ものみの塔協会の血の教えを支持する兄弟姉妹に対する22の質問

あなたは次の質問にどのように答ますか?

  1. どうして、全てのキリスト教の宗派も、またトーラー(律法)に依存し、それを毎日のように読み、律法を自分たちの思想に取り入れ、それを(伝統的な解釈ができるように)ヘブライ語の原典で読み、神の律法を自分自身より愛する、正統派のユダヤ人でさえ、血液を医学の目的で使用することを禁止しないのでしょうか。このような血の使用の禁止を信じているのは私たちエホバの証人だけであるということは、理にかなったことでしょうか。
  2. もし創世記9:3-7がすべての人類を拘束する「永遠の契約」を示しているのなら、何故、パウロは独身であることを勧め、何故、ものみの塔協会は、この「永遠の契約」の第三の要素である、「そしてあなた方は、子を生んで多くなり、地に群がってそこに多くなれ」に明らかに違反する産児制限を許すのでしょうか。私たちは「永遠の契約」の中から自分の好きな物だけを選んで従うのでしょうか。もし契約のこれらの部分が人類を拘束するものでないとしたら、それがどうして「永遠の契約」なのでしょう。
  3. もし実際に血を食べることが神にとって忌むべきことであるなら、屠殺された動物の血をどんなに徹底的に抜いても半分の血は肉の中に残っているのですから、何故神はわれわれに肉を食べることを許したのでしょう。肉を残りの血と一緒に食べることも、命を支えるために「血を取り入れる」ことではないでしょうか。
  4. もし血を食べることが死刑に値する罪であるのなら、何故、サウルの民は肉を血の入ったまま食べてしまっても処刑されなかったのでしょうか。(サムエル第一14:31-35)
  5. イスラエル人は自然に死んで血を抜いていない動物を必要に応じては食べることができ(レビ記17:15参照)、その結果は入浴と衣服を洗うことを必要とする儀式的な汚れに過ぎませんでした。それなのに何故、協会は命を救うために輸血を受けるものを、(永遠の死を意味する)排斥処分にしなければならないのでしょうか。
  6. 血を注ぎだす決まりは、モーセの律法に含まれてはいましたが、ギリシャ語聖書には繰り返し述べられておらず、クリスチャンはモーセの律法の元にいないはずであるのに、何故、手術前に自分の血液を貯蔵して後で使用することが間違っているのでしょうか。
  7. イエスは安息日に、人の命を救ったり病人を癒すために奇跡を行い、またイエスに触ることにより、彼を儀式的に汚れた者としてしまった、血のおりものがある女性を非難することをしませんでした。イエスはむしろ、パリサイ人の規則ずくめの見方を非難したのです。そのようなイエスは人の命を救うためなら、食事に関する律法に例外を設けるとは思いませんか。
  8. アメリカで売られている大部分の鶏肉は、(例えば、ファーストフードや普通の食料品店で売られているもの)コウシャー(ユダヤ教の律法にあった調理法)によって調理されてはおらず、電気ショックで殺された肉です。電気ショックで殺された肉は、絞め殺された肉と同様、血液を注ぎだしてありません。それだからこそ、アメリカで売られている鶏肉の大部分はコウシャーに則っておらず、従ってユダヤ人にとっては受けつけられないのです。それでは何故、私たちエホバの証人はこのような鶏肉を平気で食べて、使徒15:29の一部は守らず、他の部分はそれを守るために死ななければならないのでしょうか。
  9. 協会は、「偶像に捧げられた肉を食べることを避ける」という命令を、食事に関するきまりではなく、より大きな「偶像崇拝」の教えを象徴していると見ているのに対し、「血を食べることを避ける」という命令は文字通りの食事に関するきまりと見て、より大きな「生命の神聖さ」を象徴していると見ることが出来ないのはどうしてでしょう。この二つの食事に関する命令は、聖書の同じ聖句の同じ文章(使徒15:29)に出てくるのに、どうしてこのような全く異なった見方をとることが出来るのでしょうか。
  10. 協会の教えによれば、偶像に捧げた食物は食べてもよく、少量の血液成分は使用してもよいのであれば、「少量の」不品行は許されるのでしょうか。もし許されないのであれば、何故でしょう。
  11. あなたの子供の医学的治療を差し控えることが子供の死を意味する時、あなたはその死に関して責任をとるべきではありませんか。どうして子供の死が、食物準備のためのユダヤ教の規則に基づいて正当化されるのでしょうか。
  12. 輸血が本質的に臓器移植であるならば、どうして消化されることもなく、また栄養上の利益も生じない輸血が、「血を食べる」こととして見られるのでしょうか 。輸血は、臓器移植であると同時に、食事でもあり得るのでしょうか。
  13. もし自己輸血のためにあなた自身の血を貯蔵することが間違っているならば、どうして協会は、製造の段階で献血され貯蔵されなければならない様々な血液成分の、エホバの証人による使用を許すのでしょうか。
  14. どのような理由で、協会は、「生命を維持する」、あるいは「取り入れる」という聖書に決して出てこない表現を、輸血を受け入れることに関する表現として使うのでしょうか。
  15. なぜ協会は、輸血が血によって養われることと同じであるという自分たちの考えを支持する証拠を探すために、数百年も前に生きていた医者を引用しなければならないのでしょうか。現代の医者は、輸血が「血を食べる」ことと同じであるとは認めないのではないでしょうか。
  16. 協会はなぜ、輸血の危険を誇張し、ほとんど全ての専門家が賛成していないのに、それが常に悪い治療法であるように思わせるのでしょうか。
  17. どのようにして協会は、どの血液成分が主要であり、どれが小さな成分であることを決定するのでしょうか。例えば、白血球は禁じられるのに対し、何故アルブミンは許されるのでしょうか。アルブミンは確かに血液の容積の大きい割合を構成していますが、母乳や移植される臓器は白血球が大量に含まれています。
  18. なぜ血漿の個別の血液成分の全てが、水を除いてはエホバの証人が「生命を維持する」ために取り入れることを認められたリストにあるのに、その血漿自体は禁じられるのでしょうか。
  19. どうして協会は、「アルコールを避けるということはアルコールを血管に入れないことも含む」などというこじつけの議論を行うのでしょうか。血管 に注入されたアルコールと血液を同様に扱う間違いは、次の類推を考えることによって見分けられ得るでしょう。「肉を食べることを避けなければならないと医者によって告げられた人を考えてみましょう。彼は肉を食べるのをやめましたが、しかし、腎臓移植を受け入れたならば、彼は医者の命令に従順でしょうか」。なぜ協会は、その立場を立証するために、このような見え透いたこじつけの論理を使わなければならないのでしょうか。
  20. もし完全に血を避けなければならないのならば、なぜ協会はわれわれに、人間の血液から作られた製剤や血液成分を受け入れてもよいと教えているのか説明してください。この教えは矛盾していませんか。
  21. なぜエホバの証人は、他人が献血する血液から利益を得ているのに、自分自身で献血をしないのでしょうか。これは利己的で偽善的とは言えないでしょうか。他人の命を助けるために献血することは、愛あるクリスチャン的な行いではないでしょうか。
  22. 次の状況で私はどうしたらいいでしょうか。私の子供は、呼吸困難であえいでいます。彼の血球数は、危険領域に下がっています。彼の心拍数は200であり、さらに上昇しています。医者は、輸血なしでは彼が呼吸不全及び心不全で死ぬであろうと告げました。血液拡張剤はこの時点では助けにならず、彼は、より多くの赤血球を必要としていました。彼はひどく青白い顔をし、悶えながらも大きな目をあけて、私を見ながら、こうささやきました。「お父さん、助けて」。私は、私の子供を死なせるべきでしょうか。私は、臓器移植、種痘、非軍事代替勤務、「羊とやぎ」、「この世代」、1799、1874、1878、1881、1914、1918、1920、1925、1975年、等等、次々に変わった組織の言葉に基づいて、私の子供を死なせるべきでしょうか。これが実際にエホバとイエスが私に要求することでしょうか。輸血禁止が最終的に忘れ去られるただの古い教理の一つになった時、私はどのように感じるでしょうか。私は、自分を許すことができるでしょうか。

これらの22の質問は、血液と血液成分に関するパリサイ人的なきまりの全てによって協会が自身で引き起こした「キャッチ‐22」(訳注:アメリカのドラマに基づいた、「あっちを立てればこっちが立たず」、という状況を表す口語的表現)をよく描き出しています。

これらの疑問をあなたの地域の長老たちや、その他のあなたが論じてみたいと思う人々に提起してみて下さい。それらの人々が満足な応答を与えることができるかどうかを見てみてください。この質問のリストは、 このウェブサイトの要約に含めて、友人や親類に送ってもよいでしょう。

血の教えを支持する人々のための追加質問 :

  1. 米国医師会が心臓病患者に肉を控える推薦を出したならば、その推薦はそれらの患者が臓器移植を控えるべきであり、特に心臓移植をしないことを推薦していることを意味するでしょうか。そうでないとしたらなぜでしょうか。
  2. もし、ものみの塔協会が輸血について、ちょうど臓器移植、種痘、アルミニウム中毒、 電気ラジオ・バイオラの効力等を「聖書に基づかない」という理由で変更したのと同様に、その考え方を変えたならば、あなたはその変更に自分をあわせていくでしょうか、それともあなたは、あなた自身の考えと異なったやり方で自分の良心を働かせていく多のクリスチャンを避け続けるでしょうか。


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