するし京極堂には名探偵の魅力というものがちゃんとある。議論と同時に妖怪についての知識というのもあってその辺話題になってて確かに面白いけど、そんな小説なら他にもあるし小説から得られるのは結局雑学であって系統だった理解はできないからね。所詮エンターテイメント。
されどエンターテイメント。

fj.rec.tvで「屋根」をビデオにとった人によると、小雪が死んだとしか考えられなかった描写も見直してみると生きているとも見れるそうだ。看護婦が新しい点滴を付けていたり泣いているのも嬉し泣きだったり。確かに死ぬのも助かるのもどっちでもありだと考えていたけど、あの和也の反応はやっぱり作為としてはクサすぎ。
17:02
あとは3号も続けていると例えば吉住渉「ミントな僕ら」も結構読めちゃったりする。しかし、女装ってプロットは定番だしいいんだけど、やはしリアリティには欠ける。つまり初期設定レベルの荒唐無稽と実行レベルのそれとは違うのだ。
さらに小花美穂の「わたしのくだらんつぶやき」。次回を読む前に1巻を読み直すことをおすすめします、ってまたまた大昔からの伏線か。何をやる気だあ。
25:09
Linuxにも入れて一応ファイルを戻す。

O山内とO南にメールで****呼ばわりされる。要するに日記を読んだらしいが、そういう読み方をしたってことは・・・、てことだよな。まあ自分でもいったし向こうも茶化しているだけだけど、あの日記でそういう影響を与えたとすれば大成功だ。あれによって尊敬されるようになると考えると傲慢だけどマイナスにも影響を与えるのもまた一興。

伝言板で今号の「こどちゃ」が酒鬼薔薇の事件にタイムリーだと書いていた人がいたが、それから何を考えるかというと。メディアで語られる「識者」のごたく、つまりこの犯罪は社会の問題の反映であるとする、は大部分ナンセンスでもあれだけ並べればいいとこ突いてるものもある。それによって社会が何らかの対応を取ろうとするとすれば(可能性は微小)、それも悪いことではない。しかしそれは「14歳」には伝わらない。紗南−羽山、羽山−小森のように同じ年齢、同じ目の高さでないと、救えない。「救う」なんて傲慢だけど、識者大人は上から見てるから傲慢なことがいえるのであって、中に入って同じ高さから傲慢なことをできる人ってのはちょっといない。自分たち(社会)が個人(犯人)の人格やら人生に影響を与えたなどと考えるのは「僭越」なのはその通りだが、それは一般人がしなければいけない「逃げ」でもある。僭越だろうがお節介だろうが人に拘っていける特別な人間は、虚構にはいる。結局その虚構内の救い主を自分の中に取り込んで、それに自分を救ってもらう、ことができればいいと思うのだけど。
27:01
ちなみに羽山の血液型はBで、同じ型は5巻にプロフィールのある登場人物にはなし。Oでもよければ紗南風花亜矢がいる。
1巻も読み直したが特に関わってくる話はなさそう。強いていえば羽山がナイフを向けられるという構図。

7/3(木) 25:28
ワタナベシンイチ監督「はれときどきぶた」。どうしていいのかわからない。滅茶苦茶なことが起こっても説明しようとしなかったり、謎のつっこみ天気読みお姉さんがでてきたりと、いいギャグアニメの方法論は取っている。でも「こどちゃ」のシリアスに相当するような部分が特にないのなら、ま文学的といえないことはない叙述もなくはないけど、大人の見るもんではないぜい。

「こんな恋のはなし」は例の石原隆、関口静夫以下のスタッフ。しかしもう見届ける気にはなれない。真田広之の死期が設定されているのは可能性を残すけど。
25:59
またもメールがあふれた。やってられん。このまま月曜まで放置か。O山内とO南にメールを出す。
ジェイムズ・スチュアート死去。
27:25
「ユリシーズ」2をやっとで、3にとりかかる。

7/4(金) 27:13
テストの終わったK介と母さんで万葉植物園、奈良市写真美術館に行く。帰ってスパゲティ・ミートソースをトマトから作る。

「こどちゃ」#65「そして二人はロングバイバイ」。痛い、暗い、どうしようもない。なんでこうなっちゃったのか、でも各人の反応は正しいものばかり、という。にしても展開を作っていくのがうまいねえ。こっちでも風花の誕生日が明らかにされたわけだが、これは問題解決のタイム・リミットが設定されたってことだよね。でこのままオリジナル編やっちゃうわけか。つまり実際の季節と合わせることは放棄しても構わないが、連載に追い付いてしまったらしょうがない。だからどうしてもどっかでオリジナルをやらなければいけなかったわけだが、実時間と合わせることをまだ考えるなら夏休みをもっとやるのも一つの手だった。骨折入院中は話が作れないとしても退院してからの時間もあった。しかし、学校の友達との関係が「なんとなく」連絡しづらいだけでまだ破綻はしていないから、ほったらかして書くのも難しかっただろう。でも今でも学校の方を完全に無視するわけにもいかんだろーし。大地監督のアイディアの消化昇華ぶりをとくと拝見しよう。
「勇者王ガオガイガー」。熱い熱いといわれてるのが分かった。要するにこれは単なる(しかしその正道、王道をゆく)子供向けロボットアニメなんだけど、その派手な動きやコンピュータ画面や技の読み上げなどの、盛り上げ方がもう頂点を極めているのだ。

7/5(土) 27:26
K介、母とあじさいホールで「桂小米朝のモーツアルトの世界」。有名でないプロとアマ(?)での演奏だが割といい趣向。モーツアルトといえども最初の弦楽四重奏「喜遊曲ニ長調」のあとは耳に覚えのない曲が続いて睡魔と闘ってしまったが。その辺は小米朝のいうように「メッセージ性がない」というのもあって、結局音楽はいかに多く耳に流し込まれているかによってしか評価されないということになる。僕のように耳が悪いと、メロディ・和音に即座に同時進行で入り込むことができないから、何度も聴くか楽譜がないと鑑賞評価ができない。まあそれをさっぴいてもあのピアノのおっさんは今イチかと思うが。四重奏ではなぜかヴィオラに目が行く。楽器のせいか中島久美さんのせいか。そういう意味で「魔笛」「フィガロ」のオペラは助かるのだけど、日本語にするのはどうかねえ。分かりやすくしたいわけだけど間抜けになるのも避けられないから。でも安上がりの割には演奏の質は低くないしホールもいいし選曲もいいし、いい企画だと思う。

7/6(日) 25:41
今朝の夢は、*********。*************************、***********。********************、*************、********、********。************。********************、****************。**********。***************************。************、****************。
なんでこういう夢を見るかね。つまり*******。******「**」**。

ニュー・アメリカニズムの本は読んでいないがまあいいか。

7/7(月) 12:12
やきそばパンを食べてひとりで頑張る。
fjへの投稿。
18:33
巽孝之の集中講義は、普通の講義だがそれを文字通り集中してやるわけだ。植民地時代から始めているので範囲外だが、narrativeをキーワードにしたりしているので面白い。A成にT口、なぜか隣はK山さん。終わってから、流れで先生とビデオ機器を動かそうとあれこれいじる数人になる。
授業以外でU松さん、Sっちゃん。

7/8(火) 19:58
吉住渉「君しかいらない」1、2。たしかにシビアだ。16でバツイチってのも親に無理矢理政略結婚じゃないからまだ信憑性はある。というと「めぞん」なのか。しかしそっからは結局少女漫画やるしかないんだよなあ。色恋だけをあっちへこっちへシーソーゲーム。ラストが最大の欠点で何故橘川があそこであっさり諦めたのかってことが描かれていない。最初の時点での浮気に関する「大人の論理」も僕には通用しないもんな。そりゃ確かにかわいいし綾波だし意外性のキャラだしコミカルやってるから漫画としてはいいんだけど、大人の読むもんではないわな。

巽先生はnarrativeの変遷をやっていると結局現代文学にまで至る。テクスト連関でもあるけれどそれほど記号論じゃなくて歴史にも目を向けるわけだ。同じ題材の語り方の変遷か。やっぱ物凄い量の本を読んでないとできんなあ。「Xのアーチ」は読まにゃあ。映画の「カッコーの巣の上で」のラスト付近も見る。迫力ある。
25:27
毎日夕刊に辻邦生がTBSのドラマ「友達の恋人」についていいレヴューを書いている。辻邦生の趣味は知らないが、辻邦生の見方が正確で、僕の読み方が正しければ、これはすごくいいドラマだったということになる。僕が物語作品に持つ理想に限りなく近いのだ。「リアリティにこだわら」ず、「形象がよび起こす情感のほうが大切」として、さらに「自由な明るい視角」も備えているらしい。でもそこから「青春」なんて話に持っていかれたら不安になるんだけど。
さらにテレビドラマについてこういうレヴユーが書かれるというのも、Serious watcherにとって朗報だ。単に褒めるだけでなく、貶すことを目的として書くのでもなく、ちゃんと基準をもった批評、紹介や広報のためだけでなくつまり放送後にもちゃんと評価をする批評というものが、テレビやポピュラー音楽、漫画という分野には欠けている。そりゃ批評体系を確立するというのは大変なことだけども。クラシック音楽の批評はあるし、演劇も当然あるし、映画はよく分からないが「ロードショー」に比べて「シネマ旬報」はちゃんとしていると見れる。漫画でも最近夏目房之介やいしいひさいちやみなもと太郎が本を出しているようだが。アニメで「EVA」なんかは特殊な例だった。
つまりThomas J. Robertsの_An_Aesthetics_of_Junk_Fiction_の読者区分、Serious Reader、Plain Reader、Paperback Readerを、テレビWatcher、ポップスListener、漫画Readerにも当てはめて、Serious〜が参照すべきA Good Reviewが欲しいのだ。流行りものをチェックするPlain〜かマニアックなPaperback(Genre)〜しか今いないもんねえ。値する作品も少ないのかもしれないけど、それも批評体系の確立や読者層の形成によってレベルが上がっていくものではないだろうか。すると最大の障害は商業主義か。商業主義を免れるインターネットのニュースfjなんかは玉石混交だしな。

7/9(水) 16:54
***************************************。
17:29
「舞踏会へ向かう三人の農夫」第2回。三つめだ。
26:20
帰って寝ちまった。

7/10(木) 25:07
巽先生を囲む会には出ない。どっちでもよかったのだが、そこでSomething is better than nothingという言葉は、使い過ぎて無価値になってしまっている。

7/11(金) 15:18
最終日は早く終わる。本にサインを記念に戴くミーハーな一味に加わってしまう。
MLをSTOPにする。「川本真琴」のseriousな批評をやっていたけどしかたない。
26:07
「こどちゃ」#66「逃げちゃえ逃げちゃえ海越えて」。前半は前の続きで痛い。「どつぼにはまった」「居場所のない」状態が、心に共鳴する。**************。こういう暗い状況は普通やらないんだよ。漫画やアニメやドラマでは避けられているし、小説になるともっとニヒリズムが入る。映画ならあるかな。もっと真っ黒に暗い描き方ならありそうだけど、色彩は保ったまま暗いんだから。その辺がリアルなの。山でのように立ち直れないのかといえば、違うところは1.紗南の気持ちが羽山に知られた、2.羽山の気持ちが分かった、3.風花に1を知られたということで、要は親友同士が一人の男の子を好きになるというありきたりなプロットだけど、1と3があるし羽山の気持ちもあやふや。勿論羽山も風花を無下にはできずしかたないのだが。どうしようもないんだよなあ、実際。後半はN.Y.行きに「こどちゃ」終了、そして空港のシーンになるわけで、やや無茶やっていることは否めない。でもそれを「わたしの周りが動いていく」と何とかまとめている。ミュージカルやるならまた振り付けが楽しみだし。そして次回予告を見ると向こうで羽山そっくりの人物が出てくるらしい。なるほど。そういうプロットを選んだか。脱帽です。で今日のラストは羽山の初めての表情。という絵コンテが大地監督。「魔女の宅急便」のクレジットをじっと見ていると「こどちゃ」の撮影監督羽山泰功の名前があった。
毎日のテレビ欄を見るとTBSの「最後の恋」が「友達の恋人」のスタッフである疑いが浮上した。見ると確かに話はスタンダードで、変にヘンでなく、ややこしくもない。そして演出はシャープで落ち着いている。各人物の思考がみな順当。という。常盤貴子は頭空っぽの役しか今まで見ていないような気がして、この役は秀逸。プロデュース貴島誠一郎、脚本北川悦吏子はつまんないが、演出が生野慈朗という人。

伊良部はやった。なんだかんだあっても、勝てば勝ちなのだ。法を変えようと思ったらああいうふうに動かなきゃいかんのかねえ。フォーカスもか。勿論どんな悪法でも法は法だからペナルティは覚悟しておかなければいけないのだ。これはもしかすると左翼のやってるチラシや街頭演説の啓蒙主義ではなく、Civil Disobedienceに近い、マスメディアを前提とした新しい民主主義の方法かな。
27:47
母上が、**おじさんのとこの**さんと喧嘩してきたそうだ。例の****の家が大分古くなって塀にひびが入っていて修理をせねばならず、その件で**に行っていた。そこで実際に見て、ナショナル住宅に電話を入れて月曜に見積もって貰うことになって、その時**おじさん夫妻も同席することを、当然のこととして要求したことで**さんが腹を立てたらしい。よく考えれば嫁と小姑だったのだ。母上としては専門のおじさんにいて欲しくてちゃんとお願いしているし、おじさんもそれは全くOKなのに、**さんが口を出したのが気にくわんて。やだなあ、そんなところ。あまり想像できん、でもないけど。でぎすぎすしたまま帰ってきたらしい。とすると可哀相なのは**おじさんということなのだった。やだなあ、こんなステレオタイプ。

7/12(土) 26:00
雨の中図書館に行く。あっめ雨雨、雨の降る日は天気が悪い。

7/13(日) 24:57
「天使猫のいる部屋」薄井ゆうじ。落ち着いたスタンダードSF。ちっともScienceしていない根拠のない無茶苦茶なSFでも、パターン化して形骸化したSFでもない、新鮮なセンス・オブ・ワンダーをきちんと感じさせるSFなのだ。こういうものを書ける人が未だに、そしてこんなところにいたとは。最後もうちょっと、サムの考えていたことが理解されたのか、それによって人生を狂わされたというだけか、どっちかをはっきり提示して欲しかった気はするけど、そうもいかないんだろうなあ。
25:26
イギリスGPはヴィルヌーブ。でもポイントはまだシューマッハとフェラーリ。

7/14(月) 16:18
「もののけ姫」完璧っすね。幸せだ。こういうものを見るために生きている。
しょっぱなからぞくぞくさせてくれる。タタリ神の動きに、剣を抜いた女の子。いきなり涙腺ゆるむ。通していい女を描いているな。原画から背景から作画から動画から完璧ってのはジブリがあんだけ力入れれば当然か。CGでレイ・トレーシング処理してそれをさらにセル画風にレタッチするなんていう発想のある日本のアニメは素晴らしい。一瞬見た「ヘラクレス」のCGそのまんまのやまたのおろちなんかげんなりする。勿論映画でしかできない画だけどね。腕がもげ首が飛ぶシーンはえげつなさもさながら迫力がすごい。山犬の勢いからサンがタタラ場の壁を上るシーンは脚本の時点かな。にしても凄い画の連続。とまあ生兵法はこのくらいにして。
脚本も完璧。ストーリーの面でも何もいうことはない。テンポもこれまでのものに優るとも劣らない。「ナウシカ」の影はあるけどね。森から出てくるタタリ神に王虫を、デイダラボッチに巨神兵を見るのは簡単だけど、別のレベルで全体でも「ナウシカ」との一致と変化を見るのが正しいのかな。基本的にテーマは同じなことは分かってる。でも今回EDクレジットが背景真っ黒だった。そういうこと? さらに意味を考えると。自然と人間という環境問題は答えのない二元論。アウフヘーベンして現状なんてことだけじゃつまらない。少なくともそれをこのように形にしてみせることは重要だ。人の営みは自然を壊すことだけじゃない。そして人の営みは全肯定される。だから自然を壊すことだけじゃない人の営みについて考えて生きないといけない。
25:44
でもやっぱりホントの自然は苦手。ホントの自然とは糞であり腐葉土であり蜘蛛の巣であり多足類であり羽虫であり這うものであり淀んだたまり水である。頭で分かれば歩くことはできる。理性では自然を受け入れるんだけど、その一つ下のレベルでは嫌悪感があることを否定できない。もう一つ下へいけば僕も自然の一部なんだろうけどそこへはいけない。

クレジットで見覚えのあるのは近藤喜文くらいか、と金田伊功とは。

7/15(火) 25:44
昼寝したり本を読んだり。

7/16(水) 26:36
同上。「少女革命ウテナ」にはついていけない。独自の世界を作っていることは認めるが、面白くないのだ。
28:28
「ツイン・ピークス ローラ・パーマー最後の七日間」を全く違う見方をする。巽先生の影響かね。つまりボブは単純に悪という抽象的なものの実体化ではなく、その悪(ボブ)を生み出したのはあのローラ、リーランドの生活の中でもかすかに残っているクリスチャン的モラル。あの乱れた性生活と従来のモラルとの矛盾への葛藤があると。今更なくてもよさそうなもんだけど、やっぱり根付いていると。
27:01
********************。**。******。*******************。

7/17(木) 25:03
****************。**。******。***************。

ジュリアン・バーンズ「ここだけの話」。割と面白く読めた。やはり書き方にこだわっている。しかしバーンズの場合はこれまで内容とスタイルがあまりマッチしていなかったというか、方法論を昇華しきれていなかった。それが今回は浮気による三角関係というシンプルな内容で、このスタイルを楽しむことができた。それぞれの言い分を取り上げるという、必然性があったためか。「藪の中」だしね。

7/18(金) 25:59
「争いの樹の下で」。丸山健二の文章は、樹を語り手にするというスタンスの軽さの一方で、語彙文体は壮重でどっしり構えている。読んでいて心地好い。好きだ。内容も僕の読んだ100ページにも満たない最初の部分だけで思春期から青春期の心の成長というやつを完璧に正確に書き尽くしている。ビルドゥンスク・ロマンやら青春小説やら自我を描いた小説なんてもう必要ない。書かれてしまったことはもう終わっているのだ。人類にとって。

「こどちゃ」#67「ニューヨークったらサスペンス」。あぶなっかしい脚本だ。ジャズの「SANA SAMBA」はよかったけど。
「最後の恋」もつまんない脚本だ。
物語の展開はできるだけ必然に見せなければいけない。偶然は効果的な演出に取っておかねばならない。

全英オープンで丸山茂樹ががんばっている。好きなんだよなあ。あのキャラで力もあるというのもだけど、だって「あした天気になあれ」そのまんまだもん。

7/19(土) 26:42
大学との接続悪いなあ。sakuraに残っちまったかも。
Othelloに手を付けたいんだけど、どうにも。

7/20(日) 25:35
今日もだらだらと。アクションものや学園ものの夢を見ている。
「争い」は小説の構造もオッケーなんだけど、千年の樹に語られるとその言葉が絶対のもののように感じてしまう。やばいやばい。批判精神は買うけどペシミスティックでどっか偏っている。面白いけどね。絶対ではない。一つの教え。
ウッズはイーヴンか。丸山はやってくれたけど。あとは見ててもしゃーない。知らん人ばっかだもん。

7/21(月) 25:54
K介母とそごうに行って昼飯を食べる。

7/22(日) 11:21
「エヴァ」は混んでいて次回の整理券をもらう。「DEATH」のフィルムブック。
13:53
「THE END OF EVANGELION Air/まごころを、君に」。最終的に、やってくれた。まずかましてくれて、次に失望したけど、終わってみればえらいもんだった。かましてくれたのは、REBIRTHからのNERV職員惨殺、アスカのこれまたえげつない殺され方。例の「おれ」の前にシンジに口髭が薄く生えてたのかとか、弐号機VS増産機もそうかね。弐号機の作画は直ってなかったのかな。表情なんかもアナクロニズムグロテスク。悲鳴も凍る。そして25話、26話に分けて、間にクレジットを入れるという構成。ここで実写が入るということが分かる。さらにやはりTV版の25、6話の外の世界であるということ。ミサト、リツコの死もちゃんとTV版の通りに出て来たし。
しかしアダムの覚醒からは、ちょっとげんなりした。「デビルマン」方向へ行ってしまったわけだ。現実感というか、一般性がなくなってしまう。しかしこれはTV放映後、謎ときをやっていたファンが見せろ見せろといっていたものなのだ。そんなに見たけりゃ見せてやる、てことなんだろうね。最後まで描くならああなるしかなかった。よく考えれば分かっていたことなんだけど、全部見たら幻滅しちゃうんだよね。だから僕としてはミサトさんのいう通りエヴァを全て破壊して、破局は回避される、というのを期待していた。つまり人の勝利を。でもそれじゃあ謎を全部明らかにはしないからなあ。やっぱこれは庵野監督の逆襲なのだ。
それが明らかになるのが最後の物語が破綻していくくだり。映画館の客席が写る辺りから見ているものに問い掛けられていることが分かる。(ちなみに映画館の客席がスクリーンに映るといえば「たんぽぽ」くらいか。)これはアニメファンに対する、現実へ帰れというメッセージであるということをTV版からいっていた人もいたけど、TV版からでははっきりとは読み取れず、ここではっきりといわれた。アダム覚醒の展開を、これは夢だ、といってしまうのだ。これは虚構だ、と。現実と夢についての云々。はっきり言葉を覚えられないのでシナリオが欲しいな。「他人との間に境界なく存在する心が怖」くて、「心を閉ざす」のがアニメ鑑賞者であると。アニメに限らなくてもいい。そこでどうすべきかということも提示されていた。自分の夢、虚構、未来、現在、世界を自分で描いていけ、ということだったのかな。結局は虚構の否定ではない。人の存在と同時にある虚構の存在を否定するわけにはいかない。答えはユイにあると見ていいんだろうな。「ユイが生きた証」はある。その覚悟だ。つまり埋没せずに主体をしっかり持てと。自分で選び取れと。僕としてはちゃんと分かっているつもり。でも凄いパワーでで再び提示される。ぐらつく。内ばかり向いていてはいけないんだよね。どの程度外に向けているのか。痛い。心にずかずか踏み込んできて、ずきずきと突き刺す。最後の「気持ち悪い」なんかはすごく効く。後味が悪い、素晴らしい映画。

これをちゃんと受け止めたらよっぽどの覚悟がないとニュースなんかには書けないよ。

こんなに書いてしまうということは僕もいけないアニメファンの一員ということだろうな。反省しなきゃいけんのか。傷ついたなあ。でも庵野監督もアニメファンだしそんなに否定されている筈はないという甘えもできる。

うん。やっぱりこれを見たからと生き方改めることもないだろうな。人より真剣に考えているつもりはあるんだけど。それだけ業が深いのかな。

そろそろ動いていいかな。本屋に行く予定なんだけど。ここに書き付けるっていうことは片付けるってことだよな。終わらしちゃいけない。

ということで一時間経つ。
18:14
丸善でShakespeare, _A_Midsummer_Night's_Dream_. Hemingway, _The_Old_Man_and_the_Sea_. Vonnegut, _Deadeye_Dick_.
27:21
「徹子の部屋」に林原めぐみ。チェックしてしまうあたりもディープか。AMでも今の声優ブームに警告を発していたそうだが、その辺の言葉をどの程度信頼していいのか。人気実力共にとかいうけど、「めぞん」のデビューというのがどのくらいのキャリアを指しているのか、「らんま1/2」での二人一役でのほぼ主役というのがどのくらいの実力評価だったのか分からない。椎名へきるあたりの経歴見たいな。でもこれを見ているとしっかり話ができている。仕込んできた話でなしに「いい話」ができている。

7/23(水) 26:01
「ウテナ」の不条理ナンセンス、妙な雰囲気を楽しみ始めている自分がやばい。

7/24(木) 24:38
「争いの樹の下で」読了。いや面白かった。楽しい読書。あのファシズムと軍国主義への未来予想図は必ずしも的確なものではなくて、樹の独り善がりな空想なわけだが、それは面白いからいいのだ。そしてどんでん返しな結末も美事だった。そういうクオリティの高い物語の中で、日本人のファシズム好きや自然破壊への丸山健二の危惧は、散りばめられているだけ。話半分に聞いておけばいい。あれを絶対的な予言や正義として読むのには無理があるといわざるをえない。断片的には重大に受け止めればいい。逆にそれはしないといけない。丸山健二のものの見方はやっぱ尊敬に値するから。小説とはそういうものだし。

今日は学校へ行くつもりだったのだが、寝過ごして中止。
オールスターで広末涼子のやった、始球式でサインに首振りってのは、割とお決まりのネタだよなあ。

7/25(金) 26:41
「こどちゃ」#68「渡る世間は謎ばかり」。やっぱり脚本悪い。謎がどうとかいう話でなくて紗南ちゃん側の行動原理すらつかめない。振り付けもなってないし。
一方再放送の#25「心の傷のバンソーコー?」はいい。こっちもオリジナル編なのだが、まみちゃんがよく描けている。泣けてくる。原作部分の延長の後日談的なプロットを作らなければいけない、一方では制限され一方では蛇足になる危険を孕むという状況で、よくやっている。前の坂井ケイコさんの旦那も人物造形がよくできていた。確かに笑いでは外したり寒かったりしてるし、脚本的にも今イチなところがないわけではないけど。

「トップをねらえ」MBSではやらないらしい。ったく。
「朝まで生テレビ」。議論は既に出尽くしているのかな。

**************************。*、********? ***************。

*******************************。
28:03
「朝生」。原因を教育に限ることの是非はあろうが、そうなった方が話は面白くなってる。
28:30
でも、なんだかねえ。
もう過去の一事件だね。

7/26(土) 27:12
うーん。ニュースが全然読めない。「こどちゃ」に苦言を呈したいのだが。
フジの24hTV。台風でいろいろあって企画がつぶれても、あるいは企画レベルでどうしようもなくても、それなりにダウンタウンならやるだろうとは思うのだが、どうもなあ。もっとからまれるタレントがしっかりしないと。すごくやる気ない。「LOVELOVEあいしてる」の部分はよかったんだけど。
ってその中でSMAPから電話がかかってきた時、後ろで誰かが「****」いってたぞ。酔っていたらしいがあの声は中居クンか慎悟か。松本明子がそれいってン年間業界締め出されたんだろうが。

僕がこないだの同窓会でTちゃんT也S山Yに会う時どうだったか。あの頃と同じような待遇をされるとは考えなかった。でもちょっと、確かに、怖かった。身がすくむとかいうほどではない。当然何もないと分かっていたから。逆に勇気を振り絞って、もう一度会っておかなきゃと考えた。どうしようもない恐怖はなかったが、やっぱりお互いに「心の傷」はあったのだ。二人きりになれたかどうかは分からない。でもあれでよかったと思っている。
今となるとそういう痛みを受けたことも、実り多い人生のためによかったと考えられる。
人は悲しみが多いほど、人には優しくできる。でも現代にあってそうそう悲しみを経験できるもんでもない。いや、それぞれの人でそれぞれあるのかな。人生が真っ白けに幸せな人もいるわけないし。
でもリンチされるってのはいい経験だった。心も体も痛いもん。

7/27(日) 24:40
篠原ともえはもうちょっと声の訓練をした方がいいと思うのだが。

いや経験には関係なくどんな状況にも感情移入できたいのだ。
25:31
ベルガーはドイツGP。

7/28(月) 18:19
大学に来るが文学部図書館閉まっていて用事の半分果たせず。
TiMidityをダウンロード。
MTGのWeatherLight、やっぱ採用率は低い。
26:46
生野慈郎とは「男女七人夏物語」から演出やってる人ではないか。
今日も**に会おうとしてたな。
川本真琴「忘れそうだった」298はちょっと買わんが。このタイトルは、最初はどういうボケかと思っていたが、「やきそばパン」の「今してることみんなずっと覚えてられるかな」を受けるのかな。ここは凄くいいフレーズだからね。しかも早口で回すし。忘れちゃうよな。忘れない代わりに一生思春期でいたいなあ。でも離れていってるかもなあ。
「逮捕」のクオリティはどっから来るのかなあ。途中で監督が代わったと記憶していて、それでラブコメのラブからコメへと変わったと思うのだが。そのコメディもメカおたくをメインにおたく的ふざけ方で好きだなあ。メカおたくの延長でシリアスなサスペンス部分も本格的だし。でもそれと同時にに脚本、作画のレヴェルが高い。これを週一本作れるのが凄い。

7/29(火) 27:31
ポストまで行った時、F内を見た。赤いシャツに下はジーンズか、髪が茶色くて左右でまとめている。眼鏡はなし。チャリででかけていった。

Y井家の話。おじいちゃん(***)は長男だったのだが、「百姓が嫌だったのかわからんけど」家を飛び出して、サラリーマンになった。戦争前後の話。それで家は弟が継いだそうだ。その家は借地で建ってる家はY井のものだったらしいが、名義はおじいちゃんだった。それをおじいちゃんが死んだ後、借地権は弟さんの嫁に渡したそうだ(今の***さんのところか)。かすかに記憶している***のあの家も借家で、今は駐車場になってしまっている。

TiMidity、TiMidity95がちゃんと動いたが、音源patchファイルがレストアできず、付属の二つの音色だけ。それでもサンプルのMIDIファイルは95のメディアプレイヤーとは全然違う音が出る。

7/30(水) 25:28
「ユリシーズ」ようやく読了。ま、今更敢えていうことはないわな。情報が先にあったから新しい感想はないのだ。原文には去年の英語で触れて、これは全部はこれでは読めんと分かった。で、この訳を読んだのは伝え聞いている輪郭の確認だ。結果、モダニズムの手法は情報通りに実現されている。通して読めばストーリーも割と見えた。ただしこれがモダニズムの始祖、コロンブスの卵であることは文学史の中でしか証明できないが。位置づけとしてはモダニズムの教科書でありバイブルということは決定了解事項だろう。分かんなくて読み流したところも沢山ある。じっくり読まなかったのでは無駄な時間だったとは思わんが。

散髪、三人で**へ買物。UCCエヴァ缶、シンジ、アスカ。

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