Historical Implication on the Messianic Jew (1)
次のような質問がありました
「ユダヤ教と原始キリスト教(ユダヤ教の一派として発展した時期を仮定した場合)では、部族神の部族外部に対する意味づけに変化があったと考えられるでしょうか。メシアとしてのイエスの出現と言う事を教義に加える事により、外部から観察できる様な変化としては、どのようなものがあったのでしょうか。」
これについて私の認識している所にしたがって、考えを述べてみたいと思います。
まず原始キリスト教とは本質的にメシアニック・ジューでした。キリストを信じた最初の人々は旧約聖書を信じているユダヤ人であったことを確認したいと思います。イエスキリストは旧約聖書の否定の上に来られたのでは断じてありません。
ここの所が結構よく誤解される所なのですが、まずメシア(救世主)のコンセプトはイエス・キリスト以後に発生したものではなく、それ以前のユダヤの教えの中に既に確立的に存在していたという事実を確認していたほうがよいと思います。その上で「ユダヤ教と「原始キリスト教」の間の遷移変化を考えるなら、次のようなステップで起こったと考えています。
(1)ユダヤの神政政治の組織体は旧約聖書の預言に従ってイスラエルをローマ帝国の支配から解放してくれるメシアの到来を望んでいた。しかし、イエスがその約束のメシアであろうはずがないと考えた。
(2)ユダヤの世界の中にもイエスがメシアであったことを信じる人々が立ち上がった(パウロ、ペテロなど)。しかしユダヤの宗教の伝統はその中でそのまま継承された。
(3)イエスをメシアとするグループはイエスをメシアと認めないグループから排除されたが、それは結果的にnon-Jewsに対する進出を促進した。その結果イエスをメシアとするユダヤ人のグループが世界宗教に成長するポテンシャルを獲得した。
(4)イエスをメシアとするグループの宗教勢力は、いわゆる異邦人を集めて成長曲線に乗った。ユダヤの伝統的グループは四散したが、迫害のプロセスを生き残ったキリストの信者のグループはいつの間にか、持っていたユダヤ性をフィルターアウトしてしまい、安息日は第七日から日曜日になり、モーセの律法(トーラー)を尊重する伝統は失われてしまった。
ニケーアの使途信条と言うのは、この第4のプロセスの殆ど終わった時点で作られたものであり、必ずしも初代教会の存立趣旨と教団のユダヤ性を反映しているものとは言えません。あくまでもそれは、キリスト後約3世紀経って、さまざまな分派、教派に分散しつつあったキリスト信者勢力を最大公約数で束ねようとする政略的意図を以てなされたものであると言えます。その良い悪いは簡単な議論ではなく、後世の我々がそれをどう評価するべきかとかは、難しい議論になりますからここではしないことにします.
ニケーアの会議のホストであったコンスタンチン自体が多神教の塊でしたから、そういうポリテイカルな影響を全く受けなかったかと言うことは確かに有り得なかったでしょう。だから、建前は一神教であるが、マルチな側面を入れた玉虫色になってしまったのは容易に諾ける所です。 キリスト教の「三位一体」論というのは、ユダヤの世界にあったメシア観を完全に理 解・消化しきれなかった後の時代の非ユダヤ人の教父達が苦心惨憺して考えついた、考え方の一つに過ぎないのではないかと疑っています。
ちなみに、最近アメリカとイスラエルで増加をしているメシアニック・ジューは、上のキリスト教への変貌段階での(2)に相当するものです。
付記:ユダヤのメシアと三位一体
ユダヤ教の世界では、メシアというのは極めて難解なテーマに属しています。メシア(救世主)のコンセプトの発生した聖書(or トーラー【モーセ五書】)の所はアダムがエデンの園を放逐されたときの約束、または、イスラエルがエジプトの奴隷生活から解放された時の犠牲のあがない、またアブラハムがイサクを捧げようとした時に受けた啓示などの故事、モーセの幕屋に象徴される犠牲制度の指示など、探せば枚挙に暇が無いほどあるのですが、それらの説明はここでは省略します。そういう聖書解釈のバックグラウンドに則って、これらのものは、将来我々が救済されるために神が救済者メシアを送られることを象徴予表しているのではないかと言うことで、タルムードやミシュナの研究家の間で散々議論されていました。
面白いのは、このユダヤのメシアというのは、ユダヤ教では「これは人間である」という認識なのであって、その結果これまで複数の人達がメシアではないかとか、または自分はメシアであると自称していました。最近も92歳のラビがユダヤ教保守派の極めて一部の人から「この人はメシア」であると持ち上げられていましたが、本人が心臓病を煩いはじめてカリスマを失い、本人をして「私は違う」をいわしめたという話です。ユダヤ教の中には、預言者の資格、祭司になる資格と同じように、メシアとなる資格・条件というものがありましてこれに合致した人がメシアと認定されるらしいのですが、それだったらどうしてイエスキリストがメシアの条件を満たしていなかったのかという質問をすると、リベラルなユダヤ教の人は返答に詰まり極右のユダヤ教徒は感情的になります。とにかくユダヤ教の内部のメシア論は、トーラーから始まって、カバラのあやしげなmythologyの果て迄に続きますから、気が遠くなるほど奥が深いです。クリスチャンから言わせると「イエス・キリストをメシアと認めたらそんな複雑難解な議論をしなくてもよくなるはずだ」と思うのですが、そうならないのがキリスト以後に集成確定されたユダヤ教の伝統なのです。面白いと思います。
パウロやペテロが恣意的にユダヤの伝統を破壊して宣教をしたという事実はありません。確かにパウロはキリストの教えを宣教する過程でユダヤ教の権力者と対決しなければなりませんでしたが、これは宗教の権威をメシアよりもRabbinic documentsに置く権威者と対決したのであって、言うなればRabbinic authorityのユダヤと Messianic authority のユダヤの内部分裂のプロセスであり、それが長い目でみた結果として後者がキリスト教の発生母体となったとも見なされるでしょう。ユダヤの伝統がキリスト教教会の中で解体して行った過程は、キリスト教教会の中の異邦人信者の間で既に発生していたAnti-Semitismによって促進されたと思いますが、パウロ達がそもそも反ユダヤの教会形成の音頭を取った訳では有りません。ここのところが現代のクリスチャンによく誤解される所なのですが、パウロはユダヤそのものを否定したのではなく、Rabbinic Judaismを CRITICIZE したのであると考えるべきでしょう。
三位一体との関連は難問ですが、 結局これを煎じ詰めると、メシアの identity問題に戻って来るのです。三位一体の概念を議論策定した宗教会議のメンバーはどういう顔ぶれであったのか、私はわかりませんが、その中には当然ラビによって継承されてきたトーラーなどの文献解釈のコメンタリーに精通した人がいたであろうとは想像できます。しかし、そういう人が、旧約のメシア観が神観と一致整合することを説明しても、非ユダヤ人のメンバーにはなかなか理解できなかったのではないかとも考えられます。その文脈の中でメンバーの合意の鍵は「メシアご自身も神であった事」であり、その結果が三位一体のコンセプトの形成となったのではないかと見ています。これが神とメシアを語る最善の定義であるかどうかは、まだまだ今後の研究のテーマですが、ここではそちらの方にはこれ以上追求の手を伸ばしません。
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