ハヌカ
私達は hanuka を祝います。ハヌカの祭りとは、12月の初めにユダヤ人達が祝っているものですが、MJも敬意を払ってお祝いします。ハヌカとは日本ではほとんど知られていませんし、アメリカでもクリスチャンの間では、ユダヤ人がクリスマスに対抗して勝手に作ったお祭りのように思っている人達がいます。それがそうではないということを、簡単に説明したいと思います。
イスラエルがシリアの統治下にあったとき、当時のAntiocus Epiphanesという気が短く癇癪持ちの偶像礼拝を主張する王があり、これがエルサレムにやってきてイスラエルの神、天地の創造主である神を礼拝するのをやめて、自分の建てた像に崇拝を強要し、それを拒否したイスラエル人に対して弾圧と迫害を始めました。アンテイオコス・エピファネス王はエルサレムの神殿を武力行使で陵辱し、多数のイスラエル人を殺害したり外国に奴隷に売りだしたりしました。そうされたくないイスラエル人は、信仰と良心の自由を奪われてオリンポスのゼウスとエピファネスの像を拝まされました。
これに対して敢然と信仰の自由を奪回するために立ち上がったのはマカベアです。この時の経緯は旧約聖書外典のマカベヤ書を見ると詳しく書いていますから説明を省略します。 結局そうして奇跡的な勝利を収めて、エルサレムの神の宮は回復されました。その 時神殿の回復のために、メノラ(燭台)の火をわずかに残された聖別された灯油を用いて灯したところ、神殿の復興の8日間途切れずに燃え続けたという奇跡の話が 伝承され、それに従って、ハヌカは8日間続きます。 ハヌカにはメノラに蝋燭を灯し、(できれば)8日間燃え続けるようにして、色々なことをその間考えさせるのですが、子供達に取ってはちょっとしたプレゼントなんかが親からあったりしますが、それにしてもクリスマスのような派手さは全然あ りません。
考えてみると、ハヌカというのは、自由な権力に拘束されない信仰の回復の戦いの記念であったわけで、その戦いがなければ、今日のChristianityもイスラム教も無かったと言えるものです。大人しく長いものに巻かれてエピファネスの言う権威に従っていれば、ギリシャ文明の穏やかで平和な文化的生活を享受出来たかも知れないのに、どうしてそこまでして信じるところの自由を求めたのでしょうか。状況がどうであっても、神を第一にし、自分の命を失うような事になっても決して悪に屈しなかったという先人の毅然とした信仰姿勢を学ばされるのです。
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