対話9.エホバの復元作業について |
クリスチャン:
新世界訳聖書の最大の特色はエホバのみ名が復元されていることでしたね。
エホバの証人:
そうです。
クリスチャン:
ところでその新世界訳は誰が翻訳したかご存じですか。
エホバの証人:
ものみの塔では、特定の個人に栄誉を帰さないために、翻訳者の名前は公表していません。
クリスチャン:
人間に栄誉を帰さないことは重要なことです。でも、翻訳というものには解釈が伴いますので、責任の所在を明らかにしておくことは必要です。
エホバの証人:
言われていることはよく分りませんが、それは、組織がもっているのだと思います。
クリスチャン:
新世界訳聖書を翻訳した翻訳委員会は、前々会長のネイサン・ノア、前会長のフレデリック・フランツ、アルベルト・シュローダー、ジョージ・ギャンガス、ミルトン・ヘンシェルの5人がそのメンバーでした。翻訳者の中で、聖書の原語であるギリシャ語やヘブライ語ができたのはフランツだけでした。彼は大学で2年間のギリシャ語教育を受け、またヘブライ語に関しては独習でした。
エホバの証人:
どうして誰が訳したか分ったのですか。
クリスチャン:
元統治体のメンバーで、ものみの塔の教えが聖書の教えとを違うことが分ったので、脱会したレイモンド・フランツという方が明らかにしています。
エホバの証人:
誰が訳したにしても、その翻訳においてはエホバ神が導かれたということが重要です。エホバ神が導かれたので、正確な訳なのです。
クリスチャン:
クリスチャン・ギリシャ語聖書の写本にはエホバという言葉が一か所も出てこないのに、新世界訳の訳者たちはどのようにしてエホバという言葉を237箇所において挿入したのでしょうか?
エホバの証人:
参照資料付き聖書には、多くの翻訳書を参考にしながら、エホバというみ名を復元したと述べています。
クリスチャン:
翻訳者たちは(実質的にはフレデリック・フランツが一人で訳したのですから正確には翻訳者はと言い直すべきでしょう)ヘブライ語に訳されたクリスチャン・ギリシャ語聖書を参考にしながら、四文字語を挿入しました。
エホバの証人:
そうですか。
クリスチャン:
そのヘブライ語に訳された聖書というのは、古いものでも1385年までにしかさかのぼることができません。原典が書かれてから1400年近くも経って翻訳されたものから、原典の写本になかったものを挿入するなど、翻訳の世界ではおよそ許されないことです。
エホバの証人:
もともとの原典にあったと信じているからこそそうしているのでしょう。
クリスチャン:
一つの写本にもないものをあったと信じるのは正しいことでしょうか。自分たちの主張したいことをある先入観に基づいて、聖書になかった言葉を付け加えていることにはなるのではないでしょうか。啓示22:19-20では次のように述べています。[わたしは、すべてこの巻き物の預言の言葉を聞く者に証しする。これらのことに付け加える者がいれば、神はこの巻き物に書かれている災厄をその者に加えるであろう。]
[また、この預言の巻き物の言葉から何かを取り去る者がいれば、神は、命の木から、また聖なる都市の中から、すなわち、この巻き物に書かれているものから彼の分を取り去られるであろう。]
エホバの証人:
ものみの塔は聖書に忠実な組織です。聖書に付け加えたり削除したりはしません。
クリスチャン:
私もそうであってほしいと思います。でも実際には、エホバという言葉をキュリオスやセオスという言葉の代わりに置き換えたのです。このような姿勢は、ものみの塔が聖書の原典は今日まで正確に伝達されていると教えていることと大変矛盾しています。
エホバの証人:
どうしてでしょうか。
クリスチャン:
ものみの塔は、クリスチャン・ギリシャ語聖書のギリシャ語原文は、霊感を受けた聖書記者によって記された原典とほぼ同じものを手にすることができたと教えています。
エホバの証人:
そうです。「洞察」二巻、10頁には、フレデリック・ケニヨン卿の言葉が引用されています。聖書は実質的には、書かれたとおりに我々のもとに伝わってきた、ということに対する疑いの最後の根拠は今や取り除かれた。新約聖書の各書の信ぴょう性も全体として元のままの形を保っている点も最終的に確証されたと見なすことができるであろう。
クリスチャン:
ものみの塔がケニヨンのこのような言葉を引用するということは、今日の本文研究という学問によって原典の本文を回復する作業をする必要があることを認めているということです。
エホバの証人:
そうです。ですから、ギリシャ語聖書王国行間逐語訳は、ウストコットとホルトによって復元されたギリシャ語原文を掲げています。
クリスチャン:
では、今日の本文研究家は多くの写本を比較見当した結果、どれぐらいクリスチャン・ギリシャ語聖書の原典に近付くことができたと考えているかご存じですか。
エホバの証人:
1000分の1ぐらいの不確かさしかないと読んだことがあります。
クリスチャン:
そのとおりです。99.9パーセントまでは原著者の文章を復元できたと考えられています。その場合、キュリオスやセオスを除外してはいないことは当然です。
エホバの証人:
0.1パーセントの不確かな部分とはどのようなものなのでしょうか。
クリスチャン:
その0.1パーセントとは、句読点をどこに打つか、あるいはカイ(そして)という語を入れるかどうか、といったほんの些細な点にすぎません。
エホバの証人:
エホバのみ名が置き換えられたということを、残りの0.1パートに含めるわけにはいかないのでしょうか。
クリスチャン:
いきません。一方では、本文研究者フレデリック・ケニヨンの言葉を引用して、写本は正確に伝達されていると教えながら、他方では、いかなる写本の支持もないエホバという言葉を原典にあったものと主張することは全く矛盾しています。
エホバの証人:
そうでしょうか。
クリスチャン:
もし新世界訳のように、写本の証拠はなくてもエホバというみ名を挿入したいのであれば、ケニヨンの言葉は間違っていますと、真っ向から否定すべきです。それはそれで一貫した態度になります。 「(目次へ戻る)
対話10.正しい発音と意味の重要性 |
クリスチャン:
エホバの証人は四文字語をエホバと発音しますね。今日、ほとんどの学者が四文字語はヤーウェと発音したと確認しているのに、どうしてヤーウェと発音しないのでしょうか。
エホバの証人:
四文字語をどのように発音するかは重要なことではありません。エホバという神のお名前を使うことが重要なんです。
クリスチャン:
私たちは神のみ名を使う必要があるとは考えていませんので、四文字語をどのように発音するかはこだわってりません。でも、エホバの証人の方々は神のみ名を呼ぶべきだと考えているのですから、正しく発音することは重要だと思いますが。
エホバの証人:
四文字語をエホバと発音しようが、あるいはヤーウェと発音しようが、大した問題ではありません。それはイエスのことをギリシャ語でイエスース、英語でジーザス、ラテン語でイエズスと違って呼ぶのと同じことですからそのようなことを問題にする方がおかしいと思います。
クリスチャン:
それは次元が違う比較です。あなたがおっしゃっているのは、日本語のエホバに対して英語でジェホバと発音されるというケースです。
エホバの証人:
よく分らないのですが。
クリスチャン:
エホバという発音はもともと存在せず、12世紀頃学者たちが勘違いの結果生じた発音なのです。というのは、当時四文字語はアドナイと呼ばれていたので、四文字語にアドナイの母音符号を付けてしまったのです。その結果、それまで誰も発音したことのないエホバという人造語が出来上がってしまったのです。
エホバの証人:
どうしてそんなに発音にこだわるのですか。
クリスチャン:
もし神が永遠のみ名としてご自身の民にその名で呼んでもらいたいと本当に願っておられるのであれば、アブラハムやモーセ、イザヤやエレミヤが発音したように発音すべきだと思うのですが、いかがですか。
エホバの証人:
正しい発音が分ればそうすべきでしょうが、現在のところ四文字語の正確な発音は分らないのです。ですから、一般に知られているエホバでよいのです。
クリスチャン:
神のみ名を使う以上は、どう発音するかという問題をいいかげんにするのははおかしいと思うのです。というのは、同じ文字であっても、母音記号の付け方が違うと発音は変わり、意味もまた全然違ったものになってしまうからです。
エホバの証人:
どういうことでしょうか。
クリスチャン:
例えばここに、ヘブライ語のシュバとダレトゥという二文字があります。これにアという母音符号が付ければ「シャド」となり意味は乳首となります。もしエという母音符号を付ければ「シェド」となり意味は悪魔となります。オという母音符号を付ければ「ショド」となり意味は胸になります。母音符号が違えば発音が異なるものとなり、その結果意味は全然違ってしまいます。
エホバの証人:
でも、四文字語の発音は正確には誰も分らないのではないでしょうか。
クリスチャン:
四文字語がヤーウェと発音されていたことはほぼ認められる事実です。ヤーウェ以外の発音の可能性について聞いたことがありますか。
エホバの証人:
そういえばありませんね。
クリスチャン:
エホバという発音は12世紀まで存在しなかった全くの人造語です。それに対し、ヤーウェという発音はほとんどの研究者たちが一致して提案している見解です。もし使うのであれば、どちらがよいと思いますか。
エホバの証人:
では、クリスチャンはなぜ神のみ名を使わないのでしょうか。
クリスチャン:
クリスチャン・ギリシャ語聖書を記したクリスチャンたちが使わなかったからです。
エホバの証人:
彼らはエホバを使ったのではないでしょうか。
クリスチャン:
いいえ、彼らは使いませんでした。クリスチャン・ギリシャ語聖書では四文字語に当たる部分はすべて「主」に置き換えられています。
エホバの証人:
どうしてそのようなことが言えますか。
クリスチャン:
クリスチャン・ギリシャ語聖書の5,000以上の写本の証拠から、このことははっきりしています。
エホバの証人:
では四文字語が「主」に置き換えられた理由は何でしょうか。
クリスチャン:
エホバという神のみ名はユダヤ人と契約を結ばれた神の名前であるという理解が初期のキリスト教徒たちにあったのです。その神はキリストにある新しい契約をお与えくださった絶対主権者ですから、ギリシャ語のキュリオスという言葉をあてはめたのです。
エホバの証人:
それでは固有のお名前ではなくなってしまいます。もしエホバというお名前を使うなら、神とか主といった一般的な表現では表せない親しみを感じることができます。人間とかあなたと言うより、山田さんと語りかけた方がずっと親しみやすいでしょう。
クリスチャン:
親しみやすいということが問題なのですか。では、ご自分のお父さんに親しく話しかけるのに、まさか山田さんとか、信男さん、などと呼びかけはしないでしょう。「お父さん」と呼ぶのではないでしょうか。ローマ8章15節では、クリスチャンの心には聖霊が注がれていて、その聖霊が神を「アバ父」と呼ばせてくださるのだと教えています。
エホバの証人:
そのみ言葉は144,000人にのみ当てはまる約束です。私たちのような地上で生きる大群衆にはあてはまりません。
クリスチャン:
144,000人以外は、聖霊を受けた神の子ではないのですか
エホバの証人:
1,000年王国が終わり、すべてのテストを受け終わったとき、はじめて私たちは神の子になるのです。
クリスチャン:
では、エホバの証人は「天の父よ」と呼びかけることはできないのですね。
エホバの証人:
そんなことはありません。「エホバ神お父様」とお祈りします。
クリスチャン:
それでは現在既に神の子ですよね。
エホバの証人:
私たちにとって父のような神なのでそう呼ぶということです。
クリスチャン:
私にはよく理解できません。
エホバの証人:
とにかく、エホバのお名前を使うことをエホバ神は望んでおられるはずです。
クリスチャン:
では、マタイ1章23節を読んでいただけますか。ここには、イエスに対し、「彼らはその名をインマヌエルと呼ぶであろう」と言われています。この言葉は、イエスがインマヌエルと発音されることが期待されていたということでしょうか。
エホバの証人:
そうではないと思います。
クリスチャン:
イエスが地上に現れたとき、神がともにいますという事実を人々が認識する、というころですよね。
エホバの証人:
そうです、
クリスチャン:
エホバというお名前についても同じことが言えるのではないでしょうか。 「(目次へ戻る)
対話11.四文字語が出てこない書物について |
クリスチャン:
神をエホバと呼ばなければ正しい信仰ではないとお考えですか。
エホバの証人:
エホバ神は永遠の神のお名前を呼ぶよう命じておられます。ヘブライ語聖書は四文字語を大変重要視しています。
クリスチャン:
では、あるヘブライ語聖書の中には、エホバという神のみ名がほとんど出てこない書物もありますし、また、全く出てこない書物もあるのはどうしてでしょうか。
エホバの証人:
どの書物ですか。
クリスチャン:
まず伝道者の書はいかがでしょう。
エホバの証人:
エホバというお名前は出てきません。
クリスチャン:
ものみの塔では、エホバを使わなくても、神だけでも十分だと述べていますよ。「聖書全体は神の霊感を受けたもので、有益です」の112頁をご覧になってください。[伝道者の書が『神の霊感を受けた』ものであることをどのように確信できますか。ある人は神の名エホバが一度も出て来ないことを理由にこの点に疑問を表明するかもしれません。しかし、伝道者の書は神の真の崇拝を確かに唱道しており、「ハー・エロヒーム」すなわち「まことの神」という表現を繰り返して用いています。]
クリスチャン:
伝道者の書には、神(エロヒーム)という呼び名は41回も出てきますが、エホバは出てきません。だからといって、伝道者の書の著者がエホバを敬っていなかったなどとは言わないでしょう。
エホバの証人:
それはそのとおりです。
クリスチャン:
ヨブ記についてはどうでしょう。ヨブ記は詩文体の文章と散文体の文章に別れますが、ヨブと友人たちの会話を表す詩文体の方には、四文字語はほとんど出てきません。
エホバの証人:
「聖書全体は神の霊感を受けたもので、有益です」の95頁によれば、ヨブはモーセ以前の1657年頃から生きた人物と思われますので、ヨブの会話の文章には出てこないとしてもおかしくないと思いますが。
クリスチャン:
一度も出てこなければそれはそれでよいのですが、12:9に一度だけ出てきます。ということはヨブは四文字語を知っていたことになります。しかし一度しか使っていないということはあまり重要視してはいなかったという証拠ではないでしょうか。
エホバの証人:
そこまで言えるかどうか分りませんが。
クリスチャン:
ヨブは、エゼキエルによって、ノアおよびダニエルと並ぶ義人として紹介されています(エゼキエル14:14、20)。ヤコブはヨブの忍耐について賞賛の言葉を発しています。このヨブは、神という言葉は250回以上、全能者という表現さえ30回ぐらい使っているのですが、四文字語についてはただの一度だけだったのです。
エホバの証人:
そうですか。
クリスチャン:
ではエステル記はいかがでしょうか。
エホバの証人:
エステル記にも神のみ名は出てきません。しかし、「聖書全体は神の霊感を受けたもので、有益です」の91頁には、次のように記されています。[エステル記は霊感を受けて記されたのでもなければ、有益でもなく、単なる美しい伝説にすぎないと言いたい人もいます。それらの人は、神のみ名が出てこないことを理由にして、そのように主張します。たしかに神のことは直接述べられてはいませんが、ヘブライ語本文には、四文字語の折り句、つまり、一連の四つの語の頭文字がYHWH、すなわちエホバとつづられる箇所が四つあるようです。これらの頭文字は少なくとも三つの古代ヘブライ語写本の中で特に目立つようにされており、またマソラの中では赤い文字で印づけられています。また、エステル7章5節には、「わたしは...となる」という神の宣言の折り句があるようです。]
クリスチャン:
四文字語を神聖視したユダヤ人の研究家たちがこの種の問題に関心をもったことは事実です。エホバの証人もまた、そのような意味のないことに神秘的な驚きを感じ、聖書の権威づけに用いるのですか。
エホバの証人:
不思議には思いますが。
クリスチャン:
この折り句といわれるものが出てくる箇所に、何等かの意味を見いだすことができるか考えてみてください。まず、1:20を開いてみてください。
「それは...、妻たちも皆...、...表するでしょう」という言葉に四文字語が隠されていると言っても、どのような意味付けをすることができるでしょうか。
エホバの証人:
調べてみたいと思います。
クリスチャン:
お願いします。5:4は「王...今日、ハマンとご一緒においでになりますように」です。5:13は「しかし、このすべてのことも−そのどれも...、わたしには気に入らない」です。これらと四文字語とはどのような関係があるのでしょうか。
エホバの証人:
聞いてきます。
クリスチャン:
7:5は「それは一体...一体どこにいるのか」です。これは四文字語の折り句ではありません。
エホバの証人:
出エジプト3章14節の「わたしはなる」の折り句です。
クリスチャン:
そうですか。では、その二つの間にはどのような関係があると考えられますか。
エホバの証人:
分りません。
クリスチャン:
最後は、7:7です。ここは「自分に対し悪いことが定められた」という言葉ですから、ハマンの裁きの背後には、エホバがおられるのだとでも説明するのでしょうか。
エホバの証人:
分りません。
クリスチャン:
ヨード、ヘー、ヴァブはもともと語の頭や終わりに来やすい言葉です。これらの箇所はたまたまのことではないでしょうか。もしあるユダヤ人がこのような方法で四文字語を発見することに興味をもっていたにしても、それが神の言葉に含まれる根拠の一つにされるのは、それこそユダヤ人の迷信にエホバの証人も荷担することになるのではないでしょうか。
エホバの証人:
そこまでは言えないと思うのですが。
クリスチャン:
このエステル記には、四文字語も神も出てこないにもかかわらず、神の摂理というすばらしい真理をもっとも明白に教えている書物です。歴史の一つ一つの出来事の背後に、一寸の狂いもなく導いておられる神を、四文字語も神という言葉をも使わずに示すことができることを本書から学ぶことができるのではないでしょうか。折り句などという方法で四文字語を発見する努力など全く無駄なことだと思いますがいかがでしょう。 「