聖書にあるイスラエル回復の預言
聖書では、いろいろな多くの箇所においてイスラエルが終わりの時に約束の地に帰って来ることが預言されています。初めに預言者達は「イスラエルのバビロンからの帰還」のビジョンが神様から示されたとき、そこで最終的に神の国が建てられて、メシアが来られて終わりがくるのではないかというような印象を得たのではないかと思います。しかし実際はそうなりませんでした。なぜなら、帰ってこなかったユダヤ人がほとんどだったからです。その上、先の北の十部族については未だに消息が行方不明になっています。
そこで、上のエゼキエルの引用聖句に戻ります。エゼキエルによるとイスラエルは430年の間その罪と不信仰とリベラリズムの故に苦難を経なければならないとされてます。ですから430年間の所を70年間に恩赦で罰を割り引かれたように見えますが、まだその差の360年が残っているのです。そこで、振り返ってレビ記の26章に何が書いてあったか思いだして下さい。
『あなた方が私に聞き従わないならば、私はあなた方の罪を7倍重くするであろう』
(レビ26:18。 21、24、28節も読んで下さい!))
ということは、バビロンのような異邦の地に残って、約束の地に帰ることを喜ばなかったユダヤ人がいる限り、背信の罰は続いているということになります。その罰が白紙撤回されるまでは未だ
360 x 7 = 2520 年
という年月を待たなければならないということになります。だとすると、クロス王のイスラエル人への恩赦が出てから2520年後に何が起こったかは、聖書の預言の研究者はすべて知っている必要があるのではないでしょうか。
では、解説しましょう。聖書の時代の暦は月齢暦であって、360日を一年としており現在の365.25日を一年とする太陽暦とは少し違っています。では上の2520年の聖書暦を次のように現代の太陽暦に換算します。
2520 x 360 ÷ 365.25 2484(year)
これをバビロン捕囚の正式な終了年次である紀元前536年夏に加算して下さい。
2484 - 536 = 1948
太陽暦による西暦1948年5月14日、世界各地から帰ってきたユダヤ人達は、圧倒的なアラブの軍事的優位を跳ね返して、奇跡的な勝利をおさめ「イスラエル共和国」を建国しました。世の人はこれを、イスラエルがローマ軍に攻め滅ぼされて以来の歴史的空白を克服したものといいましたが、これはそれどころか、聖書が既にそうなると三千年も前から予言していた事だったのです。
さらに、ダニエル書9章にはペルシャ帝国とアレクサンダーのギリシアがそれぞれ羊と山羊に例えられており、この山羊が羊を倒してから2300の朝夕の時が経過しその後に聖所が回復されるであろうという記述があります。(セブンスデーアドベンチストはこの箇所の預言解釈で誤ってこの2300年の開始年度を、ダニエル書9章23−25節の「聖徒の為の七十週の期間」が数えられる起点となる「エルサレム再建命令」と同じ年においた結果、ペルシャのクロス王のエルサレム再建命令が出た紀元前456年から2300年後として、紀元1844年という数字を導き出してそれに意味があるものとしています)ところが、ダニエル書8章を良く読めばわかるように、2300年の起点は、ギリシャの君なる雄羊がペルシャの王なる雄山羊を戦って破る時に求めなければならず、それはアレクサンダー大王がペルシャの王ダリヨス3世を敗死させてペルシャ帝国を滅ぼした紀元前330以前では有り得ない事になります。そこで、2300年の起点を紀元前330年とするならば、2300の朝夕の満期は紀元1970年だった事になります。この直前にイスラエルが6日戦争(1967)で奇跡的な勝利を収めてエルサレムを奪還しました。またメシアニック・ジューがユダヤ人と異邦人の間から起こってきたのは1970年頃だったのです。これは偶然でしょうか。