対話15.七十人訳には四文字語があったのか |
クリスチャン:
イエスの弟子たちが使った七十人訳には四文字語が残っていたという証拠はどこにあるでしょうか。
エホバの証人:
参照資料付き聖書の1755頁に証拠が載せられています。
クリスチャン:
そうですか。それでは、提示されている資料の一つ一つを確認しましょう。
エホバの証人:
まずナンバー1のファド266の写本ですね。
クリスチャン:
これについては別の機会にふれましたので飛ばしましょうか。
エホバの証人:
ナンバー2はどうでしょう。
クリスチャン:
その写本はいつ頃のものだと言われていますか。
エホバの証人:
1世紀末のものです。
クリスチャン:
ナンバー2のすぐ後の「七十人訳」という言葉の右上に何と書いてありますか。
エホバの証人:
VTS 10a とあります。
クリスチャン:
それは、この写本については、 Supplements to Vetus Testamentum vol.x(1963) pp.170-78 の論文に詳しい説明があるという意味です。その論文によれば、この写本はユダヤ人たちによって七十人訳の標準本が作られる過程の中で生まれたものだと解説されています。翻訳においては、ヘブライ語に字義的に対応するよう訳されているのが特色です。
エホバの証人:
どういうことなのか、もう少し説明してくださいませんか。
クリスチャン:
1世紀から2世紀のキリスト教徒たちは七十人訳を重要視するようになりました。その結果ユダヤ人たちは、七十人訳を軽視するようになり、ヘブライ語聖書の標準テキストを作成することに力を注ぎました。そのヘブライ語聖書が確立しますと、ギリシャ語訳もまたそのテキストに合わせる必要を感じ、七十人訳の改訳作業がはじめられました。
エホバの証人:
改訳ですか。
クリスチャン:
そうです。ユダヤ人たちは、ヘブライ語にできる限り忠実な訳にしようと努力します。神のみ名を古代ヘブライ文字で表わすということもその一つでした。従って、このナンバー2の写本は、イエスの弟子たちが使用した七十人訳とは違うのです。この写本に四文字語が出て来ることを根拠にして、クリスチャン・ギリシャ語聖書に四文字語が出てくることを証明しようとすることは愚かなことです。
エホバの証人:
ではナンバー3についてはどうなるのでしょうか。
クリスチャン:
これは何世紀のものだと言われていますか。
エホバの証人:
やはり1世紀のものです。
クリスチャン:
この写本については、右上の記号 IEJ 12 から明らかであるように、 Israel Exploration Journal vol. 12 (1962) pp.201-7 にその説明があります。この写本は、ホセア書2:8、アモス書1:5、ヨエル1:14、ヨナ3:2-5、ナホム書2:8-9、ゼカリヤ3:1-2、4:8-9、8:21が含まれています。そこに見られる訳文を検討するなら、七十人訳の訳語をヘブライ語テキストに戻そうとする傾向が随所に認められます。この論文の執筆者ヘブライ大学の B. Lifshitz 教授は「この写本は新しい翻訳でも、独立したものでもなく、むしろ、七十人訳を元の文に戻そうとしたものである。七十人訳と訳語が違っているのは、ヘブライ語の原典に忠実であるよう訳し直そうとしたからである」というバルテレミーの結論を支持しています。
エホバの証人:
その写本のヨナ3:3には、四文字語は出てきますね。
クリスチャン:
そうです。しかし、ゼカリヤ4:8aは、普通の七十人訳ではキュリオス(主)ですが、テオス(神)になっています。ナホム1:9も同じでしょう。結局この写本では、一か所で四文字語が出てきますが、他ではテオスで、一貫していません。
エホバの証人:
ナンバー4はどうでしょうか。
クリスチャン:
右上には、何と書いてありますか。
エホバの証人:
VTS 10b です。
クリスチャン:
この写本は、結局ナンバー2と同じものなのです。新世界訳がどうしてこの写本とナンバー2とを区別しているのか分りませんが、ナンバー2で言ったことはすべてこの写本に当てはまります。
エホバの証人:
ナンバー5はどうでしょうか。
クリスチャン:
これについては別の機会にお話しましたね。ここでは四文字語が出てくるのではなく、ギリシャ語の「イアオー」が出てきます。四文字語ではありません。「イアオー」は四文字語の発音をギリシャ語で表現したものと思われます。
エホバの証人:
では、四文字語はイアオーと発音されていたと考えるべきでしょうか。
クリスチャン:
四文字語が発音されるとしたら、イアオーだったでしょう。しかし人々が四文字語を日常的にそう読んでいたとは考えない方がよいようです。というのは、この写本の所有者であったクムランの人々が四文字語をアドナイと読んでいたことは他の死海写本の証拠から明らかだからです。
エホバの証人:
ナンバー6はどうでしょうか。3世紀のもののようですが。
クリスチャン:
新世界訳で紹介されているアーサー・ハント自身の解説を引用しておきます。[七十人訳では通常現れるいわゆる四文字語は、驚嘆すべき省略形で表されている。...キュリオスという言葉を除こうとする傾向は初期のオクシリンクス・パピルス(656)に見られる。ある箇所ではもともと空白にしておき、他の人によって埋めるようになっていた。]
クリスチャン:
この写本では、四文字語はゼットに線を入れたような文字を二つ並べることによって表されています。それは3世紀の筆記者たちによる四文字語の省略形です。その文字はギリシャ語の写本家たちではなく、別の特別な人々によって後から補われたようです。
エホバの証人:
ナンバー7はどうでしょうか。5-6世紀のもののようですが。
クリスチャン:
ナンバー7とナンバー8はアキュラによるギリシャ語訳の写本です。アキュラはヘブライ語に忠実なギリシャ語訳を作ろうとしました。七十人訳の権威者イマヌエル・トーブ博士は次のように述べています。[アキュラは後125年頃に改訳の準備をした。彼は一部の書の改訳では二つの「版」を出したが、その間の関係は知られていない。アキュラは聖書へのアプローチでは師のラビ・アキバを踏襲している。後者の体系によれば、聖書の中の語はすべて意味があり、それゆえに、アキュラはすべての語や小辞、そして形態素でさえ正確、かつ別個に表そうとした。]
エホバの証人:
ナンバー9についてはどうでしょうか。
クリスチャン:
これはスュンマコス訳ですね。この訳が、紀元200年頃、七十人訳に満足しないユダヤ人たちのために翻訳されました。これもアキュラと同じように七十人訳とは別の翻訳です。
エホバの証人:
ナンバー10はどうでしょうか。
クリスチャン:
これは新世界訳の資料を読んでいただければ分るように、9世紀のもので、いろいろな七十人訳の読み方を編纂したものにすぎません。
エホバの証人:
そうですか。
クリスチャン:
新世界訳に証拠としてあげられているこれらの写本は、使徒たちがクリスチャン・ギリシャ語聖書を書くときに使った七十人訳に四文字語があったことを証明するものではないことをお分りいただけたでしょうか。(目次へ戻る)
対話16.ミシュナの証言は信頼できるか |
クリスチャン:
四文字語は、イエス時代には発音されていませんでした。
エホバの証人:
どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。
クリスチャン:
タルムードという書物にはイエス時代のユダヤ人たちが四文字語をどのように考えていたかが出てきます。
エホバの証人:
それについては「洞察」一巻393頁に言及されています。[年に一度の贖罪の日に関して、ダンビー訳のミシュナはこう述べています。「また、神殿の中庭に立つ祭司たちや民は、大祭司の口から発せられて言い表されたみ名を聞くとひざまづいて身をかがめひれ伏して、『その王国の栄光のみ名が、限りなく永久にほめたたえられますように!』と言うのであった」。(ヨマ−6:2)]
[ソター7章6節は祭司が日ごとに述べる祝福の言葉について、こう述べています。「彼らは神殿ではみ名を書かれているとおりに発音したが、地方では代わりの言葉で発音した」。]
[サンヘドリン7章5節は、冒とくした者も『み名を発音したのでない限り』、有罪とはならず、また冒とくの罪が関係する裁判では、証拠がすべて審理されるまで代わりの名が使われ、その後、おもな証人が多分、神の名を用いて、『自分の聞いた事柄をはっきりと言う』よう個人的に求められたと述べています。]
[サンへドリン10章1節は、「来たるべき世に何の分も持っていない」者たちを列挙して、「アバ・サウルはこう言う。また、み名をその正しい文字で発音する者も」と述べています。]
(タルムードの証言は信頼できない?)
クリスチャン:
ずいぶん詳しく紹介していますね。これで、イエスの時代には四文字語が使われていなかったことは明らかですね。エホバの証人:
いいえ。「洞察」では、いくつかの理由から、以上のような証言は当てにならないと説明しています。クリスチャン:
えっ。当てにならないですって。どうしてでしょうか。エホバの証人:
まず、次のように述べられています。[しかし、このような消極的な見方があるにもかかわらず、ミシュナの最初の部分には、「人は[神の]み名[を使って]仲間と挨拶すべきである」という積極的な命令もあり、その後にボアズの例(ルツ2:4)が引き合いに出されています。−ベラホット9:5]クリスチャン:
この箇所は解釈の難しいところで、タルムードの注解者もこの法令がもたらされた背景は理解できないと述べています。マルモシュタインは「神にはみ名がないというヘレニズムの教えに対抗するために、企画された」と推測しています。エホバの証人:
神の名が使われていたのでしょう。クリスチャン:
ユダヤ人が四文字語を使ってあいさつをしていたことは、歴史の文献から確認できないだけでなく、すべての歴史的証拠は反対の状況を指示しています。従って、このテキストから四文字語が使われていたと結論づけてはなりません。(誤解した読み方)
エホバの証人:
「洞察」はこれらの情報が西暦70年頃には神の名が使われなくなっていたことを示すかもしれないと述べた後、「しかし、当時でさえ、神の名の代わりに代用名を使っていたとはっきり言われているのは、おもに祭司たちであって、それもただ地方のことでした。」と述べています。クリスチャン:
ソター7章6節について言われているのですね。ここをものみの塔は、地方以外の場所、そして祭司以外の一般の人は四文字語を使ったと読むわけですか。変だと思いませんか。ここは祭司が祝福を与える時のことが言われている箇所です。「地方」という言葉(英語ではIN THE PROVINCE)は「神殿以外の場所」を指す表現です。そしてこの前後には、神殿の中における祝福の言葉は一つだが、神殿以外の祝福では三つであるとか、神殿以外の場所では肩の高さまで手を上げて祝福してよいが、神殿の中では頭より上に上げなければならない、などという規定がこまごまと述べられています。エホバの証人:
一般の人のことは言われていないのですね。クリスチャン:
そうです。このすぐ後に続いて、四文字語は「きわだった名前」(シェム・ハメフォラッシュ)で、通常は代用語が用いられ、神殿以外で使用されなかったことが論じられています。(四文字語は特別な言葉だった)
エホバの証人:
四文字語は特別視されていたのでしょうか。クリスチャン:
そうです。普通の祝祷には民は「アーメン」をもって応えたのですが、神殿で四文字語による祝福を受けた場合には、アーメンだけでは不十分で、「すべての祝福と賛美の上に高められた栄光のあなたのみ名に祝福があるように」と特別に唱えなければならなかったのです。エホバの証人:
「洞察」はタルムードの歴史性について「ミシュナの伝承の歴史的価値には問題があります」と述べています。クリスチャン:
ミシュナは、その書物の性格上慎重に解釈する必要があります。四文字語についてもさまざまな証言がありますので、一つ一つのテキストを正しく解釈し、全体がよく調和されるように解釈されねばなりません。といっても、そのことはタルムードの歴史性を疑うことではありません。ものみの塔のように、タルムードの歴史的価値に否定的な学者は一人もいないでしょう。エホバの証人:
では、四文字語は何と読まれているのですか。クリスチャン:
「アドナイ」と読まれていました(キッドゥシン71a)。また、この世においては四文字語は書かれたとしても、読まれるのはアドナイであるが、来るべき世では、書かれるものも読まれるものも、ヨッド ヘー(つまりヤーウェ)であると説明されています(ペサヒーム50a)。エホバの証人:
四文字語は特別な言葉だったのでしょうか。クリスチャン:
タルムードは神の名は神の本性および民との関係を表わすものであり、神が共におられることを意味すると理解していました(ネダリーム8b)。従って、容器やベッドなどに神のみ名を発見するなら、それらは処分されねばなりませんでした(シャバス61b)。また、文書中に神の名が出てくるなら、削除することは禁じられました。それだけではなく、その四文字語の前に付いている前辞詞や、後に付いている人称詞は削ってよいなどといちいち指示しています(シェブオット35b)。また、主へのささげ物に対してのみ、神の名を使うことが許されていたのですが、その場合にも、コルバン・ラ・アドナイ(献げ物・に対し・主)とささげ物を四文字語の前に言わなければならないと教えています(ネダリーム10a)。エホバの証人:
そうですか。クリスチャン:
ユダヤ人社会では、もし隣人が意味なく神の名を使ったなら、その人を追放しなければならない、もしそうしなければ、自分の方が追放されてしまうと言われました。というのは、神の名をみだりに唱えることは貧困をもたらし、貧困は死をもたらすと信じられていたのです(ネダリーム7b)。エホバの証人:
では結局、イエスの時代には、人々は四文字語を神の名前として使わなかったということですね。 「(目次へ戻る)
対話17.エホバのみ名を復元した根拠は?
クリスチャン:
新世界訳のクリスチャン・ギリシャ語聖書には237回エホバのみ名が出てきますね。エホバの証人:
そうです。(237箇所の挿入はギリシャ語写本からではない)
クリスチャン:
それはどのような写本に基づいているかご存じですか。エホバの証人:
参照資料付き聖書1757-58頁には、237箇所のそれぞれがどのような写本に基づいて復元されたかを詳しく述べています。クリスチャン:
そこで言われている写本というのはどのようなもので、いつ頃のものかご存じですか。エホバの証人:
それは最初の9-10頁に説明されていますのですぐに分ります。クリスチャン:
そうですね。エホバと訳出する根拠となった資料は「エ」となっています。ではこの「エ」と言われている書物は何語の聖書ですか。エホバの証人:
はっきり記されていないものもありますが、ほとんどがヘブライ語です。クリスチャン:
ということはクリスチャン・ギリシャ語聖書のヘブライ語訳だということですね。エホバの証人:
そうです。クリスチャン:
では、エホバが挿入されるために参考にされたヘブライ語のクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で一番古いものはいつ頃のものですか。エホバの証人:
「エの2」です。1385年の出版です。クリスチャン:
そうですか。一番古いものでも、クリスチャン・ギリシャ語聖書が書かれてから、1300年も経過しているのですね。としますと、新世界訳がエホバのみ名を復元した根拠は、その書物が記されてから1300年後の、しかも他の言葉に翻訳されたものだったということになりますね。このようなことは翻訳の世界において許されることでしょうか。どんな本を訳す場合でも、このようなことは決してしてはならないことだと思いますが。エホバの証人:
もともとの原典にエホバという神のみ名があったのに、キュリオスとかテオスに置き換えられてしまったので復元したのです。クリスチャン:
もともとあったという証拠はどこにあるのでしょうか。エホバの証人:
統治体がそう言っているのが何よりの証拠です。(根拠となったヘブライ語訳はどのようなものだったか)
クリスチャン:
ところで、その「エの2」には、クリスチャン・ギリシャ語聖書のすべての書物27冊が含まれていましたか?エホバの証人:
いいえ。マタイの福音書のみです。クリスチャン:
では次に古いものは、いつのもので、どの書物が含まれていましたか。エホバの証人:
「エの3」で、1537年出版です。マタイの福音書とヘブル人への手紙が含まれていたようです。クリスチャン:
では、その次に古いものはどれでしょうか。エホバの証人:
「エの4」で、1551年出版のものです。これはマタイの福音書のみです。クリスチャン:
実はこれらの「エの3」と「エの4」とは、一番古い「エの2」の改訂版なのです。しかもこの「エの2」というヘブライ語に訳された聖書は、キリスト教に反対するため、ユダヤ人によって出版されたものでした。従って、これらの訳がギリシャ語のキュリオスやテオスに四文字語を当てたのは当然だったと言ってよいでしょう。とくにヘブライ語聖書からの引用の場合は、もともとエホバという言葉が出ているのですから、そう訳すのが自然でした。エホバの証人:
どうしてそのようなことをご存じなのですか。クリスチャン:
「エの7」(1599年出版)は、後に「エの8」(1661年出版)として、さらに「エの10」の一部(1798-1805年出版)として改訂されてゆきます。エホバの証人:
そうですか。クリスチャン:
ロンドンのユダヤ人協会は「エの11」(1817年)、「エの13」(1838年)、「エの16」(1866年)をそれぞれ出版しました。これらの翻訳者たちは「エの14」(1846年)と「エの15」(1853-1867年)の出版の準備にも関わりました。エホバの証人:
ということは、「エの11」、「エの13」、「エの14」および「エの15」はみな関連があるということでしょうか。クリスチャン:
そういうことです。ひとかたまりとして扱うのがよいでしょう。ところで、新世界訳ではエホバを補うためにいくつの翻訳された聖書を参照しましたか。エホバの証人:
22です。クリスチャン:
では、これらのヘブライ語訳のうち、クリスチャン・ギリシャ語聖書のすべての書物を含んでいるものはいくつあるのでしょうか。エホバの証人:
11です。クリスチャン:
これら11のうち、「エの7」と「エの8」は関係があり、「エの11」「エの13」「エの14」「エの16」はそれぞれ関係がありますので、結局7つとなります。しかもこの7つの中には、1975年版、1979年版、1981年版のものまで含まれているのです。エホバの証人:
それがどういう意味があるというのでしょうか。クリスチャン:
エホバと訳すことはきわめて薄弱な根拠に基づいているということを言いたいのです。では最初に、Tコリント7:17を取り上げてみましょう。この箇所でエホバと訳す根拠となった書物は何でしょうか。エホバの証人:
一つも紹介されていませんから、ないということでしょうか。クリスチャン:
そういうことです。使徒18:21とヤコブ2:23を見てください。エホバの証人:
「エの17」となっています。クリスチャン:
それは何年に出版されたものですか。エホバの証人:
1981年です。クリスチャン:
そうですか。コロサイ3:13は「エの23」となっていますが、それは何年のものでしょうか。エホバの証人:
1975年のものです。クリスチャン:
使徒13:44に関しては「エの17」と「エの22」があげられていますね。これらは何年と何年ですか。エホバの証人:
1981年と1979年です。クリスチャン:
考えてみてください。このような最近訳された書物を根拠にしてエホバと訳し変えてしまってよいのでしょうか。エホバの証人:
良い訳ならかまわないと思うのですが。クリスチャン:
Tテサロニケ4:16では「エの7、8、13、14」においてエホバとなっています。次節の4:17ではそれらに加え、「エの24」もエホバとなっています。Uテモテ1:18について言えば、「エの7、8、13、14、16」においてエホバとなっています。Tペテロ3:15では「エの7、8、11-14、16、17、24」においてエホバとなっています。これらの箇所においては、ヘブライ語訳に基づいてエホバと訳出してしまうと、キリストがエホバになってしまいます。そこで、エホバとは訳さず「主」と訳しています。エホバの証人:
ヘブライ語訳には忠実ではないということになりますね。クリスチャン:
そうです。新世界訳は、ヘブライ語の聖書においてエホバと訳されていても、自分たちの教理に都合が悪い場合には、エホバにはしませんでした。エホバの証人:
そのような訳を原典に忠実だと言うことは難しいですね。《完結》目次へ戻る