1997/3/1(土) 16:19
散髪行った。髭は残す。「DOS/V POWER REPORT」にモバイル・ギアのDOS化プログラムが付いている。Sちゃんに大学で買ってきてもらおう。
27:19
POWER REPORTを買わなかったので落ち着かない。早く入手したいのと、もしかしたら売り切れるかもという不安。**********************************、*********、***************、*********************。
28:25
表計算で一人Hit&Blowゲームを作った。
3/2(日) 27:36
K介と母さんと三人で出かけた。けいはんなホールのミュシャの展示即売会は売り付けようとする案内人が話しかけてきて不快。でもポスターはgetする。近商でパワレポを結局買う。ただし95版「ルナティック・ドーン」が出てきたためにまだ試していない。
3/3(月) 22:03
UNIEXIT.EXEは動かない、DOS窓は動くがどちらにしても少し怖い。
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スティーブン・ミルハウザー「エドウィン・マルハウス」読了。面白い。やはり曲者はジェフリーなのだ。もともとエドウィンについてのジェフリーの伝記をまた紹介しているという本をミルハウザーが書いているという複雑な構成の小説であり、読んでいる途中からエドウィンが実在しなくてもジェフリーの「作品」は存在しうるということも考え始めるが、エドウィンの偉人としての存在自体はパロディの域には至らない。しかしジェフリーがエドウィンを自殺させたということを知らせれるところではショックを受け混乱してしまう。ともあれエドウィンの人生自体は「架空の偉人」としては物足りないが、子供の世界へのノスタルジーは見事に描き切っている。そしてエドウィンの作品「まんが」は美事である。これは間違いなく「偉人」の作品を小説中で創り上げている。虚構の文学史上で「まんが」は燦然と輝く名作なのだ。この点で「エドウィン・マルハウス」は他のミルハウザー作品とは一線を画し、ヴォネガット、ヘラー、キージーらと同じ70年代的な作品といえる。
27:20
「恋する人魚たち」ウィノナ・ライダー可愛い。つまり、ウィノナもかわいいが、ウィノナの役がかわいい。******シリアスな部分が出てくるので*********、一緒にドキドキする。シリアスパートはリアリティの関係で難しいのだが、コミカルさを入れてうまくシリアスの見せ場を際立たせている。とにかくウィノナ以下の女三人の家族で、実にかわいい世界を創り上げているのがたまらない。
3/4(火) 26:36
確定申告をして、図書館に行った。そこで「ASCII」を読んでMGのUNIEXITを動かすことに成功した。d:\unishell.dbgを置いて左右のSHIFTを押しながらbootなどとはパワレポには書いていなかった。不親切の役立たずである。しかしその後UNISHELL(普通のMG)を使うと暴走しているようで怖い。日常的にリセットボタンを押すのも怖い。
K介は明日中国に発つ。
3/5(水) 24:20
その後MGにDOSソフトを移動しようとするがうまくいかない。
「1/2」涙が出そうなほど胸がきゅん。
3/6(木) 11:44
**********************。
14:48
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20:50
*****。****拡大家族計画に一人参加があったことだし。MGについても少し分かったし。*********。
3/7(金) 8:34
**。*************。
13:21
*********、***********。その後も情報でごちゃごちゃ。今は三条のロッテリア。MGへのコピーは386ノートを使えばうまくいくのではと思いつく。
27:10
386ノートも駄目で結局*.defファイルを書いてMobileGearStationをだますことでファイル転送ができた。さらにUNIEXIT.EXEを古いバージョンにしてリセット機能も持てた。しかしそれで何をするかといえばHtermは動きそうにない。wcだけが今ある。
何とH田マンから電話があり、3/29/1730に新大宮駅で集まって小学校の同窓会をやるとのこと。成人式は行かなかったが、いいかも。あ髭はこれでいいだろうか。
3/8(土) 26:57
日本ゴールドディスク大賞でニュー・アーティスト賞(グランプリではない)を受賞した川本真琴を見ると髪をさらに短くしていた。また高橋洋子「残酷な天使のテーゼ」がアニメ主題歌部門でグランプリ。「エヴァ」のビデオも受賞。最近のランキングでは「魂のルフラン」が初登場3位とかに来てるし、やっぱ映画見に行こうかなあ。
マイケル・リチャードソン編「ダブル/ダブル」。作家になれなくても評論したりこういう本を編める人間ではいたい。
27:22
DOS環境を整えた。
3/9(日) 27:15
F1GP開幕。オーストラリアGPは一位にマクラーレン・メルセデスのクルサード、二位にフェラーリのシューマッハ、三位にマクラーレンのハッキネン。クルサードとはつまらない。まあハッキネンが優勝でなかったのが惜しいけどマクラーレンの復活は喜ぶべきであろう。ヴィルヌーブ、ヒル、アレジ、ラルフ・シューマッハと早々とリタイヤするなど荒れたが、そんな中でプロスト無限ホンダのパニスが五位、中野も完走は明るい報せだ。やはり今年もシューマッハ兄弟にハッキネン、そしてチーム・プロストだな。
3/11(火) 22:09
昨日K介が帰ってくる。お土産はY井S郎の判子やらスプライト(雪碧)の缶やら。
ジャネット・ウィンターソン「さくらんぼの性は」これはよかった。ヴォネガットな小説だね。ユーモアのあるのがいい。ジョーダンのパートがやや抽象的(幻想的?)で掴みにくく、フォーチュナータや現代と交錯するラスト近くも狙いとしてははっきりとは分からないが、やはり「母」のパートのユーモアで救われて小説としての出来はとてもよくなっている。「母」が不快だが快いのだ。革命で倒される王に与することがこんなに正しかったとは。小説だからできるそういった「母」の傍若無人の正当化説得力に酔ってしまう。
「踊る大捜査線」まだ終わってないが今クールのドラマのベスト・ワンは決まった。これは勿論これまでのいわゆる刑事ものとは違い、ややコメディー仕立て。舞台が警察でなくても別にいいものだ。その中で柳葉敏郎の組織の体制を改めようとする態度、そして仕事における「正しいこと」への現場の人間の態度を描いている。非常に実は真面目なテーマだがユーモアの配置で楽しんで見るドラマになっている。美事。脚本は君塚良一。真剣なテーマをユーモアを混じえて語る、「暗い構造と明るい現場」は物語を作る上でもう常識だ。ま、このユーモアちうのは難しいけど。「踊る〜」は警察官の正義とその厳しさをどちらも描いている。ドラマはこのくらい真剣に作ってほしいものだ。今回は悲劇をその唐突さで見ているものに衝撃を与えたのが上手かった。ラストは正義が鮮やかに厳しさに勝って欲しい。つまり柳葉敏郎の正義がである。
今日は図書館に行った。
3/12(水) 27:40
TV大阪で「EVA」劇場版の特番。やはり見に行くだろうな。
群ようこ「贅沢貧乏のマリア」藤本ひとみ「コキュ伯爵夫人の艶事」は少し読んで放棄。ただただ楽しめるエンタティメントを読みたいのだが、ない。つまらなすぎる。早く北村薫「覆面作家の夢の家」を図書館で借りよう。
27:58
MGの通信機能で大学にアクセスできるではないか。なんだ。KTXとか試して損した。VTエミュレーションと日本語コードの問題はあるが。
3/13(木) 26:52
矢作俊彦「スズキさんの休息と遍歴 または ドーシーボーのかくも誇らかなる騎行」これは面白く読めた。これが正しいヴォネガットの真似だ。イラストの使い方も正しい。イラストや大きい字や違うフォントは下手に使うと意味がなく無意味もないのだが、ここではあまり、途中からは全く気にならなくなった。ユーモアのセンスも正しい。左の道も正しい。ストーリーの騎行の結末も正しい。実に正しい小説だった。
「EVA」映画は京都奈良では演らないのだろうか。
27:35
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3/14(金) 27:46
録っておいた「バック・トゥ・スクール」を見た。あのおっさんはローズウォーターか。面白い。他のどの映画とも似ていないから。いいキャンパス・コミックだ。ヴォネガットのちょい役もいい。ヴォネガットFAQに書いてあるのでは説明不足だな。
図書館に行ってリードに寄り、「EVA」は当然京都でもやる、奈良は各回入替制、林原めぐみのデヴューは「めぞん一刻」の園児役とかいう情報を仕入れたりして帰る。
「こどものおもちゃ」五條の最期は泣ける。「真夜中どさくさ劇場」の撮影の中で跳び降りながら超スローモーションになるのは「フランダースの犬」だなというコンテを描いたのは大地丙太郎。でもプロット以上に泣かせるのは五條の「何事も中途半端にして生きてきた人生」にリアリティが感じられるから。こういうことをここまできちんと描いているのはTV実写ドラマでもなかなかない。あれ。リアリティを感じるのは僕か。僕が共感しているからか。流行りのプラス思考もいいけれど、紗南はそれができない五條も受け入れていることにも目を向けたい。
川本真琴TV巡りは来週だ。アルバムは五月。
北村薫「水に眠る」はちょっと違う。
大島弓子「毎日が夏休み」はすごく忠実に映画化していたことが分かった。佐野史郎の存在感は漫画にはないが。他の作品は特筆に及ばず。
3/15(土) 27:41
N澤君から電話あり、附高の同窓会03/30/1730心斎橋SONYタワー前と。おやおや。
中国(香港だ)の女性歌手のCDを図書館で見つけて借りてみた。あっちの音楽については詳しくは知らないが
王靖[「雨」の下に「文」]、フェイ・ウォン、愛称が王[くさかんむりに「非」]の「十萬個什[ちょん一ノの中に「木」が二つの下に「糸」の上半分]」。だからワープロは困る。歌詞の意味が分からない快感。声も綺麗。
篠原ともえ、持ち歌を聴いても「LOVE^2愛してる」のバックコーラスを聴いても歌は上手いのかどうかよく分からなかったが「夜もヒッパレ」で「トラブルメイカー」なぞ歌うの聴くと結構上手いことが分かった。持ち歌でも歌い方が優れていると見ることもできるかもしれない。
川本真琴「1/2」の屋根の上に椅子をのっけてギターを弾くクリップを見た。
やっぱ女性ヴォーカルである。男はダメ。男は多くが口をひんまげて発音を不明瞭にして歌う(勿論そうでない人CS石井もいるし普段の声がそうである人井上陽水もいるしそれが許される人桑田佳祐もいる)。かっこいいのかしらんが自分の声に酔っているようなところが気持ち悪い。所詮ヴォーカルも一つの楽器なのである。譜面に書いてあることをそのまま素直に音にできない楽器は不良品である。
3/16(日) 27:09
ホームページの改築を始めてみたり。
MSXエミュレーターでの「ドラクエ2」も「ルティック・ドーン」も時間つぶしの娯楽以上ではないのだが。
3/17(月) 27:43
うーん、一日だらだらと。そう、ドイツ語をやり始めた。
「HEY^3」に川本真琴。そうか、神様は何も禁止なんかしていないのか。
3/18(火) 26:45
ソール・ベロウ「盗み」。「知性派作家」とは上手く作家を定義付ける表現を見つけるものだ。たしかにクララを中心とした登場人物たちは現実離れして知性的理性的論理的にものを考えている。無論小説だからそれでいいわけだし、一方で小説ならではの超論理的な言辞もあるのだ。多分そのことを指してイシエルがクララの「女性的直観」と述べているが、小説中のそれと現実での超論理的な発想とには違いがある。と思う。普通評論ならざる小説には理論を無視した思考発想があって、それによって物語が動かされるという現実と同じ外観をとっている。だから小説中の科白や独白を論理的に読んでいると(解釈・誤読の問題もあるのだろうが)、論理が通らなくなっていて困ることがある。現実の場合はいちいち立ち止まって論理が通るように考えてみるということをしないだけだ。しかし決定的な違いとしてそれを発生しせめているものの存在がある。小説の場合は勿論作者だ。作者の恣意によって人物はそのように考える。ところが現実においてはあるのは自己だけである。どのような思考も自我から生み出されているとしか考えようがない。自我とはエゴだ。情けなくなる。思考を律するものとして自己以外のものがあってほしい。つまり、論理か、神様(作者)か、超自我だ。結局超自我を無意識中に宿らせようという例の結論でしたちゃんちゃん。などと関係ないことを考えさせてくれた魅力的な本だ。
「踊る大捜査線」は勝てなかったね。
3/19(水) 17:18
「新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生 DEATH AND REBIRTH」。予想はしていたが、欲求不満を残すものだ。「DEATH」については、勿論72分に収めるのだから時間関係を無視したテロップ多用の魔砂雪監督・薩川昭夫脚本構成による編集。枠組?としてシンジ、レイ、アスカ、カヲル?による室内楽カルテットの体育館での練習風景。他新たに加えられたカットでは、ロンギヌスの槍を抜いた後のアダム(リリス)の下半身が生えるところ。アスカの苦悩の描写も加えられていた。書き直されたカットも多数あり、TV番第伍話のレイの微笑みは気合い入っていてグー。問題はTVもLDVDも観ていない人がこれを観て分かるかということだが、まあ分かる能力のある人には物語世界の把握はできるのだろう。
一方「REBIRTH」はほんの少しだけなのだ。確かに36分という時間だが、それでももっと書くこともできる。戦闘シーンにかなりの時間をかけているのだ。その戦闘シーンはかなりえげつない。人対人の戦いだからであり、無抵抗のネルフ職員も殺される。泣きながら仲間の死体を引きずっている女の子が撃たれ、火炎放射機まで使用される。拾九話をも越えるえげつなさだ。えげつないといえばシンジの射精のところもどきっとする。その後「俺」という一人称を使っているし。謎については確かにある程度は分かる。本編を観て他にも情報を仕入れている人なら予想の付く範囲内のものだが、それを外していたら筋が通らなくなるのでは仕方ない。しかしゲンドウの思惑だけはまだ分からない。まさかユイを初号機の体に甦らせるだけというわけにもいくまいし。なわけで「REBIRTH2」に続くのだ。あとはアスカ復活。伍号機以降のデザインはやっぱり不服。
26:52
感動する筈を不完全燃焼で帰ってくる。「26話までにしておいた方がよい」と言ってしまいたいが、どうしても期待を残す。
あと変わっていたと思った点をビデオで確認するとやはり24話でもアダムの下半身は生えていない。カヲル君を握る初号機の胸に刺さったプログナイフはTVでは画面の横幅が狭いので見えにくいだけだった。
あと同時上映?の大地丙太郎監督「魔法学園LUNAR」は、ギャグに徹する姿勢はいいのだが、ストーリーの方があれでは駄目だ。笑えない。
3/20(木) 28:22
うーん。
「修羅が行く」やくざ映画にはよいやくざと悪いやくざがいてよいやくざが勝つ。と思いきやこれは完結しなかったがそれはまあいい。でも今一つすかっとしない。やっぱ暴力シーンで必要以上に痛そうなのは嫌だ。特に無実の人間がなぶり殺しにされるのを観るのは嫌だ。筒井康隆「問題外科」はまだましだったが綾辻行人「殺人鬼」や栗本薫「天狼星」や他にも超低級ホラー漫画でも、生きたまま麻酔もなく腹を裂かれるというシーンがあった。吐きそうな嫌悪感がこみあげる。生きたまま死ぬのが嫌だ。怖いし気持ち悪い。現実にそういうことは起こり得るし、実際にそういう事態になればそれなりの対処をしなければならない・するであろうことは理解しているが、見せられると気分が悪い。
ちなみに「修羅が行く」はそれほどでもなくて普通の仁侠映画で普通に観れます。
3/21 27:06
図書館に行く。「覆面作家の夢の家」北村薫。素敵だ。予想通り。コメディーであって気楽に読める。そしてまた北村薫の書く女の子は可愛い。現実にそういう女の子はまず存在し得ないし、実際に表面上そう見える子をよく観察しているといろんな面が見えてしまうことは理解しているが、読むと幸せな気分になれる。
やられた、と思う部分もあった。夫婦別姓問題と好きな男の姓に自分の名を付けたい乙女心の背反については、「嵐が丘」のキャサリンを引用して僕も考えていた。ラストの「わたしの家」という言葉もすごくいい。外弁慶ならざるただの内弁慶の僕にとっては逆だが同じ問題なのである。家族に対する自分と外の友人たちに対する自分という全く違う人格のどちらを自分の好きな人、例えば**に見せるのか。うーん。どちらでもない。中間というか全く新しい人格。「家」でも「外」でもない場所での人格。すなわち「わたしの家」、あけすけにいうと新世帯ということになるのだ。
川本真琴は「ミュージックステーション」。「そっぽ」「ポッケ」「ほっぺ」なんて頭韻も踏んでるんだね。韻というよりは語呂合わせか。「愛の才能」でもある。「愛の、才能、ないの」「ズキ、指、先、痛い」。いい効果を出している。しかしミスチルの「everything」なんかになるとひどくて聴いていられない。「〜して」「捨て」と「STAY」だ。「名もなき詩」にもある。「誰」と「darling」。馬鹿過ぎる。なんでかなあ。前述のヴォーカルの問題もあるが、日本語と英語でやることの無理だ。井上ひさしが「人間合格」で「デモで暮らしええ」とかやっていたのを見ても分かるようにギャグにしかならんのだ。外国に行っても通用する名前とかいって子供に「まり」だの「えみ」だの名付ける親もどことなく迎合的で馬鹿っぽいしな。森鴎外に他意はないが。
何がいいたいかというと川本真琴は歌詞に英語を使わない。
韻ということになると日本の歌で脚韻を踏むものは「ムーンライト伝説」以外にまだ見つけていない。井上陽水が韻を使うと誰かがいうのを聞いたのだが意味が分からない。
「1/2」TVCMも見る。神
様
は何も
禁止なんかし
て
な
い、と明朝体はまたまた「EVA」だな、いやもともとは市川昆なのだったけ。折り曲げ(と一字赤色)は「古畑任三郎」でもやっててパロられまくったし。
3/22(土) 27:56
昨日今日と********の夢を見る。昨日は確か************************、今朝は**********。
川本真琴「CDTV」これでひと通りか。「ポップジャム」はチェックしていないが。
井上ひさし「國語元年」。舞台を実際に聞けば面白いかな。しかし特にどうということはない。方言を集めただけで新しいものは生まれていない。
「ダーティペア」の映画なんてあったのね。話は基本は何とか押さえているSFアクションで平凡だが、絵がよく僕はユリが好き。原作の高千穂遥は小説なので誰かがあの絵を描いてるはずだが不明。動画協力・ガイナックスは関係ないとして、モンスターデザイン・あさりよしとおと頑張っていらっしゃる。
K介とチャリで木津南の近商ストアへ行く。チャリで行くところではない。疲れた。
この日記のホームページ掲載のためにCRを<br>に変えるプログラムをQ−BASICで書いた。もうちょっと別の処理系はないのか。
3/23(日) 12:15
**********という陳腐な夢の相手は、あれは****という名だったがあれは**か。もう少し美人だったが。***************で、*******************。**********************。*******************。***********************************。他の出演はI野T守SっぴN村Y子。*************************。
27:23
頭が腐るほど寝てるのにさらに昼寝までしている。
新日本プロレスがここんとこNWOのからみで楽しませてくれている。「キン肉マン」かっての。
27:53
今「EVA」のフィルムブックを見ていて気付いたが25話に湖の底でうずくまる弐号機の中のアスカという絵がちゃんとある。うまい。すると倒れたミサトとリツコも現実ということか。
3/24(月) 27:31
何もない一日などというものがあるだろうか。いや、ある。
3/25(火) 26:37
頭痛。寝過ぎか。肩凝り、頭痛、吐き気。頭痛を抱えて「沙粧妙子 帰還の挨拶」を見て車輪の下症候群に思いを馳せる。
3/26(水) 27:39
昨日は奈良へ行ったのだ。奈良の「遊コン」とかいう店は僕の知る店の中で最もマジック・ザ・ギャザリングに力を入れている。全エクスパンションをちゃんと置いているし、レアのカードをばら売りしている。コモンのカードは好きに置いていっても持っていってもいいし、自由に書き込むノートもある。あとフランス語版、スペイン語版もあった。
3/27(木) 27:32
K介と部屋の模様替えをする。一日がかり。また本棚が足りない。
*****************************家庭教師をしないかという電話が掛かって来た。願ったりだがとりあえず4月になって授業が決まってからと答えておいた。N女附属志望の中三の女の子がいるらしい。*************。考えてしまうのは宮台真司の陰謀か。
3/28(金) 11:08
夢で小六の同窓会の予行をした。H田T田。
28:09
母とK介とおばあちゃんちに行った。
ソール・ベロウ「ベラローザ・コネクション」。これも興味深く読む。ああいう登場人物がユダヤ人らしいのだろうか。記憶に関する考察は語り手の設定からしてそのまんまだが上手い。記号論へ流して考えることもできる。こういうのが文字通り「小」「説」なのだ。「説」を開陳するにあたっても物語に伴わせて展開するので、無味乾燥な評論や論文より実行性があるように思わせることができる(欺瞞だが)。少なくとも小説であるには物語の方に、ユーモアとは必ずしもならなくてもいいが、読者を楽しませ惹き付ける要素がなくてはいけない。つまりただ喋り散らす自己満足でなく、相手に対するサービスがなくてはならないために、「説」への熟考と思い入れが深くなる筈なのである。
「Shall we ダンス?」。もしかしたら実はつまらないのではないかという予想を裏切って世評通り面白かった。成功の要因は何か。社交ダンスという目の付けどころか。それについては周防正行監督は「ファンシイダンス」「シコふんじゃった」でも押さえているはずである。また目の付けどころがよく毎回いい映画を撮っている伊丹十三監督の場合ともどう違うのか。伊丹監督にあるのはギャグの部分が明快なコメディーであり、周防監督にあるのは雰囲気のコミカルさである。「ファンシイ」「シコ」では修業僧や相撲の世界は本来真剣なものであり、そこにあるべき悲哀といったものがコミカルな雰囲気によって壊されている。いくら現地取材をした人が「現場は明るい」を主張しても世界として壊れている。一方社交ダンスは本来趣味として楽しむもので、その中の悲哀もコミカルさの内側にあっていいものだ。唯一真剣をやっていた草刈民代だが、彼女はコミカルな面を見せなかったのである。
つまり伊丹監督のギャグの合間にテーマを伝えるというやり方は大地丙太郎監督にも通じる。
3/29(土) 26:52
6−4同窓会。懐かしいけど照れるような口髭なんか生やして恥ずかしいような怖いようなという曖昧な感情の問題による迷いを、H田マンには恩があるからという明快な義理の問題で片付けて出席する。出席者はH田マンTちゃんMT也N村Y子O倉S藤N岡ゆかりI井T尾S川FちゃんN樹N村M井そして何故かS小のS。あとO蔵もいたが他に用事があったので一旦別れると連絡が取れなくなってしまった。まず新大宮に行くと人の群れの中にどうやらN樹がいる。他を見回すと顔が分からないのかも知れないが別の待ち合わせの人達らしいので、直樹に声をかけるともう一人Fちゃんがいたことが分かる。その次にN岡が来るが最初誰なのかさっぱり分からない。確かに彼女中学は違っていたがそれ以上に変わってN本になっていた。それから三十分かけて三々五々集まる。新大宮では店が取れなかったのでJR奈良まで移動。飲み会を始める。席は左にMその向こうFちゃん右のO倉というナイス配置。Mのわけのわからんことをのべつまくしたてる能力は健在で助かる。Mは地下鉄のY線Nで働いているらしい。FちゃんはO大。N村も大学生。N樹は****。M井は****してどこかの工場長で指示を出した後は音楽を聞いて昼寝してオセロをしていれば日給一万とか。S川も**。O倉は今年短大を出て家事手伝い。O蔵はタイヤ販売。僕は京大だが爽やかな反応。しばらくしてカラオケへ。京大の面々とでは歌う曲が少し違うかなあ。女の子の方は変わらないか。Tちゃんはまだ長渕剛。京大ではK介はじめ小沢健二が多いがH田マンが小山田圭吾を歌ってたのはどうか。H田マンは髪を長くしてマッチそっくりだが変わってなくて嬉しい。S川T也Tちゃんは中三になって僕をいじめたことをすっかり忘れているかのよう。そういうもんらしいが。その辺的確に観察していたようだった的は偉いなあと思う。そういえば僕の方も女の子には不評だった例の****があるがあれも忘れてくれていたのか。カラオケはマーク・パンサーをやらせられそうになるが何とか逃げて歌わず済ます。そしてまだビリヤードをしに行く話もあったが僕は帰る。現れたK義則のワゴンでM井N村O倉と送ってもらう。義則とも普通の会話。総じて心地よく過ごせてよかった。
3/30(日) 26:30
附高同窓会。まず木津駅で消費税3%の定期を買い、東西線から北新地を歩いて紀伊国屋で本を買ってから心斎橋へ。主な欠席者はT田S山F田さやかK畑A坂***部三人娘KさんM崎H野M田I野さんらI野も来ず。O川先生が来る。夏に2−3で同窓会をやったらしいが、あれ、僕は2−3だっけ。つまりK部先生を招んだということか。おそらく合宿の時だったのだろう。席はM時K尾RムちゃんA利で、後でTI上、Y内、S津とも話を交わす。口髭は一通り皆から突っ込まれる。まあ突っ込まれなければ淋しいもので、それでも引かずにもっと突っ込んでくれてもいいのにとも思う。触ろうとしたI口が正しい。RムちゃんはO大*合格おめでとう。山田はO大アメフト部とか。M時は紫のジャケットとブランドのグラサンの***ルックでO大構内では有名人とか。その店を出てとりあえず解散。しばらくまとまりなく歩くが、TK間MったBキンとビリヤードをする。JRなんばから帰ると終電だった。
27:03
ブラジルGPたった今ヴィルヌーブが優勝。シューマッハは五位。チームプロスト、ブリヂストン・タイヤのオリビエ・パニスが三位に入ったのがポイントか。
3/31(月) 26:57
また********から電話が掛かってくる。何と見事に勝手に話は進む。小六の男の子の方を相手させられる話になっていて一度先方と会ってほしいという。うーん、電話は難しい。よって明日***のセンターと***の親御さんのところへ行くことになった。後からいろいろを考える。
よく考えると中学受験というのが問題だ。僕はしていないし、小学校の内容で入試するなんてばかげている。どうせ最後は福引になるのだから。それから受験目的の勉強などというものは僕の最も嫌い否定するものだ。小学生相手にそれ以外の教育が家庭教師にできるのか。親がヒステリー寸前の教育ママだったらさらにたちが悪い。それが一番教育に悪いことを懇々と諭さなければいけないかもしれない。シロウ君は断然そういう人なのだ。僕が家庭教師をするのは日本の教育の改善のためだけだ。受験産業に携わらないというのも一つの貢献である。しかし一度やってみても悪くないと去年から考えていた。しかし電話の応対の中でこっちの考えをうまく伝えられない。時給を貰うだけでは絶対満足しないぞ。
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